スーちゃんたちぃ、と幽霊の青年が呼びかけたとたん、地面から何かが湧き出してきました。銀色の水のようなものが地表に溜まり、盛り上がっていきます。ふるふるとさざ波を立てながら揺れる様子は、まるで巨大なゼリーか水銀の塊のようです。
フルートたちは声を上げました。
「スライムだ!」
強力な魔獣を繰り出してくるのだろうと予想していたので、意外な怪物の出現に驚いてしまいます。
スライムには、目も口も手足もありません。定まった形もありません。ただ巨大な銀のしずくになって地面の上に散らばり、フルートたちを取り囲んでいます。
「なんで今さらスライムなんだよ?」
とゼンが呆れました。勇者になったばかりの頃にはスライムに苦労したこともありますが、最近は強力な怪物ばかり相手にしてきたので、そんな生き物がいることさえ忘れていたほどでした。
すると、ランジュールが、うふふっ、と空中から笑いました。
「だめだよぉ、スライムを馬鹿にしたりしちゃ。これでなかなか頼りになるんだから。スライムは闇の怪物じゃないから、いくら勇者くんが金の石を使っても消すことはできないもんねぇ。勇者くんには闇の怪物より普通の怪物のほうが有効。攻略法の、その一だよぉ」
「勝手に俺たちの攻略法なんか考えるんじゃねえ!」
とゼンが言い返すと、セシル王女も言いました。
「馬鹿馬鹿しい! 私が城へ行く邪魔をするな!」
と馬を走らせようとしたので、オリバンが飛びついて引き止めました。
「馬鹿者! スライムがどんな怪物か知らないのか!? 馬ごと襲われて溶かされるぞ!」
王女が驚いた顔になりました。本当にスライムのことはよく知らなかったのです。スライムは百匹以上もいて、彼らを取り囲んでいます。触れずに駆け抜けていくのは不可能でした。
そうそう、とランジュールがうなずきました。
「勇者くんたちは、みんなそれぞれよく動いて戦うからさぁ。動きを封じるってのが大事なんだよねぇ。これ、攻略法のその二ね」
フルートは背中から剣を抜きました。黒い柄の炎の剣です。両手で高く構えて言います。
「スライムは確かに金の石では消せないけど、火には弱いんだ! 焼き払う!」
と剣を鋭く振り下ろします。とたんに、音を立てて炎の弾が飛び出し、スライムの群れに激突して一面が火の海になりました。
ところが、その火が燃え尽きても、スライムの群れはまだそこにいました。焼け焦げることも蒸発することもなく、ふるふると銀色に揺れ続けています。
ランジュールが楽しそうにまた笑いました。
「残念でしたぁ。ここにいるスーちゃんたちは、火に強い特殊なスライムなんだよぉ。勇者くんたちの攻略法、その三。炎の剣の対策を忘れないこと、ってねぇ」
「なによ、もう! スライムは寒さにも弱いでしょう。ポポロ、一気に凍らせて倒すのよ!」
とルルが言うと、ポポロは青ざめて首を振りました。
「だめよ。ブローチを壊すのと、さっきの見えない敵を倒すので、今日の魔法を使っちゃったもの……」
「そう。攻略法のその四はこれねぇ。魔法使いのお嬢ちゃんが魔法を二度使ってから攻撃すること。これも絶対忘れちゃいけないよねぇ」
くすくす、とランジュールが笑い続けます。上機嫌です。
スライムの大群に取り囲まれて、一行は身動きが取れなくなっていました。
スライムは剣で殺すことはできません。ゼリーのような体なので、突き刺してもすぐに傷がふさがってしまうし、剣で切り払えば、一匹が二匹、二匹が四匹と、切られるたびに数が増えてしまうのです。触れた生き物を溶かして吸収する怪物なので、怪力のゼンも素手で戦うことは不可能です。
じりっとスライムたちが迫ってきました。これだけの数のスライムに一度に襲いかかられたら、いくらフルートたちでも防ぎようがありません。次第にせばまってくる包囲網の中で寄り集まっていきます。
すると、ごうっと音を立てて二匹の風の犬が姿を現しました。ポチとルルが変身したのです。仲間たちの回りを飛び回り、迫ってきたスライムを跳ね飛ばして押し戻します。
「うんうん。こう来るよねぇ、やっぱり」
とランジュールは一人でうなずいていました。その顔は相変わらず楽しげです。さっとまた手を上げて空へ呼びかけます。
「ざぁざぁちゃんもおいでぇ! 出番だよぉ!」
声に誘われるように空に姿を現したのは、一匹の大きなカエルでした。背中に翼があって、羽ばたきながら空中に浮いています。グェックと鳴いたとたん、上空が真っ暗になって雨が降り出しました。あっという間に土砂降りになります。
