話し合いが終わった後、セシル王女はまた林のはずれに行きました。荒野はすっかり夜に包まれ、星が空で輝いています。星明かりになだらかな山の稜線や森がぼんやり見えていますが、彼女が心配するメイ城を確かめることはできません。思わず溜息をついてしまいます。
すると、林の奥からオリバンが出てきました。王女の後を追ってきたのです。
「そんなに気になるなら、ポポロにまた王都を透視させるぞ」
と話しかけられて王女は赤くなり、急いで首を振りました。
「いい……。ポポロには何度も確認してもらっている。王都に異常はないようだから、今はまだ大丈夫なのだろう」
日中ロダが逃げ帰ったのは、メイ城に違いありませんでした。城で何が起きているのか、ロダの陰には誰がいるのか、その目的が何なのか。心配は尽きませんが、今はナージャの森へ行くほうが優先でした。
すると、オリバンが言いました。
「さっき聞きそびれたが、もうひとつあなたに確かめたいことがあったのだ。ランジュールの魔獣と戦ったときのことだ――」
夜の暗さは木立も包み込んでいます。王女が赤くなって目をそらしていることに、オリバンは気がつきませんでした。
「スライムが襲いかかってきたとき、あなたはそれを制したようだったな? ファイヤードラゴンにも命じて攻撃をやめさせていた。ランジュールも言っていたが、あなたは魔獣使いなのか?」
王女の赤くなった顔が急に元の色に戻りました。メールと話していたときと同じです。目はそらしたままで答えます。
「違う……と思う。ただ、我々王族の血を引く人間には、時々、人とは違う力を持つ者が出てくると言われている。亡くなった父上も、若い頃に怪物を退かせたことがあったらしい。いつもできるわけではないが、たまにこういうことがある」
オリバンは少し考えてから、さらに尋ねました。
「あなたたちメイの王族は、ユニコーンを呼び出して従えることができる、と聞いているが、それと同じ力なのか?」
とたんに王女は背を向けました。
「わからない。――私はユニコーンを呼び出したことも、従えたこともないから」
ひどく堅い声でした。あきらかにオリバンを拒絶しています。
オリバンは驚き、急いで言いました。
「あなたを責めているわけではない。この世には聖獣というものがいて、召喚の契約を結んだ者の呼び出しに応えて現れることがある。あなたたち王族がユニコーンを呼び出せるのも、それなのだろうかと思ったのだ」
「詳しいな。調べたのか」
王女の声がますます堅くなります。
「いいや。ただ、そうやって契約で呼び出された聖獣を実際に見たことがある。サラマンドラだ」
「聖なる火トカゲか――」
つぶやくように言い、王女はうつむきました。足下に淀む暗がりを見ながら続けます。
「昔から呼び続けた。ナージャの森の中で……。父上が亡くなってからは、いっそう真剣に呼んだ。だが、ユニコーンは現れない。たぶん、私に聖獣を呼び出す力はないのだ。私は正当な王族ではないからな……」
淀む闇より暗く聞こえる声でした。オリバンは、はっとしました。この王女がずっと見せていた、どこか投げやりな悲しみの源を見た気がしたのです。
「あなただって王族には違いないだろう。たとえ傍系(ぼうけい)でも、あなたが王の子であるのは間違いないのだから。それとも、そこまで自分を疑っているのか?」
「私の父は亡くなったメイ王だ。それはわかっている。だが、私は女だ――王室に、王女は不要なのだ」
何故、とオリバンは尋ねました。王女がそこまで言い切る理由がわかりません。
すると、王女は皮肉な笑顔になって振り向きました。
「おまえはとんだ野次馬だな。そんなに王室の泥沼が見たいのか」
「好奇心ではない。気になるだけだ」
とオリバンが生真面目に答えます。
王女はまたうつむきました。やがて話しだした声は、ひどく淡々としていました。
