フルートたちは森の中央の湖にいました。
小石だらけの岸辺にフルートとポポロ、ポチとルルが集まって、ゼンが湖に入っていく様子を見守っています。ゼンは両腕にメールを抱きかかえていました。岸から三、四メートル離れたところで、そっとメールを水の中に下ろします。
ちょうどそこへオリバンとセシルが到着しました。
「大丈夫なのか!? 水に入ったりして――!」
とセシルが驚いて馬から飛び下りたので、フルートたちがいっせいに振り向きました。湖の中でゼンが肩をすくめ返します。
「心配ねえ。こいつは半分海の民だからな。水の中にいるほうが元気になるんだ」
「うん、そういうこと」
水に腰まで浸かって座りながら、メールも答えました。周囲の水をかき混ぜて笑顔になります。
「冷たくていい気持ち……。海の浅瀬に座ってるみたいだよ。波と潮の香りがないのが、ちょっと物足りないけどね」
ナージャの森に戻ってきてから、メールは少しずつ元気になってきていました。癒やしの木と呼ばれる金陽樹が、メールにも良く働きかけているようです。風が吹くたびに金の葉がざわめき、すがすがしい香りであたりを充たします。
すると、メールがすくった水をゼンに向かって飛ばしました。
「そら、ゼン! あんたも水に入りなよ!」
「わっぷ。いきなりかけるな!」
「いいじゃん。一緒に泳ごうよ」
「馬鹿野郎、泳ぐな! まだ無理だぞ!」
二人が賑やかに言い合う様子は久しぶりでした。仲間たちが思わず笑顔になります。
オリバンも馬から下りてきて言いました。
「メールが旅に耐えられるくらい回復したら、ロムド城へ向かって出発する。そこでメールの病をしっかり治すのだ。おまえたちは、デビルドラゴンを倒すために、一人も欠けてはならないのだからな」
「ありがとう、オリバン」
とフルートは答えて、またメールを眺めました。メールはまるで人魚のように水の中に座り続けています。
やがて、ゼンがメールを残して岸へ戻ってきました。メールの様子に、一人にしておいても大丈夫そうだと考えたのです。
「腹減ってねえか? そろそろ昼飯の時間だ。ぱっぱと何か作ってやるぞ」
そこで、一行は森の中に戻りました。ポポロだけが岸辺に残り、石に腰を下ろしてメールとおしゃべりを始めます。
ゼンが火をおこす間に、フルートが話を切り出しました。
「オリバン、実はぼくたち、ロムドに戻ったら、白い石の丘に行こうかと思っているんです」
オリバンは目を丸くしました。
「ということは、賢者のエルフに会いに行くつもりか」
「聞きたいことがいろいろあるんです。メールの病気のこともだし、デビルドラゴンを倒す方法のことも――。もっと早く思いつくべきだったんです。あの人は白い石の丘にいて、世界中のいろいろなことを知っているけれど、こっちから訪ねていかないと、決してそれを教えてはくれないから」
すると、セシルがすまなそうな顔になりました。
「結局、私はデビルドラゴンを倒すためには、何の役にも立てなかったな……。ユニコーンだって、呼び出すことはできなかったし」
フルートは首を振りました。
「ユニコーンを呼び出すには、引き替えにセシルの命が必要だったんでしょう? そんなこと、できるわけがない。また別の方法を探しますよ」
「あったりまえだ。そんな馬鹿な真似をするヤツは、俺が思いきりぶん殴ってやるからな」
とゼンがにらんだのは、セシルではなく自分の親友でした。フルートが肩をすくめます。
「もうやらないったら。何度言ったらわかるんだよ」
「いいや、おまえは知らん顔して、時々とんでもないことしやがるからな。信用できねえ」
「もう絶対やらないって! ぼくにはポポロがいるんだからさ」
「お、言ったな、こいつ。ぬけぬけと。ポポロに聞かせてやる。おぉい、ポポロ、今フルートがな――!」
「馬鹿、やめろ! そんなこと言うなよ!」
急に賑やかになった少年たちを、湖から少女たちが呆れて振り向きます。
一人、意味がわからないでいたセシルに、オリバンが静かに言いました。
「我々が王族としての重さを背負っているように、あいつもまた勇者として重い定めを背負っているのだ。そのうちに、あなたにも聞かせよう。長い長い物語になるから、話すのにも時間がかかるのだ」
セシルはちょっと首をかしげ、やがて、わかった、とうなずきました。
