ルルは宿舎に向かってほえ続けました。時々、人の声になって呼びかけます。
「急いで! 軍勢は間もなく森に到着するわよ! 騎馬隊だわ!」
白い鎧兜を身につけた女騎士たちが、宿舎や駐屯地のあちこちから駆けつけてきました。タニラが尋ねます。
「軍勢の規模は!? どんな旗印を掲げている!?」
黒い長衣の少女がそれに答えました。
「だいたい百人……メイの旗の他に、緑色の鳥の旗も見えるわ」 少女は手を組み、遠いまなざしを西の方向へ向けていました。魔法使いの目で透視しているのです。
「緑の金糸雀(きんしじゃく)か。第十八部隊だな! メイ女王の直轄部隊だ!」
女騎士たちが次々と馬にまたがる中、タニラも自分の馬に飛び乗って声を上げました。
「女王の狙いはこのナージャの森! セシル隊長の城を絶対に女王に渡すな!」
おう! と女騎士たちが答え、馬がいっせいに駆け出しました。赤いメイ軍のマントをひるがえしながら、敵が迫る森の外れへ向かっていきます。
「ポポロ、私たちも行きましょう!」
とルルが言っているところへ、メールを抱いたゼンが駆けつけてきました。
「馬だ! 俺たちも馬で行くぞ!」
後ろからゼンの馬とポポロの馬がついてきていました。ポポロがルルと馬に乗る間に、ゼンもメールを抱いたまま黒星にまたがったので、ルルがあきれました。
「ちょっと。大丈夫なの、ゼン?」
「こいつが言うこときかねえんだよ。しょうがねえだろ」
「あたりまえさ。置いてきぼりなんか、絶対に許さないからね!」
とメールがすかさず答えます――。
ゼンたちが森の外れへ駆けつけたとき、ちょうど荒野の向こうから敵の軍勢が姿を現しました。土煙と共に騎馬隊がこちらへ駆けてきます。見張りに立っていた数人の女騎士が、驚いたようにタニラと話していました。
「どうしておわかりになったんですか、副隊長? 私たちでさえまだ見つけられずにいたのに」
「勇者が残していってくれた助けのおかげだ」
タニラはポポロのことをそんなふうに言って、迫ってくる敵へ目を凝らしました。
「武器は抜いていない――すぐに攻撃をしかけてくるつもりではないらしいな。まずは交渉する気か」
「どうします?」
とジュリエットという女騎士が尋ねます。彼女はタニラを補佐する副々官なのです。
「隊長の不在を知られると不利だ。ナージャは我々が守っていると主張して、先方の交渉は拒否する。おまえたちは隊長が奥にいるようにふるまえ」
「了解!」
女騎士たちが答えます。
やがて森の前で軍勢が止まりました。ポポロが言っていたとおり、総勢百騎ほどの騎馬隊です。十文字の上に城を配したメイの旗の他に、緑色の鳥の旗もひるがえっています。
部隊の中から伝令を知らせる白い旗を掲げた騎兵が三名ほど出てきました。立派な様子をした男が声を張り上げます。
「女王陛下からの勅令を伝える。今この瞬間をもって、第三十二部隊はナージャの森の警備から解任されることになった。ただちに王都へ戻り、次の任務に備えるように!」
タニラは馬に乗ったまま一番前に進み出て答えました。
「我々はナージャの女騎士団! 我々に命令できるのは、メイ王とセシル隊長のみ! その命令は受けられない!」
「これはメイ国王となられた女王陛下の勅令である! 直ちに従うように! エミリア王女はいずこにあられる!?」
「メイ女王が真のメイ王でないことはわかっている! わざわざ隊長をここにお呼び立てするまでもない! 直ちに帰られよ!」
「な――なんと! 正式に即位された女王陛下に逆らうつもりか!? メイ国への反逆だぞ、女騎士団!」
「誰も知らぬ間に王冠を譲り渡したところで、それが正式な即位のはずはない! それでもメイ女王が本当のメイ王だと言い張るのならば、女王自身がナージャまで出向いて命じるがいい! それがセシル隊長のお返事だ!」
タニラはメイ城からの伝令相手に一歩も譲りませんでした。伝令がいらだちながら、またそれに言い返します――
「んなこと言って、本当に女王が出てきたらどうするんだ?」
とゼンが仲間たちに言うと、腕の中でメールが肩をすくめました。
「それはありえないよ。一国の女王が、こんなところまで出てくるもんか。タニラさんだって、それを承知で言ってるんだよ。無理な注文をして、セシルが戻ってくるまでの時間を稼ごうとしてるのさ」
戦いを前にして、メールはさっきよりずっと元気そうな様子になっています。
ルルがクレラの籠から伸び上がって言いました。
「一応、話し合いで解決しようとしているみたいね。様子を見ていて動かないわ」
けれども、話し合いが難航して長引けば、軍勢がいっせいに森に攻め込んでくるのは明らかです。
すると、ポポロが急に、はっと息を呑みました。はるかな目を西の方に向けながら言います。
「送り込まれてきたのはこの軍隊だけじゃないわ……まだ遠いけど、後ろにも部隊がいるのよ。象戦車よ」
仲間たちは驚きました。赤いドワーフの戦いのときに、メイがジタンに送り込んできた象戦車を思い出します。大きな耳と長い鼻の巨獣は、木も人も踏みつぶして突進してきたのです。
「象は一頭じゃないわ。……八頭……ううん、九頭もいるわよ。みんな鉄の戦車を引いてるわ」
とポポロが言ったので、仲間たちは思わずうめきました。
「だよね――。ここはメイの本国だもん。象戦車だってすぐ出動させられるに決まってる」
とメールが言います。
「どうするの? 女騎士団に知らせる?」
とルルが尋ねると、ゼンは難しい顔で考え込みました。女騎士団に知らせたところで、今こうして女王の軍勢と交渉中なのですから、象戦車を迎撃に出ることはできません。かといって、ただ待っていれば、象戦車が到着してしまいます。象戦車がナージャの森に突入すれば、いくら勇猛な女騎士団でもひとたまりもないでしょう。
すると、ポポロが行く手を見つめて言いました。
「あたしが行く」
と馬の手綱を握り直します。行くって、と仲間たちが驚くと、ポポロはきっぱりした口調で続けました。
「あたしが行って――魔法で象戦車を停めるわ。それしかないもの」
たちまち森の外へ向かって駆け出します。ゼンとメールは驚きました。
「お、おい、ポポロ!?」
「一人じゃ無理だよ!」
けれどもポポロは立ち止まりません。馬に乗って駆けていく少女は、いつの間にか魔法使いの黒い服から、乗馬服に革の胸当てをつけた戦姿に変わっていました。
「ゼン! あたいたちも早く!」
とメールに言われて、ゼンは迷いました。いくら元気そうに見えても、メールは血の気のない青白い顔をしています……。
もうっ! とメールは声を上げました。
「あんたが行かないなら、あたいだけで行くよ! 放しなよ!」
とゼンの腕の中で身をよじり、馬から下りようとします。ゼンはあわててそれを抱き直しました。
「馬鹿、無茶するな……! わかったよ! 行くから、しっかりつかまってろ!」
片腕でメールを抱いたまま黒星を走らせ、すぐにポポロに追いついて言います。
「気をつけろよ! 女王の軍勢が襲ってくるからな!」
うん、とポポロはうなずきました。疾走する馬を停めようとはしません。
ナージャの森から飛び出した二頭の馬を、女王の軍勢と女騎士団の両方が見つけました。タニラたちがたちまち顔色を変えます。
「あれは……!」
飛び出していったのが勇者の少年少女たちだと、一目でわかったのです。彼らがどこかへ向かおうとしていることにも、すぐに気がつきます。
「どうします、副隊長!?」
ジュリエットが焦って尋ねました。女王の差し向けた軍勢が、ポポロたちへ動き出すのが見えていたのです。
タニラは一瞬考えると、自分も前へ駆け出し、すぐに立ち止まって敵へどなりました。
「そいつらは脱走者だ!! 頼む、捕まえてくれ――!!」
たちまち敵の軍勢が停まりました。冷笑しながらタニラを見ます。
「臆病風に吹かれた連中を、どうして我々が捕まえてやらなくちゃならん。自分たちでやれ」
タニラの目配せを受けた女騎士二人が森から駆け出しました。馬でポポロたちの後を追います。女王軍の騎兵たちは、それを眺めるだけで、手を出そうとしません。
「へっ、考えたな」
とゼンが後ろを振り向きながら笑いました。二人の女騎士は、懸命に後を追うふりをしているだけで、決して追いついてきません。ゼンたちを先へ逃がそうとしているのです。
軍勢が見守る中、少年少女を乗せた馬はその脇を駆け抜け、とうとう荒野の彼方へ走り去ってしまいました――。