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第12巻「一角獣伝説の戦い」

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78.王族の務め

 静かになった玉座の間で、つと立ち上がった人物がいました。メイ女王です。部屋にいる面々をゆっくり見回して言います。

「礼を――言わねばならぬな、金の石の勇者とその仲間たち。そなたたちのおかげでメイは救われた。敵のはずの我々であるのにな。感謝する――」

 女王が豪華なドレスの裾をつまんで深々とお辞儀をしたので、フルートたちは仰天しました。意外なことに、とっさには返事もできません。ハロルド皇太子とセシルもびっくりしていました。メイ女王が誰かにこんなふうに頭を下げるところなど、先のメイ王が亡くなって以来、一度も見たことがなかったのです。

 母上……と皇太子が言うと、メイ女王は頭を上げて息子を見ました。一転して厳しい口調になります。

「そなたには失望した、ハロルド。何故、あの時ここから逃げなんだ。わらわと共にロダの魔法に倒れたら、メイは王を失うことになったのじゃぞ」

 皇太子はたちまち顔を真っ赤にしました。泣き出しそうになりながら言います。

「わ――私は母上をお守りしたかったんです! 母上をロダに殺されるなんて、我慢できませんでした!」

 すると、女王はいっそう強い口調で言いました。

「愚かなことじゃ、ハロルド。そなたは未来のメイ王。生き延びて国民を守ることこそ、皇太子としてのそなたの務めじゃ。親子の情に囚われてその役目を忘れるとは、まこと自覚に欠けておる。皇太子失格じゃ!」

 母に叱られて皇太子はうつむきました。悔しさと悲しさが涙になって頬を伝います。義母上! とセシルが思わず声を上げますが、メイ女王は返事をしませんでした。かたわらに倒れているテーブルに歩み寄り、散らばった物の間から何かを拾い上げます。泣いている息子には目もくれません。

 

 すると、ポチが首をかしげて言いました。

「ワン、素直に、ハロルド王子を死なせたくなかったんだ、っておっしゃればいいのに。親より先に子どもが死ぬなんてとんでもない、って考えてらっしゃるんでしょう?」

 メイ女王は眉をひそめてポチを振り返りました。

「そなたは口がきけるのか。だが、それは庶民の考えというもの。我々は王族じゃ。王室の存続こそ、我らには何より重要なこと。親子の情も世間の常識も、王室にはしばしば通じぬものじゃ」

「そうだろうか、メイ女王」

 と言ったのはオリバンでした。いつものように太い腕を胸の前で組んで言います。

「ポチは魔法の犬の血を引いているから、人の考えていることをかぎ取ることができるのだ。たとえ王族であっても、親は親だし子は子だ。王族の務めも、その情を完全に奪い取ることはできないだろう」

 メイ女王はオリバンをじろりと見ました。

「わかったようなことを言う若造よの……。わらわは我が夫のメイ王が不治の病をわずらったときに、母であることを捨てたのじゃ。メイはロムドやザカラスのような大国ではないが、東のサータマンと長年戦い、バルス海に面したルボラスの国や南西諸国からは、海の利権を常に狙われている。王が軟弱と思われれば、たちまち他国から蹂躙(じゅうりん)されてしまう。メイを守るために、わらわは母親をやめて女王となったのじゃ」

「ワン、それがハロルド王子を敵から守る、たったひとつの方法だったから」

 とポチがまた言いました。メイ女王が、図星を指されたようにたじろぎます――。

 フルートが穏やかに口を開きました。

「そうだね……。もしメイが他の国に攻め滅ぼされたら、ハロルド王子は真っ先に処刑されてしまう。メイ女王やセシルは女だから、恩情される可能性もあるけど、皇太子だけは絶対に見逃してもらえないからね。メイを守ることは、そのまま皇太子を守ることになったんだ」

 母上……とハロルド皇太子が女王を見つめます。女王は押し黙ったまま、何も答えようとしません。

 

 オリバンは苦笑しました。

「まったく、王室というのはどこもやっかいなものだな。だが、それを承知で国を守るのが王族だ」

 その口調にメイ女王がいぶかしむ目になって青年を見ました。

「そなた――まこと、わかったようなことを言うの。いったい何者じゃ?」

 オリバンは腕を組んだまま肩をすくめて見せました。

「私は金の石の勇者の仲間。ただそれだけの者だ」

 オリバン? とセシルがけげんそうに首をかしげます……。

 

 ふむ、とメイ女王はつぶやきました。自分の手に持っていたものを見ます。それは、一連の騒ぎが始まる前に女王が玉座で読んでいた書状でした。束の間考える顔になってから、セシルとオリバンへ目を移します。若い男女は黙ったまま見つめ合っていました。そこに漂うものは、二人の間の気持ちをはっきりと表しています。

