夜の中をフルートとオリバンは馬で駆け続けていました。
人家の灯りひとつ見あたらない暗い荒野です。星は空で輝いていますが、月はまだ出てきていません。前を飛ぶ願い石の精霊が、赤い光を放って彼らの足下を照らしています。
「セシルは、ずいぶん北寄りのルートをたどっていたんだな」
とフルートが言いました。それに並ぶオリバンが答えます。
「セシルはどこへ向かっているのだろう。メイ城ではないのか？」
セシルがデビルドラゴンに取り憑かれているかもしれない、という疑惑は晴れません。闇の竜が苦手とする金の石を彼女がどこへ持っていこうとしているのか、彼らにはよくわからないのです。
その時、馬上の籠の中でポチがぴくっと耳を動かしました。
「ワン、すごくたくさんの蹄の音が聞こえてきますよ。あの森の向こうからだ」
と南の方角を見ます。夜の中に大きな森がうずくまるような影になっています。願い石の精霊がそちらを向いて言いました。
「騎馬隊だな。そなたたちが出発してきた方向へ向かっている」
フルートたちは、はっとしました。メイ女王が差し向けた軍隊がナージャの森へ向かっているのだと気づいたのです。
「間に森があって良かった。願い石の光を見つけられたところだ」
とオリバンが言うと、ポチも言いました。
「ワン、セシルはこれを予想していたのかもしれないですね。途中で軍勢と出くわさないように、わざと直進するのを避けたのかも――」
そのおかげで、自分たちも敵と出会わずにすんだのです。
フルートは気がかりそうに後ろを振り向きました。
「みんな、大丈夫だろうな……」
とナージャの森に残してきた人々を想います。
すると、願い石の精霊が今度は行く手を見て言いました。
「守護のがいる場所に近づいてきた。あの先だ」
と目の前で夜空を黒く切り取っている小高い丘を示します。フルートとオリバンは馬の腹を蹴りました。走り通しで疲れが見え始めた馬たちですが、それでも命令の通りに速度を上げ、丘の上へと駆け上がっていきます――。
その時、ポチと願い石の精霊が同時に声を上げました。
「ワン、危ない！」
「出るぞ！」
丘の上から次々と飛び出してくる怪物がいました。人のような姿をしていますが、全身を濡れたようにぬらぬらと光らせ、長い両手を振り上げて走ってきます。たちまち腐ったような匂いが押し寄せます。
「ワン、この匂いは――」
「グールだ！」
フルートも怪物の姿を見て叫びました。死肉食いと呼ばれる闇の怪物です。墓を掘り起こして死人の肉を食らいますが、餌がないときには生きた人間にも襲いかかります。
「この怪物は闇の力に呼び出されてきた。そなたたちを殺そうとしているぞ」
と願い石の精霊が言いました。呼び出されてきた、ということばに、フルートたちは思わずどきりとしました。
「ワン、ぼくらが追ってきたことに、セシルが気がついたんだろうか？」
「ぼくたちは金の石で守られていない。闇の目からは丸見えになっているんだ」
とフルートは答え、グールの群れへ切り込んでいきました。怪物はすでに二十匹あまりに増えていました。剣をかわして襲いかかってきます。
オリバンは馬に飛びついてくる怪物を聖なる剣で切り払っていました。闇の怪物はたちまち霧散しますが、すぐにまた別の怪物が飛びかかってきます。右へ左へ剣をふるいながら、オリバンはどなりました。
「私――私は信じないぞ！ セシルが闇などであるものか！ デビルドラゴンは別の場所にいるのだ！！」
ほとばしるような声です。オリバン、とフルートは思わず振り向き、次の瞬間、声を上げました。
「危ない！ よけろ、オリバン――！」
大柄な青年に後ろからグールが襲いかかっていました。オリバンの肩にしがみつきます。
「この……！」
オリバンは剣で怪物を突き刺そうとしましたが、それより早く怪物がかみついてきました。鋭い歯が鎖かたびらを貫いて腕に食い込み、青年が悲鳴を上げます。
フルートは駆け寄ってグールに飛びつきました。力任せにオリバンから引きはがし、一緒になって地面の上に落ちます。
オリバンは左腕を抱えてうめきました。グールの牙には毒があります。傷口から毒を流し込まれてしまったのです。
フルートは怪物と上に下になりながら組み合っていました。怪物が今度はフルートの顔にかみつこうとします。フルートの唯一の弱点の場所です。
けれども、その瞬間、フルートの剣がグールを貫きました。怪物の全身が火を吹いて燃え上がり、同じ炎にフルートを包み込んでしまいます。
