森の中をいくら探し回っても、メールは見つかりませんでした。風が吹くたびに白い木々が揺れ、金の葉がざわめきますが、夏の梢のようなメールの緑の髪は見当たりません。フルートも次第に心配になってきました。
「どこに行っちゃったんだろう、本当に?」
とひとりごとを言います。
メールは、まるで野生の鹿のように自由自在に森を歩き回ります。それだけに、どこかで具合が悪くなっていたら、フルートたちにはなかなか見つけられなくなってしまうのです。闇雲に探しても駄目だ、とメールの行きそうな場所を考え始め、やがて思い出したのは、森の中央にある湖でした。半分海の民のメールは水辺が大好きです。あそこへ行ったのかもしれない、と駆け出します。
ところが、ちょうどその頃、そのメールがひょっこりゼンの元に戻ってきました。
「あれ、どうしたのさ、ゼン?」
あまりのんびりした調子だったので、ゼンは安心するより先に腹が立って、どなりつけてしまいました。
「おまえ――どうしたじゃねえ! 今までどこに行ってやがった!?」
その声にポチが森の中から飛んできました。別の場所からはオリバンやポポロやルルもやってきます。
メールが負けずに腹を立ててどなり返してきました。
「ちょっと、いい加減にしなよ、ゼン! あたいがどこに行こうと、そんなのあたいの勝手じゃないのさ! あたいはじっとしてるのが大嫌いなんだ。いつもそばにいろだなんて言われたら、息が詰まっちゃうよ! そんなゼンなんか嫌いだよ!」
「な――んだとぉ――?」
ゼンは真っ赤になりました。怒りのあまり声が低くなってきています。
ポチはあわててメールの足に頭を押しつけました。
「ワン、ゼンは本当に心配してたんですよ。フルートだってぼくだって、メールを探していたんだから。メールも、もう少し自分のことに気をつけなくちゃ」
「まったくだ」
とオリバンにも言われて、さすがのメールもそれ以上は文句が言えなくなりました。もう、と口を尖らせて黙ります。
ポチは改めてオリバンたちを見ました。
「ワン、セシルはどうしたんですか? 一緒じゃなかったの?」
「少し一人にしておいてほしいと言われてな。祈りに行くと言っていた」
とオリバンが答えました。憮然としているのは、同行を申し出たのに、セシルに断られたからです。
「祈りに?」
「セシル、森にいるときには、毎日湖に祈りに行っているんですって」
とポポロが言います。
ふぅん、とポチは言いました。その湖にフルートが向かっていることを、そこにいる者たちは誰も知りませんでした――。
湖の岸まで来たフルートは、ふう、と息をつきました。長い距離を走ってきたので、さすがに息切れがしたのです。兜を脱いで、汗ばんだ顔を風に当てます。
森の中に広がる湖は、空の青を移した水面に、ちらちらと銀のさざ波を立てていました。美しくて静かな眺めです。フルートは水辺まで近寄って呼びかけてみました。
「メール――メール?」
返事はありません。やれやれ、とフルートはまた溜息をつきました。どうやら無駄足だったらしい、と気がついたのです。
天気の良い日で、日差しはまぶしく湖に降りそそいでいました。澄んだ水が涼しげに揺れています。フルートはかがみ込み、両手で水をすくいました。ほてった顔から汗を洗い流します。
すると、湖から水音が聞こえてきました。岩陰になって見えませんが、誰かが水の中にいる音です。
「メール!」
フルートは兜を抱えて駆け出し、岩を回って音のするほうへ向かいました。
とたんに、一面の青と、鮮やかな金色と白が目に飛び込んできました。湖の中に若い女性がいたのです。金色は濡れた髪の色、白は日差しを浴びて輝く素肌です。女性は岸に背を向けて湖の中に立っていました。長い髪が腰の近くまで流れて背中に貼りついているだけで、他には何も身にまとっていません――。
フルートは立ちすくみました。あまり驚いてしまって、とっさには声も出せません。湖の中に裸で立つ女性を、目を見張って眺めてしまいます。
すると、女性が沖へ両手を伸ばしました。腕から銀のしずくがこぼれて湖に落ちます。呼びかける声が聞こえてきます。
「おいで……ここへ出ておいで……」
今にも泣き出しそうな、切ない響きの声です。セシルでした。
そして、それはフルートが夢の中で聞いた呼び声と、とてもよく似て聞こえました。思わず息を呑んでしまいます。
そのとたん、セシルが鋭く振り向きました。気配に気がついたのです。岸部に立つフルートを見て驚いた顔になり、次の瞬間、きゃーっ!!! とものすごい声を上げます。さすがに、前回フルートが男と気がついたときよりも大きな悲鳴でした。水音と共に湖に裸を沈めます。
