ナージャの森に夜明けが訪れていました。
暗かった空が明るくなって青みを帯び、雲がバラ色に輝き始めています。日の出直前の朝の光が、音もなく空を渡っていきます。
そんな様子をポポロは森の中から見ていました。薄暗い森の中も、次第に明るさを増しています。鳥たちの歌声が賑やかになっていきます。
すると、日の光が梢の先を照らしました。森の中からは見えませんが、ついに地上に太陽が姿を現したのです。空がみるみる青くなり、朝焼けが薄れていきます。ひやりとする空気の中、すべてのものがくっきりと姿を現し始めます。
ポポロは両手を前に差し伸べ、腕を広げて目を閉じました。森の中へ下りてきた朝の光が、その上にも降りそそぎます。すると、青い上着に白いズボンの乗馬服が、たちまち色と形を変え始めました。そこにだけ夜が留まったような黒い長衣になり、朝日を受け止めてきらめき始めます。
すると、足下からルルが言いました。
「魔法は回復した?」
「ええ」
とポポロは目を開け、にっこりとうなずいて見せました。朝日が昇って、ポポロの中にまた魔力が戻ってきたのです。
「これでもう大丈夫……。夜の間にメールがまた倒れたらどうしようって、本当に心配だったのよ」
「そうね。落ち着いていてよかったわ」
とルルは後ろを振り向きました。白と金の森の中に、丸木作りの建物がいくつも並んでいます。ここは女騎士団の宿舎のすぐそばなのです。メールは宿舎の中にいました。
「それにしても、どういうことなのかしらね?」
とルルはまた言いました。
「どうしてあんなに何度も倒れるのかしら? 今まではこんなことなかったのに。本当にデビルドラゴンのしわざかしら?」
「闇の魔法や呪いの気配は全然感じないのよ……。セシルが一緒にいた間もそうだったわ。生気を奪う怪物が取り憑いている気配もしないし。どういうことなのか、あたしにもわからないわ」
「フルートが金の石を取り戻してきたら、メールも元気になるかしらね?」
そうなってほしい、と願う口調でルルが言いましたが、ポポロには答えることができませんでした。明るい空の下、一人と一匹は心配そうに宿舎を見守りました。
その宿舎の中でメールは目を覚ましました。
メールはベッドに寝ていました。丸木でできた天井が見えます。
すると、すぐに視界の中にゼンが入ってきました。メールをのぞき込んで尋ねます。
「気分はどうだ?」
「悪くないよ」
とメールは答えました。
「一晩ぐっすり寝たからね。気分はいいよ。もう大丈夫さ」
けれども、メールはベッドの上に起き上がろうとしませんでした。顔色は青白く、緑の髪がほつれかかって、やっぱり具合が悪そうに見えます。
「無理すんな」
とゼンは言って、メールの頬をそっと撫でました。
メールは照れたように顔を赤らめると、改めて部屋の中を見回しました。ベッドがひとつと机と椅子があるだけで、他には誰もいない部屋です。ベッドの脇の床にはマットと毛布が敷いてあって、何人かが寝ていた痕がありました。
「ポポロとルルもずっと一緒にいたんだ。今は外に出てるけどな」
とゼンが答えます。そっか、とメールは言いました。
「みんなに心配かけちゃったね、あたい……。フルートやオリバンたちは?」
「まだ戻らねえ。セシルが見つからねえんだろう。ったく、どこに行きやがったんだか!」
歯ぎしりするゼンをメールがなだめました。
「落ちつきなよ、ゼン……。あたいさ、やっぱり信じられないんだよ。セシルにデビルドラゴンが取り憑いてるなんてさ。いくらなんでも、デビルドラゴンに誘惑されたら、それなりに怪しい行動をすると思うんだよ。でも、セシルはいつもまっすぐで潔かったじゃないのさ。闇に取り憑かれたら、あんなふうじゃいられないよ、絶対に」
「だが、あいつはフルートから金の石を奪ったんだぞ! しかも、フルートの頭を岩で殴って! 金の石がなかったら、フルートが死んだかもしれねえだろうが!」