その光に、他のグールたちがたじろぎました。グールは闇の怪物の中でも、特に光に弱いので、明るい炎を恐れたのです。
炎の中からフルートが立ち上がりました。また剣を振ります。炎の弾が飛び出し、別の怪物を燃え上がらせます。
キィィギイッと怪物が鳴きました。前屈みの姿勢でフルートたちをにらみつけ、炎の弾が飛んでくると素早く避けます。そのまま、燃えている火が消えて光がなくなるのを待っています。
オリバンが馬にしがみついてあえいでいました。毒が体に回ってきたのです。しびれる左腕の下に剣をはさみ、空いた右手で急いで鞍の脇の荷物をまさぐります。毒消しの薬を探しているのですが、暗がりの中ではなかなか見つかりません。
そこへまたグールが襲いかかってきました。オリバンの馬にしがみつき、食らいつこうとします。
すると、今度は馬の籠からポチが飛び出しました。ポチは今、風の犬に変身することができません。子犬の姿のまま、グールに飛びかかってかみつくと、怪物が悲鳴を上げて馬からはなれました。
「ポチ！ オリバン！」
フルートは駆けつけようとしましたが、十匹近い怪物に取り囲まれて動けなくなりました。剣をふるえば怪物は逃げるのですが、すぐにまた戻ってきて行く手をふさぐのです。その間に別の怪物たちがオリバンやポチに襲いかかろうとします――。
そんな場面を願い石の精霊は空中から眺めていました。美しく整った顔は、作り物のように、少しも表情を浮かべていません。ただ冷ややかに戦う者たちを見ています。
怪物がまたオリバンの馬に飛びつきました。ポチが吠えながら怪物にかみついて防ぎます。フルートが駆けつけようとして、またグールに襲われます。押し倒され、上にのしかかられて動けなくなったところに、怪物がかみついてきます。剣で防ごうとしても、剣を持つ手も動かせません。別の怪物がしがみついて抑え込んでいたのです。死臭を放つ怪物の牙がフルートの顔に迫ります。
すると、精霊がひとりごとのように言いました。
「くだらぬ。こんなところで手間取っていては、守護のがまた遠ざかってしまうではないか――」
燃え上がる炎のような髪とドレスが、ふわりと広がりました。空中から地上近い場所まで舞い下りてきたのです。そのまま全身から強い光を放ちます。
怪物はフルートの上から飛びのきました。他の怪物も大きく飛び下がります。願い石の精霊はますます明るく光り出しました。まるで真昼のようなまぶしさです。闇の怪物たちがさらにたじろぎます。
ついに、グールはギギギィッと声を上げて逃げ出しました。光に背中を向けると、丘の上へと駆け戻り、地面の中に消えていきます――。
「オリバン！」
フルートは跳ね起き、ポチと一緒に駆け寄りました。オリバンは馬の首にもたれてあえいでいました。脂汗を流しながら、それでも荷袋を探り続けています。フルートは急いで袋の中から薬瓶を見つけてオリバンに渡しました。オリバンはそれを一気に飲み干し、また馬にもたれ、大きく息をしました。
「ワン、大丈夫ですか？」
とポチが心配そうに尋ねました。オリバンが飲んだのは毒消しの薬ですが、金の石のように劇的には治らないと知っていたのです。すると、オリバンが答えました
「大丈夫だ。グールの毒なら命まで奪われることはない……。薬が効いてくれば、しびれも取れるだろう」
実際には、グールにかまれた場所が腫れ上がってきていました。熱を持ち始めているのです。全身を悪寒が絶え間なく襲い、時々意識が遠のきそうになります。それでも、オリバンは馬を下りて休もうとはしませんでした。剣を収め、傷ついた左腕を前に抱え、右手だけで手綱を握ります。その体勢で全力疾走はできません。そろそろと馬を歩かせ始めます。
フルートがすぐにその隣に並びました。籠に乗ったポチと一緒に心配そうにオリバンを見つめ続けます。願い石の精霊が放つ赤い光の中でも、オリバンが真っ青な顔をしているのはわかります。
けれども、オリバンは言いました。
「行くぞ……。セシルを連れ戻すのだ」
オリバンの合図で馬が足を速めました。鞍の上で体が揺れると、オリバンは顔を大きく歪めましたが、決して立ち止まろうとはしません。フルートと一緒に丘を駆け上がっていきます。願い石の精霊が彼らを追い越してまた先頭に出ます。
丘を越えても、セシルの姿は見当たりませんでした。彼らが戦っている間に、ずっと先へ行ってしまったのです。
一行は精霊の後について、また荒野を進み始めました。見通しの効かない夜の中、彼らの背後から、ゆっくりと月が昇り始めていました――。
