メイ女王は城の玉座の間にいました。立派なドレスと短いベールを身につけ、ベールの上に冠をかぶって、玉座に着いています。絶世の美女ではありませんが、とても聡明な顔立ちをした中年の女性です。
玉座の間は彼女の執務室なので、城や国の知らせはすべてここに届きます。女王は、先刻届いたばかりの書状を見ていました。何度も何度も読み返し、やがてそれをかたわらの小さな机において、ふむ、と考え込みます。
すると、その目の前に突然長い衣を着た男が姿を現しました。うやうやしく一礼してから言います。
「恐れながら、女王陛下。ロダが先ほどから姿を消しております」
「ロダが?」
女王は眉をひそめました。目の前にいるのは、先に彼女がロダの監視を命じた魔法使いです。
「何故じゃ。奴はどこへ行った?」
「わかりません。我々魔法使いが全力で探しても、城の内外にロダを見つけることができません」
それを聞いて、メイ女王は片手の指先を唇に押し当てました。考える顔になります。
「怪しいの……。あの野心家が何か企んでいるようじゃな」
そこへ、今度は扉を開けて、別の家臣が飛び込んできました。
「女王陛下! 城に侵入者です! 都の外から来た二頭の馬が城の中庭まで入り込み、そのまま行方をくらましています!」
女王は表情を変えました。
「見張りはどうしていたのじゃ!? メイの兵はそんなにもたるみきっておったのか!?」
厳しく叱責されて、家臣は平身低頭しました。
「城門の守りはいつも通りでございました。昼間なので跳ね橋は下ろしてありましたが、内門は閉じて、衛兵が五人体制で城に入るものを確認していました。その衛兵たちをなぎ倒し、力ずくで門をこじ開けて侵入したのです」
「馬は二頭だと言わなんだか。敵は何名ほどじゃ」
「三名――しかも少年が一人、少女が二人だと、衛兵から報告が――」
さすがのメイ女王も、その報告には驚いて、すぐには返事ができませんでした。控えていた魔法使いが言いました。
「魔法の気配がいたしますな。その子どもたち、見た目通りの連中ではございませんぞ」
「ロダの手の者か」
と女王は、しごく自然な誤解をしました。城中の衛兵たちに出動を命じようとします。
すると、そこへさらにもう一人の家臣が飛び込んできました。
「大変です! ハロルド殿下の寝室がエミリア王女の一派に襲撃されました!」
女王は玉座から立ち上がりました。険しい顔つきになってどなります。
「エミリアがじゃと!? そんな馬鹿な!」
「二人の戦士を連れてハロルド殿下の暗殺に来たのです! 衛兵を振り切って逃亡しました。現在行方を追っていますが、まだ見つかりません!」
「ここでも行方不明か――」
と女王は言い、改めて家臣に尋ねました。
「して、ハロルドは? エミリアに殺されたか?」
母親だというのに、怖いほど冷静にそう尋ねます。それが――と家臣が答えようとしたとき、扉を開けて四人目の人物が部屋に入ってきました。白い夜着を着た少年です。女王は、びっくりした顔になりました。それは、危篤に陥っているはずのハロルド皇太子自身だったのです。
「母上、今すぐ姉上の追跡をおやめください!」
と皇太子は叫びました。顔も体もすっかり痩せ衰えていますが、自分の足で立ち、しっかりした声で呼びかけています。
「姉上は私の命を狙ったのではありません! 私を守ってくれたのです! 私を殺し、メイを我がものにしようとしているのは、ロダです!」
女王は疑うように息子を見つめました。再び玉座に座って言います。
「そなた、本当にハロルドか? 何故、瀕死の淵から戻ってきた?」
女王は冷静でした。息子が元気になって現れても、抱きしめるでも、泣いて喜ぶでもありません。けれども、皇太子のほうでも、そんなことを気にしている余裕はありませんでした。
「この城に金の石の勇者たちが来ているのです! 彼らが私を助けてくれました! 姉上と共に真の敵を倒そうとしているのです!」
「金の石の勇者が?」
と女王はまた眉をひそめ、ちらりとかたわらのテーブルを見てから続けました。
「真の敵とはロダのことか?」
皇太子は首を振りました。
「ロダは利用されているだけです! このメイや世界を滅ぼそうとしている本当の敵は、闇の竜のデビルドラゴンです――!!」
すると、玉座の間に男の声が響きました。
「これは聞き捨てならんな、王子。私は利用されているのではない。闇の竜を従えているのだぞ」
部屋の中央に男が現れました。高いわし鼻に白髪まじりの長髪、赤黒い長衣を着たロダです。高い天井に頭が届くほど巨大な姿になっています。
家臣たちが驚いて後ずさる中、女王は玉座に座り続けていました。冷ややかな目で見上げて言います。
