全員が湖へ走りました。ゼンがフルートやオリバンを追い越して湖に駆け込み、ポポロからメールを抱き上げます。
「メール! メール! おい、しっかりしろ――!!」
呼びかけるゼンの腕の中で、緑の髪が力なく揺れています。
「急にまた倒れたの……! 普通に話してたのに……元気そうだったのに!」
ポポロが泣きじゃくりながら言います。
フルートは大急ぎで首からペンダントを外しました。金の石をメールに押し当てます。
ところが、メールは目を覚ましませんでした。気を失ったままです。
「起きねえぞ!」
とゼンがわめき、フルートは焦ってペンダントを確かめました。石は金色に光っています。癒しの力をなくしているわけではないのです。
「起きろ、メール! 起きろ――!!」
ゼンは必死で呼び続けました。メールを揺すぶるたびに水しぶきが上がり、ゼンをずぶ濡れにします。それでも、メールは目を開けません。
すると、彼らの隣に金色の少年が現れて言いました。
「ぼくの力では起こせない。このままだとメールは死ぬぞ!」
一同は息を呑みました。湖に駆け込んで来たオリバンとセシルも、岸辺まで来たポチとルルも、思わずその場で立ちすくんでしまいます。
フルートは金の石の精霊に食ってかかりました。
「起こせないって、どういうことさ!?」
「メールの生気が減りすぎてるんだ! ぼくの力でもどうしようもない!」
精霊の少年はいつになく焦った口調になっていました。それだけメールが危険な状態だということです。
「メール!! メール!!」
ゼンは必死でメールの右手を握りました。自分の持つ命の力を伝えようとします。けれども、メールの顔色はどんどん青ざめていきます。呼吸さえ浅く弱くなっていくのです。
「メール!!!」
仲間たちは声を合わせて呼びました。返事はありません。
すると、ポポロが立ち上がりました。緑の瞳を涙でいっぱいにして、大粒のしずくをこぼしています。それでも、ぎゅっと唇を一度結ぶと、両手をメールに押し当てて呪文を唱えます。
「ロキオルーメ!!」
とたんに湖にいた全員を、ハンマーで強打するような激しい衝撃が襲いました。フルートたちは思わず悲鳴を上げ、水際にいたポチとルルまでがギャン、と飛び上がります。
衝撃が過ぎると全員はまたメールを見ました。やはりメールは目覚めていません――。
セシルは湖の中に立って、茫然とその光景を見ていました。
さっきまで元気だった彼女が、何も言わずに物のようにゼンの腕の中に抱かれています。その顔がどんどん白くなっていきます。命の炎が今にも消えようとしているのです……。
「メール!!!」
ゼンとフルートとポポロがまた呼びました。全員泣き出しています。力尽きようとする彼女を引き止める方法がないのです。犬たちが夢中で湖に飛び込み、泳いでいきます。
「ワンワン、メール! メール!」
「メール! しっかりしなさいよ――!」
オリバンはセシルの隣に立ちつくしていました。ロムド皇太子の彼にもこの状況はどうすることもできません。真っ青な顔でメールを見つめています。
セシルはまた少年少女たちを見ました。全員が泣きながらメールにしがみついています。メール、起きろ! とフルートが呼び、ポポロが泣きじゃくり、泳ぎ着いた犬たちが必死でメールをなめます。ゼンは声も出せずにただ堅くメールを抱きしめていました。その腕の中で、メールの顔つきが変わっていきます。眠るように安らかな表情です……。
「オリバン」
とセシルはかたわらの青年に言いました。オリバンは返事ができません。
すると、セシルが続けました。
「さっき言っていた、長い物語を聞くことができなくなってしまった……。本当は聞きたかったけれど、時間がなくなった」
オリバンは驚いてセシルを見ました。セシルの声は、何故かとても静かだったのです。泣きじゃくる勇者の一行を見つめる顔がほほえんでいるように見えて、思わずとまどってしまいます。
男装の王女は足下の水に目をやりました。湖は澄み切っていて、底の小石混じりの砂まではっきり見えています。その中で揺らめく光の網目模様を眺めながら、ひとりごとのように話し続けます。
「そう……本当は何故なのかわかっていた……。私は自分が死ぬのが怖かったんだ。だから呼んでも現れなかった。でも……」
セシルはまた目を上げました。泣いてメールを呼ぶフルートたちを見ながら言います。
「彼らは誰一人として欠けてはいけない。誰がいなくなっても、きっとデビルドラゴンは倒せなくなる。世界を守るために、彼らは全員生きていなくてはならないんだ……」
オリバンはふいに不安になりました。セシルはまるで熱に浮かされてうわごとを言っている人のようです。それなのに、その美しい横顔は、とても落ち着いて見えるのです。
すると、セシルがオリバンを見ました。すみれ色の瞳で笑いかけて言います。
「嬉しかった。束の間、幸福な未来の夢を見ることができた――。そんなもの、私には許されていないと思っていたのにな」
「セシル!?」
オリバンは思わず彼女の腕を捕まえました。なんだか彼女がどこかへ行ってしまいそうに感じたのです。
とたんにセシルがオリバンの胸に飛び込んできました。背伸びをして、唇に唇を重ねます。突然のことにオリバンは驚き、思わず手を放してしまいました。
セシルは飛びのくようにまた離れると、オリバンにもう一度笑いかけました。
「愛していた、オリバン――」
過去形です。
オリバンはまた手を伸ばして彼女を捕まえようとしました。
けれども、それより早くセシルは背を向けると、広がる湖の沖へ向かって両手を差し伸べ、はっきりとした声で呼びました。
「おいで、聖なる獣! 契約に従って、私のところへやってくるがいい――!」
「セシル!?」
とフルートが驚いて振り向きました。ことばは違っていますが、湖で彼女がユニコーンを呼んでいた声と、まったく同じ響きだったのです。
とたんにポポロとルルも振り向きました。泣いていた顔で、いっぱいに目を見開きます。
「出てくるわ――!」
「嘘……どうしてあんな場所から……」
場所? とポチも振り向き、たちまちぎょっとしました。
両手を差し伸べていたセシルが、うめき出していました。抑えるように、自分の上半身を抱きしめます。その胸の真ん中が光り始めていました。セシルの着ている緑の上着が、輝くような白い色に変わっています。そこを突き破って、何かが飛び出してきます。
セシルは悲鳴を上げて身をよじりました。血は出てきませんが、苦痛の表情で胸を抱き続けます。その手を押しのけるように、何かが外に現れてきます。鋭く尖った長い角です。螺旋(らせん)の形にねじれています。
あ、あ、あ……とセシルはうめき続けました。体が大きく揺らぎます。オリバンはとっさに抱きとめようとして、見えない力に跳ね返されました。彼女に触れることができません。
フルートたちは茫然とそれを見つめました。長い角に続いて、金色のものが見えてきます。馬のたてがみです。
少年少女たちの隣に立っていた精霊が言いました。
「聖獣だ。古い契約に従って呼び出されてきた」
フルートたちは声も出せませんでした。
セシルの胸から現れようとしているのは、光り輝くユニコーンだったのです――。