とゼンはわめき続けました。相手は病人なのですが、興奮していて遠慮することができません。もう、とメールは苦笑しました。
「ほぉんと、ゼンって案外心配性なんだよねぇ。昔っからだけどさ……。全然人に気をつかわないような性格に見えるのにね」
「るせぇ。おまえらがみんな、自分のことを心配しなさすぎるんだよ。揃いも揃って」
憮然とするゼンに、メールがくすくすと笑います。そんなふうにしていると、だいぶ元気そうに見えるメールです。
部屋には窓があって、カーテンが引かれていました。その向こうは明るくなっていて、鳥のさえずりが聞こえてきます。
「朝になったんだね」
とメールが言いました。それでもやはりベッドから起き上がろうとはしません。顔色は相変わらず透き通るように白いままです。
「何か食うか? 食いたいものを作ってやるぞ」
とゼンが言うと、メールは首を振りました。
「今はいいよ……。目が覚めたばっかりで、食欲ないから。それより外が見たいな。窓を開けてくれる?」
そこでゼンはカーテンを引いて、窓を開け放ちました。ひんやりした朝の空気と一緒に、胸がすっとするような芳香が流れ込んできます。金陽樹が放つ香りでした。それを胸いっぱいに吸い込んで、メールは笑いました。
「いいね……気持ちいい。それに、森の歌う声が聞こえる」
「鳥の鳴き声か?」
とゼンが尋ねると、ううん、とメールは言いました。
「梢が風に鳴ってる音だよ。ゼンにも聞こえるだろ?」
窓の外から、木々の葉がこすれ合うざわめきが聞こえていました。風が吹き過ぎるたびに強く弱くなり、うねるように続いています。
しばらくそれを聞いていたメールが、ひとりごとのように言いました。
「森の音ってさ……どうしてか、海の音に似てるんだよね」
ベッドの中でメールは懐かしむような顔をしていました。絶え間ない葉ずれの音は、確かに海の潮騒のようにも聞こえます。
ゼンはベッドの枕元に座りました。メールと一緒に森を見ながら言います。
「この戦いが終わったら、おまえのことを海に連れてってやらぁ。おまえの半分は間違いなく海の民なんだもんな。海を見て、海に入って――そうすりゃ、おまえも元気になるさ」
くすくすとメールはまた笑いました。
「ゼンったら……。こんなに優しくしてもらえるんなら、あたい、もうしばらくこうしていようかなぁ」
「馬鹿やろ、なに言ってやがる」
とゼンは顔をしかめ、すぐに真顔になると、メールの緑の髪を撫でて言いました。
「早く元気になれ。おまえがそんなだと、こっちまで調子狂ってしょうがねえや」
うん、とメールは答えました。やっぱりベッドの上に起き上がることはできません。それでも、笑顔のままゼンと森を見つめます。金陽樹の森は、潮騒のような音を立てて風に揺れ続けています――。
その時、突然窓の外から犬のほえる声が聞こえてきました。ワンワンワン……と立て続けに鳴いて、すぐに少女の声に変わります。
「来るわ、メイ女王の軍勢よ! 森に迫っているわ!」
ルルでした。ゼンが、がばと立ち上がります。
宿舎の内外が、たちまち騒然とした雰囲気に包まれました。大勢が武器や防具を鳴らしながら、声へ駆けつけていきます。ゼンも部屋を飛び出そうとすると、メールに引き止められました。
「待って! あたいも行くよ――!」
「馬鹿言え! おまえは動けねえだろうが。ここでおとなしくしてろ!」
「やだやだ! 連れていってよ、ゼン! あたいだけ残るなんて冗談じゃないよ!」
置いてきぼりが何より嫌いなメールです。今にも泣き出しそうな顔で怒っています。
ったく、とゼンは舌打ちすると、メールの細い体を抱き上げてにらみました。
「危なくなったら、おまえがなんと言おうと置いていくからな。そこんところは承知しとけよ」
「それも絶対にやだ! あたいのことを置いてったら、這ってでも後を追ってやるから!」
ぎゅっとゼンの首にしがみついてしまいます。ったく、とゼンはまたわめくと、メールを抱いて部屋から駆け出しました――。