メールが親衛隊長のギルマンと一緒に城の玉座の間へ向かっていると、突然城が大きく揺れました。石造りの建物が地響きを立てます。
「な、なに!?」
メールとギルマンが驚いていると、行く手から、がらがらと激しい音が聞こえてきました。何かが崩れ落ちていく音です。とたんにギルマンが叫びました。
「玉座の間だ――! 渦王様に何事かあった!」
ギルマンは半魚人でした。姿は人の形ですが、丈の短い服からのぞく肌は銀のうろこにおおわれていて、頭は魚にそっくりです。水かきのついた足で、飛ぶように駆け出します。メールはあわてて後を追いました。
すると、行く手の通路の角から白い煙が吹き出してきました。彼らめがけて押し寄せてきます。ギルマンは即座に後ろを向いてメールを抱きしめました。背の高い体でメールをかばいます。
とたんに白い煙が彼らを包み込みました。何かがギルマンのうろこに音を立ててぶつかりながら吹きすぎていきます。メールは手に突き刺すような痛みを感じて、思わず引っ込めました。手の甲がかすり傷だらけになって血がにじんでいます。白い煙に見えたのは、細かい石のかけらと砂塵を巻き込んだ激しい風だったのです。
石と砂の風が通り過ぎると、ギルマンは腕の中からメールを放しました。
「メール様、お怪我は?」
ギルマンは親衛隊長です。渦王とその家族を守ることが彼の職務でした。
「ないよ、ありがとう。ギルマンこそ大丈夫だった?」
「わしのこのうろこはとびきり丈夫ですから――。だが、今のはまるで爆風のようだ。渦王様のおいでになる玉座の間の方向です。急ぎましょう、メール様」
そこで、メールとギルマンは再び駆け出しました。煙のような風がやってきた角を曲がり、とたんに立ちすくんでしまいます。その先に続いていた通路と建物が、跡形もなく崩れて、瓦礫の山になっていました――。
「玉座の間が!」
とギルマンが叫びました。メールも真っ青になります。玉座の間には、父の渦王だけでなく、ゼンやフルートやポチもいたのです。崩れ落ちて石と砂利の山になった場所に、人や子犬の姿は見当たりません。
「渦王様! 渦王様――!」
ギルマンが瓦礫に飛びついて呼びかけましたが、返事はありません。メールは震え出しました。ゼンたちを呼ぼうと思うのに、声が出ませんでした。その下で誰かが生き残っていることなど想像もできないほど、建物は跡形もなく崩れていたのです。城があった場所は外とつながり、青空が広がっていました。瓦礫を日の光がまぶしく照らしています――。
すると、メールの隣にいきなり二人の人物が姿を現しました。崩れた玉座の間を見て声を上げます。
「これはなんとしたことだ!」
「いったい何者のしわざでしょう!?」
メールはびっくりして二人の人物を見ました。青い髪に青い瞳をした背の高い男性で、一人は中年、もう一人は青年です。どちらも青い長衣とマントをまとって、肩のところを金のブローチで留めています。さらに、中年の男性は金の冠をかぶり、青年は飾りのない金の輪を頭にはめていました。
声に振り向いたギルマンが、二人を見て驚きました。
「海王様――それに、アルバ様! どうしてこちらに!?」
東の大海を治める海王と、その長男のアルバでした。海王は渦王の双子の兄なので、渦王とは瓜二つですが、誰も二人を見間違うことはありませんでした。見るからに気性の激しそうな渦王に比べて、海王のほうはとても穏やかな雰囲気を漂わせています。その隣に立つ王子のアルバも同様でした。
「大丈夫だったかい、メール? 怪我はなかった?」
と尋ねてきます。アルバはメールとは従兄弟同士で、かつては結婚の約束をしたこともあります。メールのほうでそれを振って、ゼンについていったのです――。
「伯父上……アルバ……どうしてここにいるのさ?」
とメールもギルマンと同じことを尋ねました。彼らが住む海王の城は、何千キロも離れた海底にあるのです。
すると、海王が答えました。
「リカルドから呼ばれていたのだ。渦王の跡を継ぐゼンが来ているから、会って相談に乗ってもらいたい、と言われてな。アルバと共にここへ向かっていると、いきなりリカルドから救援の声が届いたので、魔法で一気に海を越えて来た。これは本当に何事だ。リカルドの城が、これほど破壊されるとは――」
海王が何度も口にしているリカルドというのは、渦王の名前でした。アルバがあたりを見回しながら言います。
「非常に強い闇の気配が残っています、父上。闇に襲われたのでしょう」
「魔王だよ!」
