「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第12巻「一角獣伝説の戦い」

前のページ

83.彼方の景色

 メール!! と全員は叫びました。

 ゼンが腕の中にメールを堅く抱きしめました。その体にはまだ力がありません。ぐったりとゼンに抱かれるだけです。

 ユニコーンが言いました。

「海の民は海からしか命の力を得ることができません。彼女を海へ還しましょう」

 その場に後足立ちになり、前足を振り下ろします。蹄が水面を蹴ると、ガカッとまるで地面を蹴ったような堅い音が響きました。

 すると、蹄の下から湖の色が変わり始めました。空を映して青く輝いていた水面が、みるみる緑色を帯びていきます。水面が揺れ始め、波間で日の光が、ちらちらと銀に輝き出します。やがて彼らの耳に聞こえてきたのは、ざざーん……どどーん……と繰り返される波の音でした。

 

 一同は湖の中に立ったまま、茫然とそれを眺めていました。足下に波が押し寄せ引いていくと、ザザーッと砂がこすれる音がします。

 湖の彼方からはナージャの森が消えていくところでした。白い幹と黄色い葉の金陽樹が薄れて見えなくなり、代わりに水面が広がっていきます。水は遠くへ行くほど青さを増し、やがて、銀の水平線で空とつながりました。晴れ渡る空と大海原に変わります。

 メールがゼンの胸に寄りかかったまま、つぶやくように言いました。

「父上の海の匂いがする……」

 吹く風は確かに潮の香りがしています。

「見て――!」

 とポポロが水平線を指さしました。盛り上がり、こちらへ向かってくる大きな波がありました。やがてそれが一台の戦車に変わります。二匹の大きな魚に引かれて海の上を走ってきます。驚くオリバンとセシルの隣で、あれは……とフルートが言いました。近づいてくる戦車に立派な姿の男の人が乗っていたのです。青い長衣を着て緑がかった青いマントをなびかせ、頭には金の冠をつけています。その髪とひげの色は青です。

 戦車は一同の前まできて音もなく停まりました。男の人が彼らを見ます。

「渦王」

 とフルートは言いました。西の大海を治める海の王で、メールの父親です。

 渦王はうなずくようにフルートを見つめ返し、娘に目を移しました。ゼンの腕の中で、メールはぐったりとしています。痛ましそうに目を細めて、渦王は言いました。

「愚か者が。だから旅立ってはならんと言ったのだぞ、メール」

 父上、とメールが言いました。本当に弱々しい声です。

 渦王が戦車から降りてきました。水の上を地面のように歩いてきて、ゼンからメールを受けとります。その広い胸の中で、メールは深い息をしました。見えないものを吸い込むように何度も呼吸を繰り返し、やがて父の胸に寄りかかります。

「楽になってきたよ、父上……」

 それを何も言わずに見つめてから、渦王はゼンに目を向けました。青ざめた顔に残っている涙の痕を見ながら、静かに言います。

「わかったな、ゼン? メールは海の民だ。海から離れれば、やがて弱って死んでいく。海の中の島では生きられても、そなたたちが暮らす陸では生きられぬのだ」

 ゼンがうなだれます。

 

 すると、渦王の服の胸をメールが握りました。弱り切った体と声で必死に訴えます。

「嫌だよ、父上……! あたいは絶対にゼンとは離れない……!」

「わかっている」

 と渦王は答えました。改めてゼンを見ながら言い続けます。

「わしたちと共に来るな、ゼン? メールと共に生きたいと思うならば、おまえが海へ来るしかないのだ」

 仲間たちは、はっとしました。何も言えなくなってゼンを見つめてしまいます。ゼンは海に変わった湖の中でうつむいていました。その背中で、命の次に大切なエルフの弓矢が白く光っています。

 けれども、ゼンはすぐに答えました。

「わかった、行く――。海に行って、渦王になってやる」

 ゼン! と声を上げたのはメールでした。

「そんな……! 北の峰はどうすんのさ!? あんたは猟師じゃないか……!」

 とたんにゼンが顔を上げました。馬鹿野郎! とメールをどなります。

「あんまり俺を見損なうな! 俺にだって――命より大切なものくらいあるんだからな!」

 メールはことばが出なくなりました。真剣な顔のゼンを見つめ、やがて、どっと泣き出します。

 

 すると、ゼンがフルートを振り向きました。青い顔をしていた親友へ、にやりといつものように笑って言います。

「心配すんなって。デビルドラゴンもちゃんと一緒に倒してやるからよ」

 そして、ゼンは改めて渦王を見上げました。

「海へ行って渦王になる――。それは約束するが、デビルドラゴンを倒してからだぞ。俺がいねえと、この馬鹿はすぐに願い石に頼ろうとするからな。それがこっちの条件だ」

「ほう。海の王相手に交渉か、ゼン?」

 と渦王が言いました。面白がるような顔になっています。その前でゼンは腕組みして見せました。

「デビルドラゴンを倒さなかったら、海だってヤツのものになっちまうんだ。あったり前だろうが」

「確かにな」

 と渦王は笑いながら答え、メールを抱いたまま戦車へ向かいました。

「一緒に来なさい、ゼン。他の勇者たちもだ。わしの島へ行くぞ」

 フルートたちはあわてました。あまりに急な話です。

 けれども、ゼンは水しぶきを上げながら岸へ駆け戻り始めました。

「渦王の島に行くぞ! メールだって、そこに行かなくちゃ元気にならねえんだからな!」

 フルートとポポロとポチとルルは顔を見合わせました。とまどったのは、ほんの一瞬でした。次の瞬間、フルートは言いました。

「よし、行くぞ! 次の行き先は、西の大海の渦王の島だ!」

 全員でゼンの後を追って岸へ駆け出します。

 ずっと成りゆきを見ていた金の石の精霊が、やれやれ、という表情で消えていきます――。

 

