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第13巻「海の王の戦い」

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プロローグ 入江の洞窟

 海に太陽が照りつけていました。

 険しい山と山の間に海水が入り込んだ入り江です。穏やかな海面が日差しを返して鏡のように光っています。

 そこを奥に向かって進んでいく小舟がありました。上半身裸の二人の若者が漕いでいます。一人は大柄でたくましく、もう一人は小柄でほっそりした体つきです。入り江に他の船はありません。岸辺の岩場や山の上にも人の姿は見当たりません。静かな入り江に響くのは、オールが立てる水音だけです。

 

 すると、大柄な青年が漕ぐ手を止めて言いました。

「おい、どこまで行きゃいいんだ、アムダ! てめえが言う秘密の洞窟ってのはどこにあるんだよ!?」

 すぐそばにいる相手にどなるような声です。日焼けした腕や肩には、岩のような筋肉が盛り上がっていて、もう一時間近く船を漕いでいるのに、疲れた様子もありません。

 アムダと呼ばれた小柄な青年は、眼鏡を外して流れる汗をぬぐいました。こちらは貧弱な体格なので、重いオールにだいぶ息が上がっています。眼鏡をかけ直して行く手を眺め、入江の奥に並んだ岩をたんねんに数えてからこう言います。

「あそこだな――。大鳥の左の十二羽と十三羽の間って書いてあったからな。あの鳥に似た大岩の左に見える、十二番目と十三番目の間の岩の間に、きっと入り口があるんだ」

 大柄な青年も行く手を見ましたが、言われた場所がよくわからなかったので、また向き直りました。眼鏡の青年が文字を書いた紙を広げているのを見て、ふん、と笑います。

「ご先祖様の宝の在処(ありか)か。まさか、山頂の一枚岩にそんなものが残されてたとは、夢にも思わなかったぜ」

「嵐の雨と稲妻を浴びたときだけに浮き上がる暗号だったからね。普通、そんな時に山に行く奴はいないからな」

 書き写した暗号を眺めながらアムダが答えます。

「それで、二百年以上も誰にも知られずにいたってわけか。俺たちがたまたま山で嵐に出くわさなけりゃ、あと二百年は誰も気づかなかったんだろうよ。いったいどんな宝が隠してあるんだ?」

 舌なめずりするような顔の青年に、アムダは静かに答えました。

「ぼくらの先祖は海賊だ。財宝に決まっているよ。金貨や銀貨や宝石……あんな巧妙な魔法を使って暗号を残したくらいだから、魔法の道具もあるかもしれないな」

「いいぞ、ギナの街で売れば大金持ちだ! ギナにでかい家を構えて、人魚だってなんだって買ってやる!」

「人魚?」

 アムダが聞き返したので、大柄な青年はまた笑いました。

「相変わらず世間知らずなヤツだな。一昨日、隣のウルル村の連中が人魚を捕まえたんだよ。港じゃその話題で持ちきりだ。まだ若くて綺麗な人魚だから、とびきりいい値がつくって話だ。でもな、財宝さえ手に入れば、それも簡単に買えるんだぞ」

 ふぅん、と小柄な青年は言いました。考える顔でまた行く手を眺めると、おもむろにオールを握り直します。

「急ごう、タンギ。ぐずぐずしていると潮が満ちてくる」

 おう、と大柄な青年は答えて、また力強く漕ぎ出しました。凪(なぎ)の海を小舟はぐんぐん進んでいきます。

 

 目ざす洞窟は本当に十二番目と十三番目の岩の間にありました。すぐそばまで近づくと、小舟がやっと入れる程度の入り口が水面ぎりぎりに見えています。アムダはまた漕ぐ手を止めて書きつけを見ました。

「果ての大蛇が海の水を呑んだときがその時――っていうのは、やっぱり引き潮の時に探しに行け、という意味だったな。干潮の時にしか入り口が現れないんだ」

「どのくらい続いているんだろうな?」

 とタンギが言いました。奥へ進んでいる間に潮が満ちてくれば、彼らは脱出できなくなって、洞窟の中で溺れてしまいます。

「大丈夫だろう……。中は広いって暗号が言っているからな。今、灯りを準備するよ」

 松明(たいまつ)に火がつくと、小舟はまた進み出しました。アムダが灯りを掲げているので、タンギ一人が船を漕ぎ続けます。やがて船は小さな洞窟の中に滑るように入り込んでいきました。