「ずいぶんとあさましい姿になったものじゃな、ロダ。まるでそなた自身が怪物のようではないか」
「黙れ、女!」
とロダが居丈高に言いました。
「私は闇の竜の力を手に入れて魔王になったのだ! もう貴様の命令など聞かん! 貴様たちをひねりつぶして、この国と世界をいただいてやる!」
「闇の竜――それがそなたに入れ知恵をしていた者の正体か。そして、今はそなたの内にいるのじゃな。闇に魂を売り渡して力を得るとは、まこと愚かなことじゃ」
メイ女王は確かに賢い女性でした。皇太子とロダの話からそれだけのことを瞬時に理解します。
ロダは血の色の目で女王を見据えました。にやりと笑った口の端から、鋭い牙がのぞきます。
「私は世界の王になるのだ。死ね、メイ女王――!」
声と共に爪が長く伸びた手を振り下ろしてきます。
そこへ、先の魔法使いが飛び出してきました。女王と皇太子の前で両手を広げると、魔法の壁が広がり、ロダが撃ち出した魔弾を受け止めます。玉座の後ろに控えていた魔法使いたちが、いっせいに魔法をロダへ繰り出し、部屋の端からは剣を抜いた衛兵たちが飛び出してきます。玉座の間には、そんなふうに、女王を守る家臣が常に控えているのです。
ところが、ロダは飛んできた攻撃魔法をすべて打ち砕きました。さっと手を横に振ると、強風にあおられたように魔法使いと衛兵が床に倒れます。さらにその手に力を込めると、衛兵たちが一瞬で血と肉の塊に変わりました。魔法使いたちはかろうじて圧死をまぬがれましたが、抑え込まれて動けなくなります。ロダがまた手を一振りすると、扉が音を立てて開いて、魔法使いたちを外へ吐き出してしまいます――。
血の海になった玉座の間に、メイ女王とハロルド皇太子だけが残りました。女王は青ざめていましたが、それでも玉座から動こうとはしません。
ロダが言いました。
「そこを私に明け渡せ! 今日からは私がメイ王だ! その玉座と王冠は私がいただくぞ!」
すると、女王は言い返しました。
「それはできぬ。ここはメイを守る者だけが座る場所じゃ! そなたに渡すわけにはゆかぬ!」
ハロルド皇太子は思わず母を振り向きました。メイ女王は玉座の肘置きを握りしめ、胸を張って、巨人のようなロダをにらみつけています。
ロダがまたにやりと笑いました。笑うたびに口の端から牙がのぞきます。
「では、貴様を吹き飛ばして、その椅子をいただく。覚悟するがいい」
と女王へゆっくり手を向けます。
すると、女王が皇太子に言いました。
「この場所から逃げや。そなたまでが死んでは、メイの王がいなくなってしまう。そなたが死ぬことはならぬぞ」
意外なことばに皇太子が驚いていると、女王がどなりました。
「行くのじゃ、ハロルド! 王家の血を途絶えさせてはならぬ! 逃げて勢力を集め、メイを守れ! それが王族の務めじゃ!」
とたんにロダが笑いました。
「逃がしはせん。貴様たちをまとめて血祭りにあげ、その死体を全国民の前にさらしてやる。王室のことなら心配はいらん。私がエミリア王女を妻にめとって王になってやる。王家の血は途絶えんわ!」
姉の名を出されて、皇太子はたちまち、かっとなりました。自分の何倍もある巨大なロダへ大声で言い返します。
「姉上を貴様なんかに渡すものか! 姉上もメイも母上も――おまえには絶対に渡さないぞ、ロダ!!」
痩せた両腕を広げて玉座の前に立ち、後ろに女王をかばいます。今度は女王が目を見張ります。
「どくのじゃ、ハロルド! 早く逃げい!」
ロダは耳障りな声で笑い続けていました。
「貴様に何ができる、死に損ないの王子! 今度こそ、母親もろとも、本当にあの世へ送ってやるわ!」
皇太子と女王に向かって手を向けてきます。ハロルド! と女王が叱るようにどなりますが、それでも皇太子は動きません。
ロダの手から黒い魔弾が飛び出します。
すると、二人の前で魔弾が砕け散りました。思わず目をつぶった皇太子には届きません。その前に、淡い金の光が壁のようにそそり立っています――。
入り口から玉座の間に躍り込んできたものがありました。見上げるように巨大な狐です。床をとんと蹴ってまた宙に飛び上がり、空中で向きを変えて玉座の前に舞い下ります。
その背中に乗っていたのは、金髪と黒いマントをなびかせたセシルと、金の鎧兜に身を包んだフルートでした。セシルが声を上げます。
「寝言は寝ているときに言え、ロダ! おまえの妻など死んでもごめんだ!」
フルートが大狐の背中から飛び下りました。全員の一番前に立ち、ロダに向かって叫びます。
「そこから立ち去れ、デビルドラゴン! メイも世界も、絶対におまえの思い通りにはさせない!!」
突きつけたペンダントの真ん中で、金の石が輝きました――。