「フルート!」
とメールは声を上げました。
岸の岩場に立っていた鎧兜の少年はフルートでした。両手に握っているのは、火の魔力を持つ炎の剣(つるぎ)です。少年はメールをからかう人魚たちに向かって、魔剣から炎の弾を撃ち出したのでした。
すると、そのすぐ後ろの岩陰からしゃがれた声がしました。
「おまえなぁ、俺より先に切れるんじゃねえや。怒るのは俺のほうなのに、出番がなくなっちまっただろうが」
あきれたように言いながら、もう一人の少年が岩の上に登ってきます。フルートも小柄ですが、こちらはもっと背が低く、代わりに大人も顔負けなほどがっしりした体格をしていました。半袖の布の服の上に青く光る胸当てをつけ、後ろには大きな弓と矢筒を背負っています。ゼンでした。
人魚たちが怒って口々に言いました。
「なによ、あんたたち! いきなり危ないじゃないの!」
「髪が緑でも青でもないってことは、あんたたち人間ね! 人間のくせにでしゃばらないでよ!」
「海に沈められたいの!?」
すると、フルートが答えました。
「ぼくの友だちを侮辱する者は、人魚でも誰でも許さない。あっちへ行け!」
変声期を迎えて少しかすれている声で、きっぱりとそう言います。
あら、と人魚たちは言いました。
「鬼姫様の友だち? じゃあ、あんたたちが金の石の勇者たちなのね。やだぁ、勇者って言うから、もっとかっこいいと思ってたのに」
「ちびのちんちくりんじゃないの」
「おまけに子どもだし。やぁだ。これで勇者だなんて、本当?」
けれども、フルートはそれには答えませんでした。剣を握ったまま、じっと人魚たちをにらみつけています。代わりにゼンが言いました。
「上がってこい、メール。人魚どもは見た目ばっかり綺麗で頭ん中は空っぽだ。こんな馬鹿の相手をしていたら馬鹿がうつらぁ」
人魚も口は悪いのですが、ゼンも相当です。人魚たちは怒って手や尻尾で水面をたたき始めました。
「なによ! この人間!」
「海の中に来ることもできないくせに! 偉そうに言わないでよ!」
「へっ、残念だったな。俺は人間じゃねえぜ。俺は北の峰のドワーフだ」
とゼンは答えました。ゼンは母親が人間だったので、本当は半分は人間なのですが、意識の上ではあくまでもドワーフなのです。
人魚たちは驚き、すぐに意地の悪い笑い顔になりました。
「ドワーフ? へぇ、そう。じゃ、あなたが鬼姫様のお婿さんなのね」
「不細工ねぇ。やっぱりドワーフだわ」
「聞いてたわよ。鬼姫様は海王の息子と婚約してたのに、それをやめてあなたと婚約したんでしょう」
「鬼姫様ったら頭おかしいんじゃないの? 海王の息子っていったら、それはハンサムで素敵なのに、それを振ってこんなちびのドワーフを選んじゃうなんてさ」
「今からでも遅くないわよ、鬼姫。海王の息子に乗り替えなさいよ」
はやし立てるように言う人魚に、今度はゼンが怒りました。岩から駆け下り、波打ち際に立って拳を振り回します。
「ここに来やがれ、人魚ども! ぶん殴ってやる!」
「へぇ、あたしたちをぶん殴るって?」
「そんなことできるかしら? ドワーフのくせに」
「やれるものならやってごらんなさいよ」
人魚たちがあざけりながら海中に沈みました。姿が見えなくなってしまいます。
メールは心配そうに海を見つめました。フルートは岩の上で、ゼンは水際で、それぞれやはり海を見ます。海面は日差しに青く輝いていて、人魚たちの姿が見通せません。
すると、ゼンの足下の海から白い手が伸びてきました。ゼンの足を捕まえて引っ張ります。突然のことにゼンはバランスを崩し、大きなしぶきを立てて海に落ちました。
「ゼン!」
フルートとメールが思わず声を上げます――。
ゼンの足を捕まえて海中に引っ張り込んだのは人魚たちでした。長い金髪を水中になびかせながら、てんでにゼンにしがみつきます。
「ほぉら、やっぱりドワーフに海の王様は無理なのよね」
「海に入ったら息ができなくなって死んじゃうんだもの」
「これでどうやって王様になるつもりだったの? ドワーフって、本当に馬鹿ね」
人魚たちは海中で笑いさざめきました。ゼンがどれほどもがいても浮上できないように取り囲んで、海の底へと沈めていきます。
ところが、海中で誰かが言いました。
「馬鹿はてめえらだろう、人魚ども」
声と同時に、ゼンの両脇にしがみついていた二人の人魚が、頭をわしづかみにされました。恐ろしい力で引きはがされ、ごつんと互いの額を鉢合わせさせられます。
「いったぁぁい!!」
二人の人魚は頭を抑えて悲鳴を上げ、他の人魚たちはぎょっとしました。人魚を捕まえたのはゼン自身でした。今度は別の人魚の尻尾をつかみ、大きく振り回して投げ飛ばします。
