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第13巻「海の王の戦い」

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12.出撃

 ゼンとフルートが海の戦士たちに向かって話をしていると、海岸の奥で急に森が揺れ出しました。

 暖かい南の海に浮かぶ島です。海岸に生える木々も、背が高く葉の大きな熱帯の植物ですが、それが風もないのに大きくしなり、まるでお辞儀をするように幹をたわめて梢を下げるのです。森の奥から海岸に向かって、木々が道を作ります――。

 その音にフルートたちや海王とアルバが驚いて振り向くと、メールが言いました。

「おじいさまだよ! 奥の森から出てきたんだ!」

 と木々がお辞儀をして出口を開いた場所へ駆けていきます。そこから姿を現したのは、濃い緑色の衣をまとった背の高い老人でした。ひげも髪もすっかり白くなっていますが、その先端が淡い緑色を帯びています。なんとも言えない風格を漂わせながら森から出てきて、駆けつけたメールに目を細めます。

「おお、メール。久しぶりじゃの……。海の民の血は成長が早い。たちまち大きくなってしまったのう」

「やだな、おじいさまったら。最後におじいさまがあたいと会ったのって、もう二年も前のことになるよ。あたいが大きくなるのは当たり前じゃないのさ」

 とメールが笑って答えます。

 老人は島に住む森の民の長老――つまり、森の民の王でした。森の姫だったメールの母の父親で、メールには祖父に当たります。普段は島の奥の森に住んでいて、めったに人前に姿を現さない人物が、自分から海岸まで出てきたのでした。

 長老の後ろには、緑の髪と瞳の森の民が何十人と従っていました。皆、緑や若草色の服を着ていて、女性は髪に花を飾っています。すんなりと伸びやかな姿は、まるで森の木々が人の形をとってやって来たようにも見えました。

 

 森の長老は孫娘と共に砂浜までやってきて、海王へ頭を下げました。

「これは東の大海の王……。このたびは渦王のために、よう駆けつけてくださいました。ここは渦王の率いる海の民と我々森の民が分けあって住んでいる島。我らにとっても、渦王は大事な存在です。救出にご尽力を願います」

 海王はそれに丁寧に一礼を返しました。

「無論です、森の長老。リカルドは私の弟だ。放っておくわけにはいきません。ですが――長老はどうやってこれをお知りになりました。リカルドの家臣がお知らせしましたか?」

 すると、老人が笑いました。その声は深く、まるで森の奥に響くこだまのように聞こえました。

「いいや……。だが、この島は元々わしら森の民が長年住んでいた場所なので、シルフィードたちが、わしの元まで知らせを運んでくれるのです。シルフィードたちは風の精だから、世界中を吹き渡って、さまざまなものを見聞している。海の戦士たちが向かおうとしている場所で、急におかしな変化が起きていることも教えてくれています。今まで見たことがなかった醜悪な怪物が、冷たい海に姿を現している、と……。おそらく、闇の怪物でしょうな」

 冷たい海に闇の怪物が、とフルートたちは顔を見合わせました。これで、その場所に魔王が潜んでいる可能性は、いよいよ高まったことになります。

 メールは祖父を見上げました。背の高いメールですが、森の長老はそれよりさらに長身だったのです。

「わざわざそれを教えるために森から出てきてくれたわけ、おじいさま?」

「それと、おまえたちの出撃を見送りにの……。そこにいるのが、メールの婚約者のゼンじゃな。なるほど、森の匂いがとても強い男じゃ。……海の王は、あまり似合わんように見えるがな」

 そんなふうに言われて、ゼンは肩をすくめ返しました。

「俺もそう思う。でも、そうも言ってられねえ事情ってのがあってよ」

 相手は森の王なのですが、ゼンはいつでも誰にでも同じ口調です。

 

 森の長老は静かに笑いました。やはり木々の間にこだまするような、深い声です。

「おまえたちは、まったく、生き急ぐ種族じゃな……。何百年も生き続けるわしらとは、時間の流れが違っておる。海の民は、特にそうじゃ。だから、娘のフローラが渦王と結婚したいと言い出したときには、とても不可能だと反対したのじゃが」

 老人は緑の瞳で孫娘を見つめました。うろこの鎧兜を身にまとったメールですが、兜の下からのぞく長い髪は、森の梢と同じ緑色です――。

「気をつけてゆくのじゃぞ、メール。おまえは森と海が生んだ子じゃ。おまえは長い間、森の民の血を嫌っていたが、今はもうそんなこともあるまい。渦王を救い出して島に戻ってきたら、婚約者と一緒にわしの元へ来なさい。森の民全員で、おまえたちの婚約を祝ってやろうな」