 女王は、ざっと音を立ててドレスの裾を引き寄せました。命じる口調になって言います。

「エミリア、そなたに縁談が来ておる。これがその書状じゃ。申し出に従い、メイのために嫁いでゆくように」

 部屋の中の全員はびっくりしました。思わず声が出なくなったセシルとオリバンの代わりに、ゼンやメールが騒ぎ出します。

「縁談って――セシルに嫁に行けって言うのかよ!? そんな馬鹿な!」

「会ったこともないヤツのところに!? そんなの政略結婚じゃないのさ! そんな横暴、許せるかい!」

 すると、女王は言いました。

「今回のことではっきりわかったであろう。エミリアはメイにとって脅威の存在なのじゃ。ハロルドはこうして元気になった。成人した暁には、即位して次のメイ王となるであろう。わらわが女王でいるのは、それまでの間じゃ。だが、エミリアがこの国にいる限り、いつその存在を利用して、王室や国を乗っ取ろうとする輩が現れるかわからぬ。皇太子を取り込もうとして失敗し、エミリアを妻にしようとしたロダのようにの――。他国に嫁ぎ、メイとの同盟の使者となるがよい、エミリア。それが王族としての、そなたの務めじゃ」

 セシルは真っ青になっていました。オリバンも同じくらい青ざめて彼女を見つめます。他の仲間たちは口々に言おうとしました。そんなことって――そんな馬鹿なことって――!

 ハロルド皇太子が声を上げました。

「母上、それはなりません! 姉上にはもう約束された方がいる! それを引き裂くような非情は、メイ女王であっても許されません!」

 ハロルド、とセシルがさえぎりました。その顔は、いつの間にか静かな表情になっていました。

「それは違う。私たちは別に何も約束などしていないのだ……。義母上のおっしゃるとおりです。私は、このメイにいてはならない存在。ですが、私が嫁ぐことでメイの役に立てるというのであれば、私は喜んでどこへでも参りましょう」

 と女王に向かって深々と頭を下げます。騎士の格好をしてマントをはおったセシルは、胸に手を当てて男性のお辞儀をしていました。

「よう言った、エミリア。そなたも王族じゃ。つつがなく務めを果たすように」

 とメイ女王は鷹揚(おうよう)に言い、部屋の出口へ目を向けてさらに言います。

「誰も駆けつけて来ぬ――。魔王の魔法で騒ぎが隠されておったようじゃな。後始末をさせねばならぬ」

 書状を玉座に残し、立ちつくす一同の間を通り抜けて、部屋を出て行きます。毅然と頭を上げて進んでいく女王に、誰も何も言うことができません……。

 

 女王が部屋を出て行くと、フルートたちはいっせいにまた騒ぎ出しました。

「セシル!」

「んな馬鹿な話あるかってんだよ!」

「セシル、あんたホントに嫁に行くつもりかい――!?」

 セシルの前にオリバンが来ました。黙ったまま、じっと見下ろしてきます。セシルはうつむいていましたが、顔を上げると、オリバンを見つめ返して笑いました。

「楽しかったな……。いろいろあったが、金の石の勇者たちと共に戦うことができて、本当に楽しかった。一生忘れない――」

 セシルの声が揺れました。こぼれそうになったものを隠して、顔をそむけます。セシル! とオリバンが言います。

 セシルはまたほほえみました。

「おまえの言ったとおりだ。王室とはやっかいなものだな。だが、それを承知で国を守っていくことは、王族の務めだ」

「どこの国へ嫁ぐというのだ?」

 とオリバンが尋ねました。うなるような低い声です。

「おそらく、シドーだろう。南西諸国にある小国で、以前から私を皇太子の妻にと言っていた。嫁に行くなどとんでもないと、ずっとはねつけてきたのだが、確かに、同盟を結べばシドーは良い味方になる。悪い話ではない」

「あなたにとってはどうなのだ、セシル? あなた自身を望まれているわけではないのだろう」

 とオリバンは重ねて尋ねました。自分から目をそらし続ける彼女を、じっと見つめます。

 セシルはまた笑いました。

「大丈夫だ。私には、これがあるから――」

 とはおっていたマントに触れて見せます。オリバンが森で彼女に着せかけてやったものです。思わずことばを失ったオリバンに、セシルは言い続けました。

「王族は自分自身の想いで結婚を決めることはできない。国を守るため、王室を守るため、ひいては自分自身を守るために、王族としての務めは果たさなくてはならない。だが、たとえ王室でも、心まで変えることはできないからな。この心と思い出だけは、永遠に私のものだ」