仰天する人魚たちに、ゼンは、にやりと笑って見せました。
「ドワーフや人間がみんな海で溺れると思ったら大間違いだぜ、馬鹿人魚。さあ、次はどいつの番だ? 金輪際減らず口がたたけないように、ぶん殴って歯を一本残らずへし折ってやるぞ」
水中でも人魚たちと同じように話しています。口の悪さは人魚以上です。
人魚たちは真っ青になりました。水中が平気なドワーフに人魚が太刀打ちできるはずはありません。悲鳴を上げて一目散に逃げ出します。
そこへメールが潜ってきました。後ろも見ずに泳ぎ去る人魚を見て、肩をすくめます。
「まったく、ゼンったら。人魚なんか相手にするな、って言っといて、結局自分が相手にしてるんじゃないのさ。ホント、短気なんだから」
「るせぇな。追っ払ってやったんだから文句言うな」
ゼンが憮然となって泳ぎ出すと、メールがすぐに並んできました。ゼンの太い腕に自分の腕を絡め、甘えるように緑の髪の頭をすり寄せます。
「うん……ありがと、ゼン」
ゼンは思わず赤くなると、すぐに笑顔になってメールを抱き寄せました。
「すっかり調子よくなったみたいだな。もうどこもなんともないか?」
「うん、大丈夫だよ。気分爽快。ただ、お腹がすいてきたな」
「そりゃいい。食欲があるのは元気な証拠だ」
二人が海面に浮き上がると、海岸ではフルートの他に小柄な少女と二匹の犬たちが待っていました。ポポロとポチとルルです。ポポロが手を振り、犬たちが話しかけてきます。
「ワン、もう泳いでも大丈夫なんですか、メール?」
「部屋に行ったらもぬけの殻だったから心配したわよ」
「大丈夫だってば。探してくれたのかい? ありがとう」
メールは嬉しそうに岸へ上がっていきました。ゼンがそれに続きます。
フルートはもう剣を背中の鞘に収めていました。きらめく金の鎧で身を包み、剣を二本も背負った姿に、メールは首をかしげました。
「どうしたのさ、フルートったら。ここは父上の島だよ。口の悪い人魚はいるけど、敵はいないから、武装する必要なんてないのに」
「この島が暑いからだよ。鎧を着てる方が涼しいんだ」
とフルートは笑って答えました。フルートが着ているのは魔法の鎧なので、総ての衝撃を和らげ、暑さ寒さを防ぐことができるのです。
すると、ゼンが言いました。
「俺はどこでも絶対に自分の武器や防具は手放さねえぜ。備えのない猟師に獲物はない、ってのが俺たちドワーフ猟師のことわざだからな」
と背中の弓矢を揺すって見せます。こちらも魔法の武器なので、海中に飛び込んだというのに、矢は一本も失われていません。鮮やかな青い胸当ては、輝く海と同じ色合いです――。
メールはまた笑顔になって、仲間たちを見回しました。
「ねえさぁ、みんなで泳ごうか。あたいが海底を案内してあげるよ。ポポロやルルは父上の島に初めて来てるし、ゼンやフルートやポチだって、前に来たときにはゆっくり見物する暇なんかなかっただろ? なにしろ、魔王が海を襲ってたんだからさ」
「そりゃいいが――おまえ、さっき腹減ったって言ってただろうが。先に朝飯にしようぜ」
とゼンが言うと、メールが言い返します。
「朝ご飯の時間にはまだ三十分もあるんだよ。待ってる間、退屈じゃないか」
「ったく。元気になったとたんに、せっかちの虫も回復か? それっぽっちの時間も待てねえのかよ」
「いいじゃん。本当に時間はあるんだからさ。それとも、ゼンはあたいの案内で海に行くのがいやなわけ?」
「馬鹿野郎、誰もそんなこと言ってねえだろうが」
「馬鹿とはなにさ、馬鹿とは!」
たちまち口喧嘩のようになっていくメールとゼンに、他の仲間たちはあきれ、やがて笑い出しました。二人のこんなやりとりを聞くのは、本当に久しぶりだったのです。
メールは海の民の血を引いているので、長い間海から離れると、体内から生気が失われて死んでしまいます。一角獣伝説の戦いの間に何度も倒れるようになり、きわどいところで島に戻ってきたのですが、すっかり弱っていたために、回復するまでに一ヵ月もの時間がかかりました。以前のようにゼンと言い合いをするメールの姿に、本当にもう大丈夫なんだ、と仲間たちは改めて安心したのでした。
フルートが言いました。
「海の散歩はいいよね。ぼくたちはみんな、水中でも溺れる心配はないし、島に来てからも、メールが気になってあちこち見て歩く気にはならなかったからね」
鎧兜や剣で勇ましい格好をしていても、フルートの声は穏やかです。少女のように優しい顔が兜の下からほほえんでいます。
すると、ポポロが急にうつむきました。
「ごめんなさい、あたしは行けないわ……。ルルと一緒に天空の国へ行かなくちゃいけないの」
え? と仲間たちは思わず振り向きました――。