とメールは叫びました。何者のしわざなのか、ようやく察したのです。ギルマンが歯ぎしりしました。
「わしはメール様とここへ向かっておりましたが、まさか魔王が襲ってきているとは夢にも思いませんでした。城は落ち着いていて、いつもと何も変わりなく思えたのです」
うろこにおおわれた長い腕が、怒りと悔しさに震えています。
海王は、ふむ、とうなりました。
「襲ってきたのが魔王であったとすれば、戦いの場所は闇の魔法で隠されていただろう。そなたたちが気づかなかったのは無理のないことだ。それに、それほど案ずることではない。城は崩れているが、その下に無事でいる者たちの気配がする。聖なる魔法に守られてな――」
海の王が両手を振り上げると、とたんに、瓦礫がふわりと宙に浮き上がりました。海王が話し続けます。
「この城には海の魔法だけでなく、森の魔法も使われているから、わしの力で修復してやることはできない。とりあえず、救出を優先しよう」
海王が再び手を振ると、瓦礫が勢いよく周囲へ飛び始めました。崩れ落ちた壁の痕に降り積もって小山になっていきます。目の前がみるみるひらけてきます。
すると、瓦礫の下から二人の少年と一匹の子犬が姿を現しました。金髪の小柄な少年が、茶色の髪の少年と子犬を抱きかかえるようにしてうずくまっています。その周囲を淡い金の光が包んでいました。
あたりが明るくなったので、フルートが顔を上げました。自分たちを見つめる人々に気がついて、にこりと笑います。
「メール。それに海王――。助かりました、ありがとう」
ゼンとポチも身を起こし、あたりを見回しました。
「やれやれ、やっと出られたか。さすがの俺にも、あれだけ大量の岩はどけられなかったからな」
「ワン。金の石は離れた場所から守りの光を出していましたしね――。よくぼくたちを守ってくれたなぁ」
その金の石は瓦礫が消えた床の上に落ちていました。ペンダントの鎖が途中で切れていますが、傷はありません。フルートはそれを大切に手の中に握りました。
「ありがとう、金の石……」
精霊の少年は姿を現しません。
アルバは床の別の場所から、フルートやゼンの防具や武器を拾い集めてきました。魔法の道具だけあって、そちらも傷ひとつついていませんでした。
「どういうことだい? 君たちの大切な剣や鎧が落ちているだなんて――。本当に何があったんだ?」
海の王子のアルバとフルートたちは、黄泉の門の戦いで顔を合わせています。知らない仲ではありませんでした。
ところが、フルートたちがそれに答えるより早く、海王が突然声を上げました。
「リカルドはどこだ!? 何故リカルドがここにおらぬ!?」
穏やかな王らしくない大声に、一同はびっくりしました。フルートたちがあわてて説明しようとすると、それより早く、また海王が言いました。
「リカルドの存在は感じる! だが姿が見当たらぬ! 何故だ!? リカルドはどこにいるのだ!?」
鋭く見回す目が、ゼンの上でぴたりと停まりました。穴が空くほどまじまじとゼンを見つめて、驚いたように言います。
「おまえの中にリカルドの力がある。わしがリカルドだと思っていたのはゼンだったのか――。本当に、何があったのだ? リカルドはどこへ行った?」
フルートとゼンとポチは顔を見合わせました。何からどう説明していいのかわからないくらいでしたが、とにかく、フルートは一番大事なことを言いました。
「渦王は魔王と戦って連れ去られました。どこに行ったのかわかりません」
「渦王は俺に海の力をよこしたんだよ。魔王と戦うのに必要になるからって。だけど――」
ゼンが困惑しながら説明しました。渦王は海の力がゼンと共にあると言ったし、海王も渦王の力がゼンの中にあると言いますが、ゼン自身は、そんなものを全然感じられないでいるのです。
すると、海王が先よりもっと大きな声を上げました。
「リカルドが海の力をゼンに渡しただと――!!?」
崩れ落ちて瓦礫になった部屋の壁が、大音声にびりびりと震えます。その激しさは渦王にそっくりでした。
「馬鹿な!! では、彼はもう渦王ではない!! 普通の海の民になってしまっている――!! リカルドは魔王に対抗できんぞ!!!」
晴れ渡っていた空がたちまち暗くなり、猛烈な風が吹き出しました。城を囲む森がしなってざわめき、遠くで海がほえ始めます。海の王の怒りは嵐を呼ぶのです。一本だけ崩れずに残っていた石の柱が、風にあおられてついに倒れ、地響きを立てます。
海王の怒りの激しさに、全員は思わず立ちすくんでしまいました――。