 狭く暗い通路がしばらく続いた後、彼らは本当に大きな空間に出ました。波が長い間岸壁を削って作った入り江です。奥は行き止まりになっていて、岩肌にぽつんと扉が見えていました。

「あった!」

 と彼らは思わず声を上げました。タンギがしゃにむに漕いで船を近づけます。洞窟の終わりは狭い岩場になっていて、その先に扉がありました。

「鍵はかかってねえな!」

 とタンギが言いました。松明の灯りに黒っぽく光る扉に、錠前や鍵穴は見当たりません。興奮しながら尋ねます。

「どうなんだ!? この扉の奥にもまだ暗号の関所があるのか!?」

「ないよ」

 とアムダは静かに言いました。

「この扉が最後の通過点さ。これを開ければ、あとはもうお宝とご対面だ」

 眼鏡の奥から、じっと扉を見つめ続けます。

 タンギは笑って仲間を見ました。

「そうか。それならもう何も心配ないな? 扉を開ける呪文とかもないんだな?」

「ない」

 とまたアムダが答えます。タンギはいっそう笑いました。笑いすぎて、怒りに大きく歪んだような表情になります――。

「それを聞いて安心したぜ、アムダ。道案内ご苦労だったな!」

 声と共に大きな拳が飛んできて、仲間の頭を殴りつけました。眼鏡が弾け飛び、小柄な体がよろめきます。そこへもう一発拳を食らわせると、アムダは短く叫んで海へ落ちました。水しぶきが上がり、そのまま沈んでいきます。……浮き上がってきません。

 へっ、とタンギはまた笑い、船の中に落ちた松明を拾い上げました。灯りに照らされた顔は興奮しきっていて、鬼か悪魔のようです。

「誰がてめえなんかと宝を山分けするかよ! てめえみたいなうらなり野郎は、おとなしく海の底に沈んでやがれ!」

 それに答える声もありません。水しぶきが収まって泡と波紋が消えると、後には静かに波立つ海面だけが広がりました。

 

 タンギは小舟を岸に漕ぎ寄せました。岸に飛び上がって松明を岩の間に立て、小舟をつなぎます。

 扉は洞窟の奥の岩壁にはめ込まれていました。金属製の黒い扉の左端に、金の取っ手がついています。

 タンギは興奮を抑えるために二、三度深呼吸してから、おもむろに扉へ手を伸ばしました。金の取っ手を握って回します――。

 けれども、取っ手はびくともしませんでした。

 逆に回してみました。それでも取っ手は動きません。引いたり押したりしてみましたが、やはり扉は開きませんでした。見えない鍵がかかっていたのです。

 タンギは怒りで全身を震わせました。アムダを海中に沈めるのが早すぎた! と後悔しますが、もう間に合いません。扉は彼の前に立ちはだかっています。

 それを体当たりで押し開けようとして、タンギはまた驚きました。右手が取っ手から離れないのです。いくら力を込めても、引っ張っても、取っ手を握りしめたまま動きません。左手で扉を押して引き離そうとすると、その手まで扉の表面に留めつけられてしまいました。

「な――なんだこりゃあ!?」

 とタンギはわめきました。両手を扉に捉えられて、その場からまったく動くことができません。

 すると、海から声がしました。

「扉を開けるのは二人の一人。一人が一人のために扉を開ける――ってのは、やっぱりこういう意味だったな」

 アムダがずぶ濡れで岸に上がってくるところでした。眼鏡のなくなった顔には、タンギに殴られた痕が赤黒く残っています。

「ど、どういうことだ、これは!? 早くこれを外せ!!」

 とタンギがわめき続けると、アムダは笑いました。青白い顔に、ぞっとするほど冷酷な笑顔が広がります。

「扉を開けるのは二人のうちの一人で、扉をくぐれるのはもう一人のほうだ。ぼくのために扉を開けてくれてありがとう、タンギ。君ならきっとこうしてくれると思っていたよ」

 それに言い返そうとしたタンギが、急に息を呑みました。取っ手や扉にへばりついた両手が、溶けるように消え始めたのです。

「なんだ――これは!?」

 とタンギはまた悲鳴を上げました。

「と、扉に吸い込まれていくぞ! 助けてくれ!!」

「ぼくを殺して宝を独り占めしようとした君を?」

 とアムダが言い返しました。冷たい微笑を浮かべたままです。

「で――出来心だ! 宝を前にしてつい――! 悪かった、俺が悪かったよ! 助けてくれ! 頼む!!」

「君は子どもの頃からぼくを殴り続けてきたじゃないか。青白いうらなり野郎、って言ってさ。いつもぼくの大事なものを盗っていって、自分のものにしていたし。一緒に宝探しに来れば、必ずこうなるだろうと思っていたよ。いいざまだな、タンギ。脅して利用してきた奴に最後に利用されるのはどんな気分だい?」