 ところが、オリバンとセシルがフルートたちを追いかけようとすると、渦王から声をかけられました。

「おまえたちは来ることができないぞ、人間の王子と王女」

 オリバンたちは驚いて振り向きました。渦王はメールを抱いたまま、戦車から二人を見ていました。

「おまえたちは海から受け入れられていない。船に乗れば海に出ることはできるが、どれほど進んでも、わしの島を見ることも上陸することもできないだろう。海はおまえたちの世界ではないのだ」

 フルートたちは馬から荷物を下ろしていましたが、渦王のことばに振り向きました。オリバンとセシルが茫然としています。

 フルートは静かに言いました。

「ぼくたちの馬をお願いします、オリバン。この子たちも一緒には連れて行けないから」

 オリバンはたちまちかっと顔を赤くしました。

「私も共に行くぞ――! 私だって勇者の一員だ!」

 フルートは笑顔で首を振りました。

「オリバンは未来の王様ですよ……。セシルはそのお妃様だ。オリバンたちが守らなくちゃいけないのは、ロムドやメイです。国を捨ててぼくらと来ちゃいけないんですよ」

 オリバンはことばに詰まりました。

 ゼンが笑って肩をすくめました。

「いい王様になれよ、オリバン。俺も渦王になれるようにがんばるからよ」

「いろいろありがとう、オリバン……」

 とポポロも精一杯の声で言いました。もう涙ぐんでいます。

 すると、ルルが言いました。

「セシルを幸せにしてあげなさいよ、オリバン。そして、二人で幸せになるの。そうじゃなかったら、承知しないんだから」

 ルル、とポチが笑顔になります。

 

 まだ水の中に立っていたユニコーンがセシルに話しかけてきました。

「そろそろ私が去る時間です。一人の王族が私を呼び出せるのは生涯に一度きり。あなたはもう私には会えません。友に救われた王女、幸せになるのですよ」

 セシルは聖獣を見つめ返し、それから岸辺を見ました。フルートとゼンとポチ、そして二匹の犬たちが、笑いながら自分たちを見ていました。

「うん、幸せにね、セシル、オリバン」

 とフルートは言いました。

「またいつか会おうな」

 とゼンも言います。

「行くぞ!」

 と渦王が告げると、戦車が海の上を動き出しました。引いているのは二頭の大きなホオジロザメです。メールを抱いた渦王の後ろで、青緑色のマントがはためきます。

 すると、水平線の向こうに白い筋が現れました。こちらへまっすぐに近づいてきます。

 ユニコーンが角の生えた頭を上げ、一声高くいななきました。しぶきを立てながら沖へ向かって駆け出します。

 フルートたちも岸から海へ駆け込みました。立ちつくすオリバンとセシルの脇を通りすぎ、二人に笑顔を送ります。

 沖から白いものが近づいてきます。大波です。その白い波頭が何百頭もの馬に変わっていきます。

「ワン、波の馬だ!」

 とポチが歓声を上げました。もう海底に足が届かなくなって、風の犬になって空に舞い上がります。ルルも変身して続きます。

 フルートたちは駆け続けました。迫ってくる波の馬に飛びつき、その背中にまたがります。勢いが激しすぎて乗り損ねたポポロを、フルートが捕まえて自分の馬の上へ引き上げます。

 少年少女たちを水の背に乗せて、馬たちはさらに岸へ駆けてきました。とどろきが激しく耳を打ちます。

 その迫力に、オリバンとセシルは思わず逃げ出しました。手をつなぎ、波に追われて岸へと走ります。

 ザザァーッっと波の馬がしぶきと共に岸へ駆け上がり、向きを変えてまた沖へ戻っていきました。ざわめく音の中に少年少女たちの笑い声が聞こえた気がします――。

 

 オリバンとセシルが岸から振り向いたとき、もう波の馬はどこにも見当たりませんでした。ユニコーンも消えていました。フルートや渦王たちの姿も……。

 彼らの前に広がっているのは、鏡のような水面の湖でした。向こう岸に黄色い葉をざわめかせる金陽樹の森が見えています。森のざわめきは、どこか海の潮騒に似ています。

 オリバンがうめくように言いました。

「馬鹿者……私を置いていきおって」

 セシルはオリバンを見上げました。二人とも全身ずぶ濡れになっていました。オリバンの顔を濡らしているのが水のしぶきなのか涙なのか、区別することはできません。

 セシルはオリバンに身を寄せ、銀の鎧を抱いて言いました。

「私がいる、オリバン……私が一緒にいる」

 オリバンは顔を歪めて彼女を抱きしめました。あふれてくるものをこらえながら言います。

「あなたに見せてあげよう……ロムド城の塔から見える景色を。春の牧場の緑、夏の小麦畑の金色、秋の豊かな彩り、冬の朝の静かな白さ……その中で暮らす人々の家並みと行きかう馬車、風が運んでくる彼らの声……。それが、将来私が守っていく国だ。私が一生をかけて、守り続けていくものなのだ」

 セシルはオリバンの胸に頬を寄せました。優しく答えます。

「あなたが愛する国だ。私も愛していこう……。私のメイと同じように。そして、あなたがしていくことと、あなたの国が行く先を、ずっと見守っていこう。あなたの隣で、ずっと……」

 抱き合う二人を日が照らします。

 輝く湖の彼方では、白と金の森が、風にいつまでもざわめいていました。

The End

(2009年3月3日初稿/2020年3月25日最終修正)

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク