「金の石!!」
とフルートは歓声を上げました。金の石の精霊のほうは、にこりともしません。
「まったく君は……どうして、ぼくがいないといつもそうなるんだ。おちおち休んでもいられないな」
フルートは思わず笑いました。
「復活してくるのが遅いよ……本当に砕けたのかと心配したじゃないか」
「あれしきの魔法で、ぼくがどうにかなるもんか。ぼくは、ものじゃない。力を失って砕けたときには、存在も残さず消滅してしまうさ」
「それにしては、本当に復活に時間がかかったではないか、守護の」
と別の声がして、背の高い女性が姿を現しました。赤い髪とドレスの願い石の精霊です。
金の石の精霊は、たちまちむっとした顔になりました。
「ぼくのせいじゃない。フルートが、よりにもよって、ぼくを守ろうとなんかしたからだ。守りの石を守ってどうする。ぼくは、人を守ろうとする心から力を得る魔石なんだからな」
「ちぇ。じゃ、ぼくのせいだって言うのか――?」
とフルートは言いました。元通り元気な姿と声の金の石に、ほっと胸をなで下ろします。
そこに隙ができました。
皇太子の体が突然光りました。黒い輝きが爆発するように広がり、フルートを吹き飛ばします。
けれども、また淡い金の光が広がりました。フルートを受け止め、ふんわりと床に下ろします。
「無茶をするでない、守護の。そなたはフルートから離れているのだぞ」
と願い石の精霊が言うと、ふん、と精霊の少年はそっぽを向きました。
「この程度はなんでもない」
「困った性分なのは、フルートもそなたも同じだな……。ペンダントを復活させる力もないくらい弱っているというのに」
「なんだと!?」
腹を立てる少年を無視して、赤いドレスの女性は片手をかざしました。金の石の本体と、ばらばらに砕けたペンダントが落ちている真上です。とたんに金の透かし彫りと鎖がつながり合い、真ん中に金の石を収めた元の姿に戻りました。
「何をする、願いの。そんなことは頼んでいないぞ」
「無様な姿が見ていられないだけだ。それに、ペンダントになっていなければ、フルートもそなたを持ちにくくて困るであろう」
さっと女性が手を振ったとたん、金のペンダントが宙を飛んでフルートの手元に飛び込みました。たちまちフルートの全身から痛みと傷が消えていきます。
「ありがとう、願い石」
「余計なことをするな!」
感謝と文句をそれぞれに言う少年たちに、願い石の精霊は、ふん、と鼻で笑いました。赤い光に包まれて見えなくなっていきます――。
金の石の精霊は、怒った顔のままフルートに言いました。
「さっさとデビルドラゴンを追い払うぞ。ぼくをあいつに向けろ」
「わかった」
フルートは跳ね起き、ペンダントをかざしました。向けた先は、ベッドの上にいる皇太子です。
皇太子はまだ黒い光に包まれていました。その中から、わき起こるような声が聞こえてきます。
「我ヲココカラ追イ出スト言ウノカ。コレヲ見テモ、ソレガデキルカ?」
黒い光の中に、ひとつの光景が浮かび上がってきました。緑の森の中です。木々をくぐり抜け、藪を飛び越えて二頭の馬が駆けていきます。その背に乗っているのは――
「ゼン! ポポロ!」
フルートは思わず声を上げました。そこは金陽樹の揺れるナージャの森ではありませんでした。木や茂みやツタが入り組んで生い茂る場所です。ゼンが乗った馬と、ポポロが乗った馬が、障害物を避けながら必死で駆けています。ゼンは前にメールも抱きかかえています。
彼らの後ろを追ってくるものがありました。木々をへし折り、藪を潰して迫ります。それは鉄の防具を着けた象でした。大きな戦車を引いています。
思わず息を呑んだフルートたちに、デビルドラゴンの声が言いました。
「彼ラハ間モナク象戦車ノ餌食ダ。我ガアノ場所ニ、チカラヲ送リ込ンデイルカラナ。金ノ石ヲ捨テロ、ふるーと。ソレトモ、目ノ前デ仲間ガ象ニ踏ミツブサレテ死ヌ様子ガ見タイカ?」
ゼンたちは森の中で倒木に行く手をふさがれていました。あわてて迂回していきますが、そこでもまた藪に出くわして、さらに方向を変えます。象戦車は、木も茂みも押しつぶして追ってきます。
すると、彼らの前に川が現れました。森を横切って流れています。ゼンたちが躊躇していると、後ろに象戦車が追いついて来ました。八頭もの象が、ずらりと後ろに並び、蛇のような鼻をもたげて、バオォ、と鳴きます。
とたんに、二頭の馬は川に飛び込みました。流れに足を取られながら、川を渡り始めます。
水際まで進んだ象から、象使いたちが矢を撃ち始めました。ゼンやポポロたちを狙って、次々と飛んでいきます。
「やめろ!!」