フルートは急いで背中を向けました。兜を放り出して両手で顔をおおいます。本当に、前と同じような展開ですが、前回よりもっとうろたえてしまって、声を出すことができません。
水から頭だけを出して、セシルがどなりつけてきました。
「何故ここにいる! そんなところで何をしていた!?」
フルートは顔をおおったまま答えました。
「メ、メールを探していたんです……。セシルが水浴びをしていたなんて、し、知らなかったから……」
心臓が早鳴って、全身が熱くなって、答える声もしどろもどろです。一瞬ですが、彼女の裸をまともに見てしまったのです。
まったく、とセシルは溜息をつきました。片手を水から出して頭を抱えます。
「どうして、おまえとはこういうふうになってしまうのだろうな……。上がって服を着るから、そっちを向いていろ」
フルートはうなずき、言われたとおり背中を向け続けました。セシルが湖から上がってくる音が聞こえてきますが、フルートは、絶対にそちらを向きません。
やがて、少し落ち着いたらしいセシルが、また話しかけてきました。
「メールを探していたのか? どうかしたのか?」
「み、見当たらなくなっちゃったんです……。また倒れたりしたら、金の石が必要になるから、それで……」
「メールならさっきすれ違ったぞ。駐屯地に向かっていた」
「そ、そ、そうですか……」
フルートのほうは、相変わらずどぎまぎして、うまく話せません。背後からはセシルが体を拭いて服を着る気配が伝わってきます。思いきり意識してしまって、動くこともできません。
すると、少し考えるような沈黙の後で、セシルがまた言いました。
「その癒しの魔石は、おまえにしか使えないのか? 他の者では力を発揮しないのか?」
「い、いえ、そんなことはないです……。ただ、この石はぼくの石だから、他の人に預けるわけにはいかないんです……」
ふぅん、とセシルが言いました。話がとぎれると、セシルが服を着ていく気配だけが伝わってきます。
「セ、セシルはどうしてここに……? オリバンたちと一緒じゃなかったんですか?」
と今度はフルートが尋ねました。沈黙がどうしても気まずかったのです。
「こんなところに彼を連れてこられると思うか」
とセシルが皮肉に笑ったので、フルートはまた真っ赤になりました。確かにその通りです。
すると、少しの間の後、またセシルは言いました。
「私は水浴びをしていたわけではない。身を清めて祈っていたんだ――いや、呼んでいた、というほうが正しいな。私はナージャにいるときには、毎日ここでこうしているのだ」
「ユニコーンを呼び出すために?」
「そうだ。ユニコーンはこの場所に現れると言い伝えられている。私はまだ一度も見たことがないがな」
フルートは思わずセシルを振り向こうとしました。とたんにまた鋭い声が上がります。
「こっちを向くな! まだだ!」
フルートはまた赤くなって、急いで顔を伏せました。そのまま横目で見たのは、セシルではなく青く広がる湖でした。ちらちらと波が揺れる湖面を眺め、ここが契約の場所なんだ、と考えます。湖は静かです。湖の上にも、周囲の森にも、聖なる獣の姿は見当たりません――。
セシルは静かでした。何かを考え込んでいるようです。
フルートは相変わらず後ろを向いたままで言いました。
「セシル、ひとつ聞いてもいいですか……?」
なんだ、とセシルが答えました。なんだか上の空のような声でしたが、気にせず言い続けます。
「セシルはユニコーンを呼んでいて、何かを呼び出したことがありませんか……? ええと、その……ユニコーンじゃない何かが、呼びかけに応えてきたことって、なかったですか?」
フルートは夢に見た場面を思いだしていました。白い霧の中のような世界で、呼ぶ声に応えて、巨大な闇の渦が現れたのです。その中心から聞こえてきたのは、ばさり、とはばたく翼の音でした――。
セシルは何も言いませんでした。物音ひとつ聞こえてきません。それでもフルートは待ちました。セシルがその時のことを思い出せば、何か手がかりを得られるかもしれないのです。
太陽はまだ頭上高い場所にありました。フルートの影が足下にくっきりと落ちています。
すると、その影にもう一つの影が重なりました。すぐ後ろに気配もなく何かが立ったのです。
フルートは、はっとして振り向き、そのまま目を見張ってしまいました。
後ろに立っていたのはセシルでした。もう服をすっかり着終えて、両手を高く上げています。そこに抱えられていたのは、大きな石の塊でした。
「セシル、何を!?」
思わず声を上げ、とっさにかわそうとしたフルートに、岩が振り下ろされてきました。兜を脱いだ金髪の頭の上です。
がつん、と鈍い音がして、目の前が真っ暗になり、フルートはそのまま気を失ってしまいました――。