「私は生まれたときにセシルという男の名をつけられ、四つになるまで男として育てられた。これは前にも話したな……。かなり長い間、自分でも本当に男なのだと思っていたのだ。ただ、母や乳母が他の子どもと私を遊ばせないのが、幼心にも不思議だった。そして、私が四つになったとき、正妻である王妃にハロルドが生まれた。正式な世継ぎだ。国中がこぞって皇太子の誕生を祝っていた。祝砲、歓声、魔法で夜空に咲かせた光の花――そんなものを離宮から見聞きしたのを覚えている。母が、王妃に負けたと言って、狂ったように泣きわめいていたのもな。そして、その夜のうちに、私はさらわれたのだ」
「さらわれた?」
とオリバンは思わず聞き返しました。
「王妃に命じられた手の者だ。私はまだ周囲からは王子だと思われていた。私自身はもう、自分が女だということを知っていたがな。皇太子が生まれたので、将来私との間で王位争いが起きることを警戒されたのだ。数人の男たちが私の部屋に押し入ってきて、私を離宮から連れ出した。そして、暗い森の中で私を殺そうとしたのだ」
王女は目を上げました。そこに暗い森が広がっているように、遠く夜の荒野を眺めます。
「もう少しで本当に殺されるところだった。抑え込まれて、短剣が私の上に振り上げられた。だが――その時、男たちは私が女の子だということに気がついたのだ。たちまち連中は大騒ぎを始めて、やがて、女ならば用はない、と言い出した。殺す必要さえない、放っていこう、と私を置き去りにしたのだ。私が女だということを証明するために、私が着ていたものをすべて持ち去って、な。次の朝、捜索隊が森の中で私を見つけるまで、私はたった一人で裸で震え続けていたのだ」
オリバンは何も言えなくなりました。背中を向けている女性を見つめてしまいます。長身のその姿の隣に、小さな子どもの姿が見える気がしました。服も下着も何ひとつ身につけていない、裸の女の子です。夜の寒さと恐怖に震えながら泣きじゃくっています……。
オリバンは自分のマントを外すと、王女の肩に着せかけました。王女が驚いたように振り返ります。
「なんだこれは? 今のは私が幼い頃の話だぞ。別に今も裸でいるわけでは――」
言いかけて失言に気がついて顔を赤らめます。
けれども、オリバンは大真面目で言いました。
「着ていろ。なんだか寒そうに見えるからな。夜は冷える」
王女はさらに赤くなると、また目をそらしました。たった今までオリバンがはおっていたマントが、ぬくもりと共に王女を包んでいます……。
王女はうつむきながらまた話し出しました。
「それからどんな騒ぎになったかは、想像がつくだろう。王女を王子と偽って王位を狙った愚かな母子だ。誰もが私たちをあざ笑って相手にしなくなった。王妃も私たちを見て見ぬふりだ。ただ、父上だけは、そんなことはなかった。私が女だったことには驚いたが、相変わらず我が子として扱ってくれたからな……。誰も私たちを尊敬する者はなかったが、父上が亡くなるまでは、それなりに平和だったし、幸せだった」
「メイ王が亡くなってから一変したわけか」
とオリバンは言いました。王女がうなずきます。
「これも先に話したとおりだ。父上が亡くなるとすぐに、王妃は私たちに味方する者ほとんど全員を処刑した。ハロルドは小さい頃から体が弱くて、大人になるまで生きられないのではないかと言われていた。ハロルドが死ねば、自動的に私が女王になってしまう。父上に代わってメイ女王として君臨していた王妃は、王座を私に渡したくなかったのだ」
なるほど、とオリバンは言いました。そのハロルド皇太子の容態が本当に悪くなり、明日をも知れない命になったのです。焦ったメイ女王がセシル王女を殺そうと企てたのは、当然の成りゆきでした。同じ焦りが女王の元へデビルドラゴンを呼び寄せ、ジタン襲撃などという、これまでなかったような侵略戦争まで引き起こしたのでしょう。
オリバンはセシル王女に並んで立ちました。腕組みをして低く言います。
「まったく、王室になど生まれてくると苦労されられるな」
すると、王女は笑いました。
「いやにわかったようなことを言う」
冷めた笑い声です。
オリバンは何も言いませんでした。ただ、王女の見る荒野を一緒に眺めます。
夜の奥にある暗がりは、彼にもなじみのあるものでした――。