とフルートは真っ青になって叫びました。川の流れは急で、馬はなかなか前へ進めません。水の中でもたついているところを、矢が狙い撃ちしてくるのです。ポポロが泣きそうになりながら、自分の前の籠に何か言っている様子も見えます。籠の中にルルもいるのに違いありません。
「ヤメテホシケレバ、金ノ石ヲ捨テロ」
とデビルドラゴンは繰り返しました。
「連中ニハ何ノ守リモナイ。急ガナケレバ、連中ハ死ヌゾ」
同じ光景を、ポチやオリバン、セシルも見ていました。緊迫した場面に、声も出せません。象使いが長弓から放った矢が、ゼンめがけて飛んでいきます――。
けれども、それは森から飛んできた花の群れにたたき落とされました。メールがゼンの前で手を伸ばしています。花に守られながら、馬たちは川を渡りきります。
「無駄ナ抵抗ダ」
とデビルドラゴンが言ったとたん、光景の中で花が力を失って落ちました。川に押し流されてしまいます。
象戦車が川を渡り始めていました。力の強い象たちです。流れに逆らって、ぐいぐいと進んでいきます。対岸に上がったゼンたちが、また必死で逃げ始めます――。
その時、フルートが突然叫びました。
「ポポロ! 川だ! 川を使え――!!」
それは遠く離れた場所の光景です。彼らの間にははるかな距離が横たわっているのに、まるで目の前にいるように、フルートは呼びかけます。
すると、ポポロが急に馬を止めました。耳を澄ます様子になり、引き返してきたゼンに何かを言います。
「余計ナコトヲスルナ!」
皇太子からまた黒い魔弾がフルートへ飛んできました。金の石が光ってそれを砕きます。
その間にポポロが片手を上げていました。声は聞こえてきません。けれども、彼女が呪文を唱えたのが、フルートたちの目には、はっきりとわかりました。唱え終わると、ゼンと一緒にまた逃げ出します。
すると、上流からすさまじい量の水が押し寄せてきました。渦巻き、しぶきを上げながら川を駆け下ってきて、たちまち両岸の木々を呑み込み、川の真ん中にいた象たちを押し流してしまいます。象たちが戦車や象使いと一緒に水の中に見えなくなっていきます――。
森と川の光景が消えました。馬で駆けるゼンやポポロも見えなくなり、黒い光がかげろうのように揺れる中、ベッドに起き上がった皇太子だけが残ります。ヨクモ、と地の底から声が響きます。
フルートは皇太子の前に立ち、金の石をかざして叫びました。
「光れ、金の石!」
まばゆい金の光がほとばしり、皇太子を照らします。
ところが、それは黒い光の壁にさえぎられました。皇太子が目を光らせてフルートをにらみつけています。
「サセヌゾ。皇太子ハ我ノモノ。我ガ手足、我ガ下僕。オマエタチニハ渡サヌ」
黒い闇の障壁を張っているのは皇太子自身でした。内に宿るデビルドラゴンの力で、金の石から身を守っているのです。
フルートは言いました。
「闇の壁を消せ、ハロルド王子! 金の石の光を受け入れるんだ! 君は闇じゃない! 魔王になんか、なっちゃいけないんだ――!」
けれども、皇太子は別の人々を見つめていました。傷つきあえいでいるオリバンと、それに肩を貸して支えているセシルです。激しく頭を振り、また泣き笑いするような声を出します。
「嫌だと言っているんだ……! 姉上は私のものだ! 他の誰にも渡さない!」
突然見えない手が動いたように、オリバンとセシルが左右に突き飛ばされました。二人とも床に倒れ、その拍子に傷をしたたかに打ってオリバンがうめきます。
「ハロルド王子!」
とフルートはまた叫びました。もう一度金の光を浴びせますが、やはり闇の障壁に防がれてしまいます。
「ソウダ」
とデビルドラゴンが言いました。
「邪魔ナ男ヲ消セ。オマエノ大切ナ姉ヲ取リ戻スノダ。我ガオマエニチカラヲ貸シテヤル。我ヲ受ケ入レヨ、王子」
ばさり、ばさりと空を打つ音が、再び聞こえていました。見えない闇の竜が部屋の中で羽ばたいているようです。皇太子の周りの黒いかげろうが、いっそう濃くなっていきます。
フルートは駆け出しました。金の石の光に守られながら、闇の障壁の内側に飛び込もうとします。
ところが、そのとたん、黒い壁が輝きました。フルートは跳ね飛ばされ、その拍子に手からペンダントが離れてしまいました。床の上に転がった金の石が、一瞬光を失って暗くなったので、フルートは目を見張りました。願い石の言うとおり、金の石は弱っていたのです。石はすぐに金色に戻りましたが、その光は、先よりも薄ぼんやりしたものになっていました。精霊の少年もいつの間にか姿を消しています。
「サア、今ダ。アノ男ヲ殺セ」
デビルドラゴンの声に誘われて、皇太子が片腕を上げました。床に倒れているオリバンへ手を向けます。その指先は、闇の光を帯びて黒く染まり始めていました――。