王都ジュカの中心で金色に輝くメイ城。その玉座の間に、一人の男がやって来ました。長身に黒みがかった赤い長衣をまとい、高いわし鼻と薄青い鋭い目をしています。魔獣使いのロダでした。
玉座には立派な衣装を着た中年の女性が座っていました。少しふくよかな体つきですが、太っていると言うほどではありません。手の込んだ刺繍をしたドレスに金茶色のマントをつけ、結い上げた髪に短いベールをかけています。ベールの上からかぶっているのは、金と宝石でできた冠です。メイ女王でした。
「お呼びでございますか、女王陛下」
とロダはメイ女王の前でひざまずき、深々と頭を下げました。前日、フルートたちと戦って弱り切ったロダですが、今日はもう、そんな様子は見られません。
「ハロルドの容態はどうじゃ」
とメイ女王は尋ねました。落ち着き払った声です。女王は絶世の美女ではありませんが、聡明そうな知的な顔つきをしていました。どこにも心配で取り乱したような表情はありません。
ロダは答えました。
「まだ意識は戻りませんが、一番危険な状態からは少し回復した、と魔法医が申しております。今は容態は安定していらっしゃいます」
「小康状態というものじゃな。だが、ハロルドが死ぬのは時間の問題と言うことか」
「魔法医はそうは申しておりませんが」
「うわべだけのことばで真実を隠して何になる。運命は時間と共に必ず訪れてくるものじゃ。ハロルドは間もなく死ぬ。これは誰にも止められぬ事であろう」
女王は非常に冷静な声をしていました。自分の一人息子が危篤に陥っているというのに、それを嘆く調子もありません。
ロダはひざまずいたまま言い続けました。
「仮にそうであったとしても、今はもう、女王陛下が真のメイ王であられます。国民たちは、メイの将来を案ずる必要がなくなりました」
すると、メイ女王はロダをじっと見つめました。一段高くなった玉座からなので、見下ろす形でこう言います。
「それで一計を案じたか、ロダ? ハロルドが死ねば、わらわが失墜することを心配して? ――エミリアを殺すために、グェン公爵の祝宴会場を怪物に襲わせた、とメギリム公爵とジゼン伯爵が白状した。だが、そもそもその計画を持ちかけてきたのは、そなただったと言うではないか。わらわがエミリアの暗殺を指示した、誰にも知られずに王女を始末することができる、と言って。馬鹿げた真似をする」
「馬鹿げたことでしょうか?」
とロダは静かに言い返しました。
「ハロルド殿下が亡くなれば、王位はエミリア様に回ってしまいます。女王陛下はメイの女王ではなくなってしまわれる。それを望む国民は一人もおりません」
「それは知っている。だからこそじゃ」
と女王は答えました。
「ハロルドが死に、皇太子がメイからいなくなったら、わらわは家臣すべてを呼び集めて言うつもりであった。この国の女王にふさわしいのは誰か、その者を真の女王にすればよい、と。皆が誰を選ぶかはわかりきっている。この五年間に、エミリアに荷担しようとする勢力は徹底的に潰してきたのだからな。案ずる必要などなかったのじゃ」
傲慢で横暴に聞こえる話ですが、不思議なくらい淡々とした声でした。女王としては、事実を語っているのに過ぎないのです。
ロダはいっそう深く頭を下げました。
「女王陛下を侮辱するつもりは毛頭ございませんでした。ただ、わたくしはこのメイの将来のためを想って……。差し出た真似をいたしましたことは、心よりお詫び申し上げます」
「差し出た真似どころではない」
女王の口調が厳しくなりました。
「今このタイミングでエミリアが死ねばどうなると思う。誰もが、王座に執着するわらわのしわざと考えるのじゃ。わらわが玉座に座り続けたいと考えて、正当な王位継承者であるエミリアを暗殺したのだろう、とな。それはわらわのためにもメイのためにもならぬことじゃ」
女王の叱責に、ロダは顔を伏せたまま繰り返しました。
「まこと、差し出た真似をいたしました。ですが、よからぬ企てをする者は必ず出て参ります。自分の地位を上げたいばかりに、正当な王位継承者であるエミリア様を担ぎ上げ、女王陛下に対抗する者は必ず現れたことでしょう。そのような無駄な危険を将来から除くためにも、女王陛下には真に国王となっていただかなくてはなりませんでした」
すると、メイ女王は急に黙りました。自分に頭を下げ続ける魔獣使いを見つめ、やがて、言います。
「不思議なのは、そこじゃ」
ロダは顔を上げました。
「不思議と申しますと?」
「ハロルドはずっと重い病の床にあった。高熱が続いて、意味のあることを考えることも言うこともできなくなっていたはずなのに、昨夜急にその容態が安定して、病床で戴冠式を執り行う、と言い出した。あのように変則的で急な王座授与は、メイの長い歴史にもなかったことじゃ。そして、正式にメイ王になったハロルドは、突然、母であるわらわに王座を譲り、わらわを正式にメイ女王にする、と言った。これもわらわには一言も相談のなかったことじゃ。わらわがいくら止めても、ハロルドは聞かなんだ。あのように強情に言い張るハロルドは初めて見た。あれほどハロルドらしくないハロルドの様子もの。まるで――誰かに魔法で操られていたようじゃ」
ロダの薄青い目と女王のトビ色の目が見つめ合いました。女王の瞳は非常に聡明です。
ロダはまた目を伏せて頭を下げました。
