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第13巻「海の王の戦い」

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第1章 渦王(うずおう)の島

1.珊瑚礁(さんごしょう)

 明るい部屋の中でメールは目を覚ましました。

 ガラスのない窓から吹き込む風が、レースのカーテンを揺らし、木の葉のざわめきを運んできます。

 メールは慎重にベッドから起き上がりました。目眩(めまい)はもう起きません。昨日まで重苦しかった体も嘘のように軽く感じられます。ぎゅっと両手を拳に握ると、肩から腕にかけて力があふれます――。

「うんっ!」

 メールは笑顔でベッドを飛び下りると、白い寝間着を脱ぎ捨てました。花のように色とりどりの袖無しシャツとうろこ模様の半ズボンを身につけ、編み上げのサンダルをはき、長い緑の髪を後ろで一つに束ねれば、すっかりいつもの格好です。

 そこは渦王(うずおう)の城にあるメールの部屋でした。まだ朝早い時間なので、部屋の中にも外の通路にも家来はいません。メールはそっと部屋から抜け出すと、城の中庭に出て呼びかけました。

「おいで、花たち! 海へ行くよ!」

 とたんに、庭中から、ざあっと強い雨が降るような音がわき起こりました。庭を埋め尽くす木や草の間から、数え切れないほどの花が舞い上がり、メールの元へ飛んできたのです。大きな渦巻きになって彼女を取り巻きます。

 メールは思わず笑いました。

「そんなにみんなで来なくていいったらさ。海岸までだもん、ちょっと飛べるだけいればいいんだよ」

 そう言われても、花たちはなかなか戻ろうとしませんでした。花使いの姫に自分を使ってほしそうに、いつまでも周りを飛び続けます。しょうがないなぁ、とメールはまた笑いました。

「そんなにあたいが外に出てきたのが嬉しいわけ? わかったよ。じゃ、みんなで一緒に行こう。北の海岸だよ」

 ざざーっと花たちがまた音を立て、巨大な鳥の姿に変わりました。翼の端から端まで十五メートル以上もある花鳥です。メールを背中に乗せて、あっという間に空へ舞い上がります――。

 

 朝の光を浴びて、海はきらきらと輝いていました。あきれるくらい青い海原を、白い波が走ってきては海岸線に打ち寄せます。

 メールは岩の多い岸辺に下り立って、花鳥に言いました。

「そっちの風の当たらないところで休んでおいで。帰りにまた乗せてもらうからさ」

 花鳥は長い首をゆすってうなずくと、岩陰へ飛んでいって地面に広がりました。砂地に根を下ろし、殺風景だった岩場をたちまち色鮮やかな花畑に変えてしまいます。

 メールは岩場を走って水際へ行き、そのまま海へ身を躍らせました。魚のように海底まで潜っていきます。暖かな海の中には珊瑚礁(さんごしょう)が広がっていました。緑の巨大な珊瑚がテーブルのように重なり合う間に、色とりどりの海草が揺れ、大小の魚たちが泳いでいます。小さな魚は、大きな魚に食べられないように、群れを作って泳ぎ回っていました。小魚たちがいっせいに向きを変えると、明るい海の中で無数の銀色がひらめきます。

 メールはまた笑いました。海の中で、深呼吸をするように、うぅん、と大きく伸びをします。

「いい気持ち……! やっぱり海はいいなぁ!」

 水中でも陸上にいるように声が出せます。

 すると、そこへ黒い大きな魚が泳ぎ寄ってきました。メールの周りを回りながら、人のことばで話しかけてきます。

「これは、メール姫様。もう体の調子はよろしいのでございますか?」

 姿は魚でも、非常にていねいな口調です。

「見てのとおりさ。すっごく調子いいよ」

「それはよろしゅうございました。先月、姫様が島にお戻りになったときには、あまり具合が悪そうだったので心配いたしました」

「ありがと。退屈になるくらいたっぷり休んだからね。もう大丈夫だよ」

 証拠に身をひるがえして泳いでみせると、大きな魚は笑うように体を揺すり、メールから離れていきました。

 すると、それと入れ替わりに、今度は小さな魚たちが近づいてきました。メールの手足に赤や緑に光る体をすり寄せて、口々に言います。

「わぁ、メール姫様だ!」

「お久しぶりです」

「元気になったんですね」

 泡立つような小さな声がメールを囲みます。美しく光る魚の体は、光の加減で色を変えるので、虹がメールを包んでいるように見えます。

 メールは小魚たちに手を差し伸べました。

「心配してくれてありがとう、みんな。ホントにもうすっかり元気だよ。だから、こうして泳ぎに来たのさ」

「よかった」

「よかった」

「よかったなぁ」

 たくさんの声が嬉しそうに弾けます。

 メールはそのまましばらく魚たちと一緒に泳ぎ続けました。海の底にはさまざまな形の珊瑚が緑の森のように続き、その間を無数の魚たちが泳いでいます。イカやエビ、カニ、色鮮やかなナマコなども海底近くを動き回っています。大半は声を出しませんが、中にはメールを見て話しかけてくるものもあります。見た目は普通の海の生き物と同じですが、魔法でことばが話せるようになった渦王の家来たちなのです。皆、元気になったメールの様子に喜びます。

 