「おじいさま」

 メールは胸がいっぱいになりました。祖父が、孫娘の自分のために見送りに来てくれたのだと気がついたのです。思わず祖父に抱きついてしまいます。

「ありがと……おじいさま。必ずゼンと行くよ。父上も一緒に連れていくからさ」

「そうじゃな。必ずおまえの父を救い出してくるのじゃぞ」

 森の長老がしっかりとメールを抱き返します。

 ゼンは、へっと笑うと、海に向き直って言いました。

「行くぞ、フルート、ポチ――メール! ぐずぐずしちゃいられねえんだ。冷たい海へ出発するぞ!」

「よし」

「ワン!」

「あいよ!」

 仲間たちがすぐに駆けつけ、並んで海へ向かいます。その途中でメールは振り返り、祖父に向かって手を振りました。森の老人が静かにうなずき返します。

 

 森の民と海王が見守る中、軍勢は海に入っていきました。泳ぎの得意なものは自力で泳ぎ、泳ぎが劣るものは魚が引く戦車に乗ります。海を行く戦車に車輪はありません。小舟のように海上に浮かんでいます。

 フルートたちも戦車に乗りました。ゼンとメールは、マグロと三匹のカジキが引く戦車に、フルートとポチは海の王子のアルバの戦車に同乗します。アルバの戦車は巨大な二匹のホオジロザメに引かれていました。渦王が普段使っている戦車です。

「本当はゼンがこっちに乗るべきだろう。渦王はゼンなんだから」

 とアルバに言われて、ゼンは顔をしかめました。

「俺はこっちだよ。マグロたちが引く戦車に乗るって約束してたんだからな」

 それを聞いて、戦車の先でマグロやカジキたちが嬉しそうに飛び跳ねます。

 フルートが、ちょっとすまなそうに魚たちに言いました。

「君たちの戦車に乗れなくてごめんね。みんなで乗ると重くて遅くなっちゃうんだ。君たちと並んでいくからね」

「あれ。じゃ、あたいがアルバの戦車に乗ろうか? フルートたちがこっちに乗ることにして――」

 とメールが言ったとたん、ゼンがメールに腕を回して、ぐいと引き止めました。

「冗談じゃねえ! こっちに乗ってろ!」

 強く言って、めいっぱい顔をしかめて見せた相手はアルバでした。海の王子は面食らった表情になり、フルートとポチが思わず苦笑します。

 

 海の上でも賑やかな勇者の一行に、ギルマンが波間から声をかけました。

「我々は準備完了だ。出撃の合図をしろ、ゼン!」

 へっ、とゼンはまた笑いました。戦車を引く魚たちの手綱を握って、仲間たちに言います。

「司令官なんか柄じゃねえけどよ、やるしかねえなら、やってやるぜ――。行くぞ、海の戦士たち! 北の海まで突撃だ! 魔王をぶっ飛ばして、渦王を助けるぞ!」

 それに応えて、鬨の声がとどろきました。海面で、海中で、海の上の空で、兵士たちがいっせいに叫んだのです。海にさざ波が走り、岸辺の木々が震えて揺れます。

 ゼンは右手を空に突き上げて言いました。

「出撃――!!」

 マグロとカジキが泳ぎ出しました。ホオジロザメがすぐに追いつき、二台の戦車が海の上を並んで走り始めます。

 渦王の軍勢はいっせいに動き出しました。二台の戦車の後ろを泳ぎ始めます。兵士たちの後に何百という戦車が続き、数え切れないほどの海鳥が頭上を飛び回ります。

 すると、ゼンやフルートたちの戦車が海に潜り始めました。ゼンたちは行く手を見つめています。海の戦車は魚に引かれて海中を進んでいくのです。

 白いしぶきを立てながら海に沈んでいく戦車の上で、フルートは空を見上げました。青く晴れ渡った空には白い雲が浮かんでいます。世界の空を行く魔法の国は、どこにも見当たりません……。

 けれども、フルートは空に向かってうなずきました。まるでそこに誰かがいるように、そっと言います。

「きっと――。必ず呼ぶよ」

 波の音の中でその声を聞き取ることができたのは、耳のよいポチだけでした。フルートと一緒に空を見上げて、こちらは遠い目をします。淋しくほほえむようなまなざしです。

 

 やがて、戦車は完全沈みました。他の軍勢も戦車もすべて海中に潜り、海面を大軍の影で真っ黒に染めながら沖へ進んでいきます。その上を海鳥の群れが飛び続けます。

 それが水平線の彼方に見えなくなるまで見送りながら、海王が言いました。

「勇猛なる海の戦士たちに武運あれ」

 森の長老が静かにうなずいて共に祈ります。

 軍勢が出撃した後の砂浜は白く輝き、海がいつものように寄せては返して、終わることのない波の音を響かせていました……。

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