荒野が夕焼けに染まる頃、フルートたちの一行は馬を止めました。
彼らはまたナージャの森目ざして進んでいましたが、森にたどり着く前に日没が来てしまったのです。小さな林を見つけて、野営の準備を始めます。
ゼンが火をおこして食事の支度をしている間、セシル王女は一人離れて林のはずれへ行きました。夕日に赤く照らされる荒野が目の前に広がっています。そのまま太陽が沈む方角を見つめ続けます。
すると、そこへメールがやってきました。
「メイ城を心配してんの、セシル?」
と話しかけます。王女が見つめていたのは、メイ城がある王都の方角だったのです。
王女は目を伏せました。
「心配だ……。だが、確かに私だけでは何もできない。ナージャの部下たちと合流して、作戦を立てなくては」
「明日の午前中には森に着くよ。ゼンが言ってたからね。ホントは夜通し走れば夜中までには着くんだけど、ゼンとオリバンがダメだって言うからさ――ごめんね」
ゼンたちは、何度も倒れるメールを心配して、無理な夜行を承知しなかったのです。
王女は振り返りました。
「もう大丈夫なのか? 具合が悪いのではないのか?」
「うーん、あたいは本当に、どこもなんともないんだけどね。ただちょっと、だるいだけ」
そう話すメールの顔は夕日に赤く染まっていますが、実際には血の気のない顔色になっていました。細い体はいつものようにしゃんと立っていますが、声にも力がありません。
「貧血かもしれないな」
と王女が言ったので、メールは肩をすくめました。
「どうだろ? あたいは人間じゃないからね。人間みたいな病気にはかかんないんだけど」
「ああ、海の国の王女だと言っていたな」
と王女は答え、少し考えてから、不思議だな、と続けました。
「おまえは海の民だし、ポポロは天空の国の魔法使いだ。ゼンも、ああ見えてドワーフだと聞いている。人間でないものばかりなのだな」
「ポチとルルも忘れちゃダメだよ。あの二匹だって、れっきとしたあたいたちの仲間なんだから。でも――そうだね。ホントに人間でない仲間ばっかりだ。あたいたちの中で普通の人間なのって、フルートとオリバンだけなんだよね」
二人の名前が出たとたん、王女はどきりとしました。思わず青年たちを目で捜してしまいますが、彼らはたき火のそばにいて、その場所からは見えませんでした。
かなり長い間ためらってから、王女はついに尋ねました。
「彼らは恋人同士なのか?」
「彼らって? フルートとポポロのこと? それとも、ポチとルル?」
とメールが聞き返すと、王女は口ごもりながら言いました。
「その……人間の二人のことだ」
「人間の?」
メールは思わず考える顔になり、みるみるうちに、目をまん丸くしました。
「って――フルートと、オリバンのこと!? ちょっと、やだぁ! なんでそんなこと思いつくのさ!?」
王女は真っ赤になって目をそらしました。うろたえながら、やはり間違っていたのか、と考えます。日中のフルートとポポロ、そしてそれを見るオリバンの様子から、ようやく自分の誤解に気がついたのでした。
あきれ返っていたメールが、やがて吹き出しました。
「そ、そりゃねぇ! フルートはあの通りの顔だし、女装もめちゃくちゃ似合うけどさぁ……! 中身はごく普通の男の子だよ! ずっとポポロ一筋なんだ。オリバンだって、恋人はいないけど、やっぱり普通だよ。ああ、そうっかぁ。前にオリバンのことをそんな趣味の男って言ってたのは、そういう意味だったんだ!」
そう言って腹を抱えて大笑いをします。
王女は赤くなったり青くなったりしていました。何も言うことができません。それなのに、オリバンに恋人はいない、という部分だけは、妙にはっきりと聞こえました。どこかでほっとしている自分を感じます――。
メールは笑いすぎて目に涙さえ浮かべていました。それをぬぐいながら、また笑います。今度はほほえむ顔でした。
「セシル、あんたさ、オリバンのこと好きなんだろ? だから、そんな変な誤解しちゃったんだ」
海の王女は相変わらず単刀直入です。ずばりと言ってセシル王女を見つめます。
王女はまた耳まで真っ赤になりました。いっそううろたえて目をそらします。
「……わからない。彼とは昨日初めて出会ったばかりなのだし」
「時間なんて、好きになるかどうかには関係ないさ。フルートなんて、ポポロを初めて見た瞬間に好きになったって言ってたよ。オリバンだって、セシルのことを決して嫌いじゃないと思うけどね」
すると、王女は表情を変えました。目はそらしたままですが、赤くなっていた顔が、すっと元の色に戻ります。
「彼はロムド人だ……。そして、私はメイの王女だ」
と静かに言います。なんだか、急に別人になってしまったような感じです。
メールはまた肩をすくめました。
「どうして人間ってこう面倒くさいんだろうね? 国だとか身分だとか王族だとか――。好きなら好き、それでいいと思うのにさ」
「人間と海の民とは違う」
と王女は答え、それきり口をつぐみました。
夕食をすませた後、彼らは火を囲みながら話を始めました。前の晩、王女から聞き損ねたことを確かめたかったのです。
「ぼくたちが向かっているナージャの森のことなんです」
とフルートは言いました。
その隣にはポポロが座って、フルートを見上げていました。何も言いませんが、寄り添うようなその姿は、二人がどういう関係なのかをはっきり物語っています。
メールは王女のとんでもない誤解を黙ってくれていましたが、王女は気まずい想いがぬぐえなくて、そっけなく返事をしました。
「何が知りたい?」
「あそこに伝わるユニコーン伝説のことです。ユニコーンは本当にいるんでしょうか? セシルは森でユニコーンを見たことはないんですか?」
「ない。あれはただの迷信だ」
「でもよぉ、あの森からユニコーンが出てきてメイを救うって言われてんだろう? だから、セシルだってあの森を守ってきたのに、迷信だ、なんて言いきっちまっていいのかよ?」
とゼンが言います。いつの間にか、彼らは王女をただセシルと呼ぶようになっていました。ごく自然な口調です。
王女は溜息をつきました。
「確かに王室にはそういう言い伝えがある……。あの森にユニコーンがいるのだと固く信じているものも多い。だが、我々は五年以上もあの森を守ってきたが、今まで一度もユニコーンを見たことはないのだ。それこそ、森の隅から隅まで知り尽くしている我々なのにな……。あの森にユニコーンはいないのだ。昔は本当にいたのかもしれないが、とっくに死に絶えてしまったのだろう」
王女の声は乾いていました。どこか他人事のような口調です。オリバンは首をひねりました。
「それにしては、ずいぶん真剣に森を守っていたではないか。ただ形式や命令に従っているだけとは思えなかったぞ」
王女は顔を赤らめました。オリバンを見ないで答えます。
「あそこは私の持ち場だからだ。あそこを守るのが、私の任務だからな――」
その時、くん、とポチが匂いをかぐように鼻を鳴らしました。じっと王女を見つめます。
「なによ?」
とルルがささやくと、ポチは答えました。
「セシル、本当のことを言ってません。嘘の匂いがする。それと……ものすごく悲しそうな匂いも」
やはりささやくような声なので、ポチのことばは他の者たちには聞こえませんでした。
「なによ、それ? すごく照れているの間違いじゃないの?」
とルルは言いました。王女がオリバンを意識して赤くなっているのは、見ただけでわかったのです。ポチはそれ以上説明することができなくて首をかしげました。気がかりそうに王女を見つめ続けます。
王女はもう何も言いませんでした――。