 ところが、そんな海の生き物たちが、突然メールから離れました。おびえたようにどこかへ逃げていってしまいます。メールが驚いていると、行く手からぱたぱたという音が聞こえてきました。丸い大岩のような珊瑚の上に四、五人の人魚がいて、魚の尻尾の先で珊瑚をたたいていたのです。

「あぁら、なんだか不格好な魚が泳いでると思ったら、魚じゃなかったのね。渦王の鬼姫様だったんだわ」

「そうね、お馬鹿さんの鬼姫様だわ。海の民のくせに陸に上がって、もう少しで死にそうになったんですって? ほぉんと、お馬鹿さん」

 人魚たちにあざ笑われて、メールはむっとしました。人魚は上半身が裸の女性、下半身が魚の尾の非常に美しい姿をしているのですが、魔物の仲間だけあってとても意地が悪いのです。メールににらまれても平気な顔で言い続けます。

「あのまま死んじゃえば良かったんじゃないの? 半分木でできた、でくのぼうのお姫様なんだもの、陸で死ねたら本望だったでしょうに」

「陸で死んだら、鬼姫様の日干しの一丁上がりね」

 その言い回しを気に入った人魚たちが、わっと笑い、鬼姫様の日干し一丁上がり、と何度も繰り返します。信じられないほど意地悪なことを言っているのに、人魚たちの声は音楽のような美しさです。

 メールはいっそう不愉快な顔になりましたが、何も言わずにまた泳ぎ出しました。海面に向かって浮上していきます。昔は人魚にからかわれるたびに、むきになって言い返していたメールですが、今はもう相手にしないのが一番だとわかっていたのです。

 それを見て人魚たちは口を尖らせました。

「やぁだ、本当のことを言われたんで、お姫様が逃げていくわよ」

「相変わらず泳ぎが下手くそねぇ」

「しょうがないわよ。でくの坊のお姫様だもの」

 珊瑚を離れ、魚の尾をくねらせて、あっという間にメールに追いついてきます。

「ちょっと、なんとか言ってよ、鬼姫様。無視するなんて失礼じゃない」

「お姫様はお高くとまってるわよね」

 そのしつこさに、通りかかった家臣の魚が見かねて口を出しました。

「おい、人魚たち、おまえたちこそ失礼だろう。姫様が寛大にしてくださっている間に、あっちへ行け」

「あらやだ。この魚、あたしたちに注意してるわよ」

「生意気ぃ。ちっぽけなアジのくせに。捕まえて食べちゃうから」

 人魚は本当に生きた魚を食料にします。人魚に捕まりそうになって、アジはあわてて逃げていきました。

 

 メールはますます口をへの字にして泳ぎ続け、海面に頭を出しました。岸に向かって泳ぎ出します。

 ところが、人魚たちはまだそれを追いかけてきました。やはり海面に顔を出し、メールを囲むようにして泳ぎながら話しかけてきます。

「鬼姫様、ドワーフのお婿さんを見つけてきたんですって? できそこないのお姫様らしいわね。よりにもよって、ちんちくりんのドワーフと結婚するなんて」

「どうする気、鬼姫様? ドワーフのお嫁さんになって、地面の中に暮らすつもり? 生き埋めになっちゃうわよ」

「半分森の民の鬼姫様だもん。地面に埋まったら、そこから芽が出てくるんじゃないの?」

 また、きゃあっと歓声を上げて人魚が笑いました。青い海の上に鈴を転がすような笑い声が響きます。メールは歯ぎしりしましたが、それでも無視して泳ぎ続けました。岸の岩場が近づいてきます。

「ねえねえ、それじゃ海はどうするつもりよ、鬼姫様? 鬼姫様が渦王の跡を継いで、西の大海の女王になるんじゃなかったの? 海は捨てちゃうわけ、ふぅん」

「いいじゃない。鬼姫様が女王になったって、誰も言うことなんか聞かないもの」

「ドワーフだってそうよね。地面に穴を掘ってる小人が、海の王様になんかなれるわけないもの」

「だいたい、海に入ったら溺れて死んじゃうじゃない」

「ドワーフの王様はたちまち土左衛門(どざえもん)」

 また人魚たちが意地悪く笑いさざめきます。

 メールはついにかっとなって言い返しました。

「ゼンは渦王になれるさ! 父上がそう言ったからね!」

「へぇ、どうやって? いくら渦王様でも無理なんじゃないの?」

「ドワーフが海の王様だなんて、ありえなぁい」

「そんな王様が海に来たら、あたしたちが捕まえて海の底に沈めちゃうから。そしたらドワーフの王様は土左衛門――」

 メールは完全に腹を立てました。人魚たちに向き直り、飛びかかっていこうとします。きゃぁ、と人魚たちは歓声を上げ、尻尾で水面をたたいてメールにしぶきを飛ばしました。メールが思わずたじろぐと、さらに喜んで両手でも水をかけ始めます。

 

 すると、突然何かが彼らの頭上を飛び越えて海に激突しました。人魚たちの後ろの海面で、じゅうっと大きな音がして、煙のような水蒸気が湧き起こります。

 人魚たちは仰天して飛びのきました。水蒸気が昇っていった後に起きた大波に揺られながら、岸を振り向きます。

 岩場の上に一人の人間が立っていました。小柄な少年ですが、両手に大きな剣を握り、振り下ろした格好で構えています。その全身では、金の鎧兜がきらめいていました――。

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