「それは女王陛下のお考え過ぎかと……。燃え尽きる寸前の蝋燭が一瞬明るくなるように、死期の迫った人間が、束の間、健康だった頃のような元気さを取り戻すことはよく聞く話でございます。ハロルド殿下は、病に苦しみながらも、メイの将来を案じておられたのではないでしょうか。それで、ご自分に気力のあるうちに、急いで一度自分がメイ王になり、改めて、メイを女王陛下にお委ねになったのでしょう。ご自分がもう長くないことを悟っておられたのだと存じます」
けれども、女王は厳しい口調を変えませんでした。
「王権の交代劇としては、最悪の脚本じゃ。密室の中での戴冠式と、王権の譲渡。それに立ち会った者はごくわずかじゃ。わらわがハロルドの容態に不安を感じて強引に王座を奪ったのだ、と誰もが考える。国内だけでなく、外国にまで、わらわを批難する種を与えてしまった。将来、その種から災いと戦争が芽を吹くに違いない」
ロダは顔を上げませんでした。ただ、静かにこう言います。
「お許しを、女王陛下。わたくしはただ、メイの平和と繁栄が続くことを願っていただけでございます。それに、女王陛下に王位を譲ることは、本当にハロルド殿下がお申し出になられたことです。メイの将来を想い、母君である陛下に国をお委ねになったハロルド殿下の気持ちも、お察しくださいませ」
伏せた顔は表情を見せません。ロダがそのことばをどんな顔つきで言っているのか、女王には確かめることができませんでした。
また少し沈黙した後、メイ女王は言いました。
「わらわはナージャの森へ使いと兵を送った。エミリアと女騎士団がナージャの森から立ち去ろうとしなければ逮捕するように、とも命じた。だが、エミリアが死ぬようなことがあってはならぬ。そんなことになれば、わらわは完璧な王位簒奪者になってしまうからじゃ。これ以上の手出しは絶対にならぬぞ、ロダ」
「御意。――ですが、エミリア様はナージャの森から行方をくらませたようでございます。王女が女王陛下のお命を狙うような事態もありうるかと。そのような危険が迫った場合には、わたくしたちは女王陛下を守り抜く所存でございます」
すると、メイ女王はいっそう鋭い目を魔獣使いに向けました。
「どうやってそれを知った、ロダ? わらわはナージャを見張っている者から、つい先刻、王女たちはまだ森にいるという知らせを受けたばかりじゃ。次の早鳥が来るのは、あと一時間以上も先のことのはずじゃぞ」
「これは心外な……。こう見えても、わたくしは魔法使いでございます。それくらいのことは己の力で見通すことができます」
「そなたはそもそも魔獣を使う暗殺者じゃ。城の占者や魔法使いたちほど目が効かぬことは知っておる。それ以外の面で非常に有能であるから、こうして引き立ててはいるがな。そなたが自力でナージャを透視したなどというのは信じぬぞ。それならば、エミリアが今どこにいるのかもわかるはずじゃ。他に仲間がいるな、ロダ。それは誰じゃ?」
女王の声は今までないほど厳しくなっていました。ロダに言い逃れを許しません。
ロダはまた頭を下げました。
「いずれ女王陛下にもお引き合わせできるときが来るかと……。それまで、今しばらくお時間をいただきとう存じます。かの者が女王陛下の味方であることは間違いございません」
「ジタン山脈の襲撃を思いついたのも、その者か」
と女王がまた言います。相手を射抜くような声です。
「左様です。ジタンの地下に大量の魔金が眠ることを教えてくれました。ロムドが強大化してメイの危機になる前に、ジタンを抑えるように、と。結果としては抑えきることができませなんだが」
「ジタンではバロ将軍が戦死し、軍師のチャストが捕まった。他にも大勢の兵がロムドの捕虜になっている。間もなく、途方もない賠償請求が我が国へなされることだろう。そなたの言う味方とやらは、実に頼りになる人物のようじゃな」
痛烈な皮肉を浴びせ、今後決して手出しはならぬ、ともう一度強く言い渡して、女王はロダに退出を命じました。魔獣使いの男が顔を伏せたまま玉座の間を出て行きます――。
「油断のならぬ男じゃ」
閉じた扉を見つめて女王はつぶやきました。すぐさま、後ろに控えていた家臣を呼びつけます。
「ロダから目を離さぬように。早まってエミリアを殺すようなことがないよう、気をつけるのじゃ。いずれエミリアも死ぬことになるが、それは今ではない――。ロダの動きに気をつけよ。あれは野心家じゃ」
「御意」
と家臣は一礼して、目の前から消えていきました。魔法使いだったのです。
女王は玉座から立ち上がると、また別の家臣に命じました。
「重臣たちを円卓の間へ召集せい。会議を開く」
「承知いたしました、女王陛下」
と、その家臣も姿を消します。
女王は玉座を下りて歩き出しました。長いドレスとマントの裾が絨毯とこすれ合って重たい音を立てます。王冠をかぶった頭をしゃんと上げ、前を向いて歩いていく姿は実に堂々としています。
そして――女王は、危篤に陥っている息子について、ひとことも触れようとはしませんでした。最初にロダに容態を尋ねたきりです。玉座の間には他にも家臣が控えていましたが、誰も、殿下の見舞いには行かないのですか? とは尋ねません。会議に向かう女王を当然のように見送ります。
それがメイ女王という人物でした。長年、王に代わってメイを治め、今も国に君臨し続けている、真の女王だったのです。