 そして、セシルは黒いマントを自分の体に絡めました。オリバンに向かって、美しく笑って見せます。

 オリバンは何かを言おうとしてためらいました。自分の一存で結婚相手を決めることができないのは、オリバン自身も同じなのです……。

 

 すると、突然ハロルド皇太子が玉座から声を上げました。

「姉上! これをご覧ください――!」

 その手には、女王が残していった書状が握られていました。

「かまわない。読み上げろ」

 とセシルは答えました。その顔はオリバンへほほえみ続けています。でも……と皇太子はためらいましたが、姉にまた促されて書状を広げました。皇太子は書状に一度目を通していました。最初の部分は飛ばして、途中から読み始めます。

「――両国は長年、誤解と疑惑の下にあったが、今回、同盟国となる機会を得ることができた。長年のいさかいを忘れて新たな友情を結んだことを、両国民ならびに周囲の国々へ知らしめるためにも、貴国の王女が我が国の未来の王妃になることを希望する。エミリア・セシル・ガダ・ルフィニ姫を、我が国の皇太子オリバン・ロムディア・ウィーデルの后に迎えたく、本状をメイ女王に――」

 フルートたちは目を丸くしました。

「ロムディア・ウィーデル? なんだそりゃ?」

 と驚くゼンに、ポチが答えました。

「ワン、ウィーデルはロムド国の王族の名字、ロムディアってのはロムドの皇太子の称号ですよ」

「へぇ。おまえ、ずいぶんと偉そうな名前してたんだな、オリバン」

 とゼンが言ったので、腕に抱かれていたメールが吹き出しました。

「もう、ゼンったら――! 皇太子だもん、当然じゃないのさ!」

 

 セシルは、ぽかんとオリバンを見上げていました。ハロルド皇太子も同じく青年を見つめます。

「皇太子……?」

 とセシルが言いました。

「ロムド国の?」

 オリバンは額に手を当てました。うめくように言います。

「ユギルのしわざだ……。ずっと占盤で私たちを追っていたのに違いない」

 抑えた手の下で、その顔が真っ赤になっていきます。

 

 フルートがポチに尋ねました。

「メイ女王はオリバンの正体に気がついて、あんなことを言っていたの?」

「ワン、そうだと思います。部屋を出て行くとき、心の中で笑ってる匂いをさせていたから」

 と子犬が答えます。

「それじゃ、本当にあなたがロムドの皇太子だったんだ!」

 とハロルド皇太子が声を上げました。セシルのほうはもう何も言えなくて、ただ茫然としています。

 オリバンは顔から手を下ろすと、咳払いをひとつして言いました。

「我々は間もなくロムド城に戻ることになる――」

「あ? なんで俺たちまで一緒にロムド城に戻らなくちゃならねえんだよ? 俺たちは別に城に用事はねえぞ」

 とゼンが口をはさむと、オリバンがにらみました。

「馬鹿者、メールをそのまま旅に連れて行けるか。ユギルに占わせて、病気を治さなければならんだろう。――その時にはあなたにも一緒に来てもらう、セシル」

「な、何故私がロムド城に――」

 とセシルがまた驚くと、オリバンは言いました。

「あなたが私の未来の后だからだ。父上や城の者たちに、あなたを紹介しなくてはならない」

 セシルはたちまち真っ赤になりました。焦ってさらに言い続けます。

「そんな――! 私はおまえの妻になるとはまだ――」

「メイのためになら、どこの国にでも嫁ぐ、とあなたは言ったではないか。断る権利はないはずだぞ」

 セシルはさらに赤くなりました。そのまま怒ったように黙り込んでしまったので、オリバンは不安そうな表情に変わりました。そっと尋ねます。

「未来のロムド王妃は嫌なのか? ……私が嫌いだったのか、セシル?」

 フルートたちは思わず吹き出しそうになって、必死でそれをこらえました。ロムドの皇太子は大真面目でそう言っているのです。

 とうとう笑い出してしまったのはセシルでした。澄んだ笑い声をたて、オリバンを見上げて言います。

「嫌いなはずはない……嫌いなはずなど……絶対に」

 すみれ色の瞳が、笑いながら涙をこぼし始めました。美しく透き通ったしずくです。

 オリバンも笑顔になりました。大きな胸の中に、しっかりとセシルを抱きしめます。

 フルートとポポロ、ゼンとメール、ポチとルル、そして玉座からはハロルド皇太子が、そんな二人を見守りました。どの顔もいっぱいに笑みを浮かべています。

「これが、最後がよければ全部上出来、ってやつかぁ?」

 とゼンが言うと、メールが笑いました。

「終わりよければすべて良し、だよ、ゼン」

 

 終わりよければすべて良し。

 そのことばを、彼らは心の底からかみしめていました――。

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