「近いうちに聞かせてくれ。いくら時間がかかってもかまわない。私たちには、これからたくさんの時間があるのだから」
そう言って柔らかくほほえむセシルに、オリバンも笑顔になります――。
すると、一同が集まる場所から、すっとルルが離れていきました。何も言わずに森の奥へと歩いていきます。ポチがすぐに気がついて、後を追いました。
「ワン、どこへ行くんですか、ルル?」
「ただの散歩よ。ついてこないで」
つんつんした口調で、ルルは言いました。そのまま歩いていきますが、ポチがまた後を追いかけると、怒ったように振り向きました。
「ついて来ないでったら! 聞こえなかったの!?」
ポチは立ち止まり、首をかしげて言いました。
「一人のほうがいいですか、ルル? そのほうが泣けるから?」
ルルは一瞬ことばに詰まり、すぐに強く言い返しました。
「何を言ってるのよ、ポチ! どうして私が泣かなくちゃいけないの! ただの散歩だって――」
「ルルは、オリバンが好きだったんですよね」
とポチは言いました。またことばに詰まったルルを見ながら、静かに続けます。
「わかりますよ。だって、ぼくは匂いで気持ちが読めちゃうんだから……。最初ルルははフルートが好きだった。でも、ポポロがいるからそれをあきらめて、今度はオリバンを好きになった。だけど――」
ガウッと突然ルルがほえました。歯をむき出してどなります。
「黙んなさい、ポチ! 本当に生意気ね、あなた!」
ごめんなさい、とポチはうなだれました。怒られたからではありません。ルルの目に涙が光っていたからです。
ルルは泣き顔をそむけて、怒ったように言い続けました。
「子どもがわかったようなこと言わないでよ! 心の中では笑ってるくせに! 犬のくせに人間ばかり好きになってる、馬鹿なヤツだって! 絶対に報われるわけないのに、って!」
「ワン、そんなことは――」
けれども、ルルは顔をそらし続けていました。小刻みに震える体の向こうから、泣き声が聞こえてきます。
ポチは少し考え込み、静かにまた続けました。
「ワン、天空の国にいるもの言う犬は、きっと、とても人間に近いんですね。だから、犬じゃなくて人間が好きになっちゃうんだ……。ぼくは半分普通の犬だし、ルルより四つも年下だし。ルルがぼくをそういうふうに好きになってくれないのは、しょうがないことなんですよね……」
なんだか妙に明るくて悲しげな声でした。ルルが思わず振り向くと、ポチはそれを見つめ返しました。犬の顔でにっこり笑って見せます。
「ぼくは、ずっとルルの弟なんですよね。どんなにがんばったって、ルルより年上になんてなれないから。ぼくは本当にルルが大好きなんだけど――でも、やっぱりぼくは、ぼく以外のものにはなれないから。どうしようもないですよね」
自分より二回りも小さな子犬が急に大きくなった気がして、ルルはとまどいました。ポチは、まるで大人のような目をしています……。
すると、ポチが近寄ってきて、ぺろりとルルの顔の涙をなめました。笑うような声で言います。
「ワン、恋人とかにはなれなくたって、ずっと友だちではいられますよね? だって、ルルとぼくは同じもの言う犬だから。仲間同士なのは、ずっと変わらないですよね?」
ポチ、とルルはつぶやきました。子犬の声は明るすぎて、妙に空っぽに聞こえます。
けれども、ポチはルルに尻尾を振って見せました。
「ワン、元気出して、ルル。ルルにもきっと素敵な人は見つかるから。だって、ルルは本当はすごく優しいし、かわいいんだもの」
ルルは何も言えませんでした。何か言わなくてはいけないような気がしますが、言うべきことばが浮かんできません。子犬は尻尾を大きく振り続けていました。彼女を優しく見上げています――。
その時、湖から水音が響きました。続いてキャーッと悲鳴が上がります。ポポロです。
全員が驚いて振り向くと、ポポロがしぶきを立てて湖に駆け込んでいくところでした。その行く手に、今まで座っていたメールの姿が見当たりません。
ゼンは飛び上がりました。フルートとオリバンも駆け出します。
ポポロがかがみ込んで、水の中へ手を伸ばしました。泣きながら呼びます。
「メール! メール!!」
ポポロが夢中で水から引き上げたのは、目を閉じてぐったりしている緑の髪の少女でした――。