 タンギの両手はもうすっかり見えなくなっていました。扉が吸い込む力はそれでも止まらず、手首から腕、肘と、どんどん青年の体が消えていきます。

 タンギは金切り声を上げ、思いきり扉を蹴りつけました。その足も扉に消え始めます。

 泣きわめき顔を歪めて懇願する古なじみを、アムダは満足そうに眺めていました。どれほど身をよじって助けを求めても、指一本そちらへ動かそうとはしません。ついに大きな体がすっかり扉に呑み込まれ、わめき声の残響も消えると、アムダはまた冷笑しました。

「ご苦労さま、タンギ。これで宝はぼくのものさ」

 若者を呑み尽くした黒い扉が、音もなく開き始めます――。

 

 扉の奥はまた洞窟になっていました。アムダは岸から松明を取り上げした。中に有害なガスなどが溜まっていないか、松明の炎で確かめてから、扉をくぐります。

 とたんに、アムダは足を止めました。驚いて中を見回します。

 そこは大きな部屋でした。むき出しの岩壁は白っぽく、床は不自然なほど平らに削られた黒大理石です。そして――部屋には何もありませんでした。金も財宝も何一つ。ただ四角い部屋ががらんと広がっています。

「ちくしょう!」

 とアムダは足を踏み鳴らしました。自分が解読した内容に間違いがあったとは思えません。先にあの暗号を解いた人間がいて、とっくの昔に部屋から宝を持ち出してしまったのです。落胆のあまり地団駄を踏みながら、ちくしょう、ちくしょう、と繰り返します。

 

 すると、背後から不意に音が聞こえました。ばさり、と何かを打ち合わせたような音です。

 アムダはぎょっと振り向きましたが、そこには何もいませんでした。ただ、松明に照らされた自分の影が壁の上に伸びています。炎が揺れるたびにうごめく影は、まるでそれ自体が生き物のようです。

 そこへ今度は足下から声が這い上がってきました。

「我ハココヘノ入口ヲ世界中ニ撒イタ。謎ヲ解ク頭脳ト、他人ヲ犠牲ニデキル冷酷サ。コレガナケレバ扉ハ開ケラレヌ。ソノ中デモ、オマエガ一番早カッタ。宝ハ本当ニココニアル。ソレヲオマエニ与エヨウ、海賊ノ末裔(まつえい)」

 地の底から響いてくるような声に、アムダは我に返りました。闇の存在が話しかけているのだと察したのです。足下をにらみつけて聞き返します。

「おまえは何者だ!? 何が望みだ!? ただで宝をくれるわけはないだろう!」

「ムロンダ」

 と闇の声は答えました。

「コノ世界デノ器(うつわ)トシテ、オマエノ体ニ我ヲ棲マワセルコト。ソレガ条件ダ。ソウスレバ、我ハオマエニ、ホシイモノヲ手ニ入レルチカラヲ与エル」

「ほしいものを手に入れる力だと?」

 とアムダは繰り返しました。頭の中で忙しく計算したのは、自分自身の損と得です。

「望ムモノハナンダ?」

 と闇が尋ねてきました。揺らめく影がゆっくりと天井まで伸び上がり、人ではないものに形を変えていきます。

 

 アムダは不意に笑いました。にやりと大きく歪めた口で答えます。

「総てだ!! この世にあるもの、何もかも総てをぼくによこせ! それがぼくのほしいものだ!!」

 ばさり、と羽音がまた響きました。笑うような声が地の底から聞こえます。

「気ニイッタ――。オマエヲ我ノ器ニシヨウ」

 影がどんどんふくれあがり、壁や天井や床に広がっていきます。ばさり、ばさりと音を立てて羽ばたいているのは、巨大な影の翼です。やがて、松明の火が音もなく消え、部屋は真っ暗になりました。代わりに二つの赤い光が燃え出します。

 アムダはそれへ手を突き出しました。

「さあ、よこせ! 力を――この世界中を!」

 闇が笑いました。暗がりの中にさらに暗い何かが姿を現します。

 それは赤い両目を見開いた、四枚翼の影の竜でした。

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