「ワン!」
「やだ――なによこれ!?」
ポチとルルが大あわてで犬の姿に戻りました。風の犬は強い雨や雪には体を散らされるので、変身していることができなくなるのです。
「攻略法、その五。ワンワンちゃんたちには雨か雪をプレゼントすることぉ」
とランジュールがまた笑います。
土砂降りの中でもスライムたちはまったく平気でした。地面の上を滑りながら、またフルートたちへ迫ってきます。それを防ぐことができなくて、彼らはまた後ずさりました。次第に一カ所に追い込まれていきます。
「ど――どうしたらいいのよ!?」
とルルが言いました。スライムを撃退する方法が思いつきません。きゃあ、とポポロが悲鳴を上げました。スライムが飛びかかってきたのです。とっさにフルートが切りつけると、スライムは真っ二つになって燃え上がり、すぐに火が消えました。後には二匹になったスライムがふるふると揺れています。
「切るな! 増えて手に負えなくなるぞ!」
とオリバンが言うと、ゼンが舌打ちしました。
「今だって充分手に負えねえよ。この状況をどうすりゃいいんだよ?」
ゼンのエルフの弓矢も、スライムにはまったく効果がないのです。
スライムたちが地面の上でいっせいに身を縮めました。フルートたちへ飛びかかっていこうとします――。
とたんに、メールの声が響きました。
「おいで、花たち!」
土砂降りの雨を突いて花の群れが飛んできました。あっという間に彼らの回りに降ってきて、色とりどりの壁を作ります。飛びかかってきたスライムは、壁に当たってそこに貼り付きました。
「大丈夫なのか?」
とゼンが尋ねました。スライムが花の壁を食い破ろうとうごめいているのが見えたのです。メールが答えました。
「あんまりは持たない……でも、他に方法がないんだよ。スライムの天敵ってないの? 花にそれを作らせて、スライムを食わせてやるのにさ」
けれども、彼らはそんなものは知りません。青ざめながら、スライムが花の壁を食い破っていくのを見つめます。雨は降り続いています。全員がずぶ濡れです。
すると、一カ所で急に壁から離れたスライムがいました。次々と地面に落ち、そこでまた揺れ始めます。
「あれ? どうしたのさぁ、スーちゃん。早く壁を破って勇者くんたちを食べるんだよぉ」
とランジュールが言いました。スーちゃんというのは、スライムちゃんを略した呼び名に違いありません。けれども、やっぱりそのスライムたちは動こうとしません。
雨の中で目を凝らしたフルートは、その場所が黄色い花の群れでできているのを見て声を上げました。
「ウシヨイグサだ!」
「なんだ、そりゃ?」
とゼンが聞き返します。
「毒草だよ。牛や馬が食べるとしびれて、死ぬことさえあるんだ。花にも毒があるから、スライムが食べるのをやめたんだ」
「そういうことなら――」
とまたメールが手を差し上げました。あっという間にまた花が集まってきます。今度はすべてがウシヨイグサの黄色い花です。それで自分たちの周囲を囲むと、スライムたちはいっせいに離れました。
あれれぇ、とランジュールは声を上げました。
「そんな対抗手段があったわけぇ? へぇ、困ったなぁ」
とあまり困ったようでもなく言います。
フルートはそっと親友に近寄りました。
「空にいる奴を倒せ」
ランジュールに気づかれないように、敵の方を見たままでささやきます。ゼンは一瞬目を丸くして、すぐに、そうか、とうなずきました。エルフの弓に矢をつがえて、スライムへ向けます。
あれぇ? とまたランジュールが言いました。
「スーちゃんたちに矢は効かないよぉ。わかっているのに、なんでそんなことするのさ、ゼン?」
ゼンは答えませんでした。弓をいっぱいまで引き絞ると、突然、その狙いをスライムから空のカエルへ変えます。ランジュールが、はっとしました。
「ちょ、ざ――ざぁざぁちゃん! 撤収――」
ランジュールの命令は間に合いませんでした。百発百中の矢が雨の中を飛んで怪物を貫きます。翼のカエルは空から落ちて息絶えました。
すると、雨がやみました。あっという間に上空の雲が切れて日差しが降ってきます。
「ポチ、ルル!」
とフルートに言われて犬たちが風の獣に変身しました。花の壁の外に飛び出し、うなりを上げながらまたスライムを跳ね飛ばしていきます。
ふぅん、とランジュールは言いました。
「やっぱりやるよねぇ、勇者くんたちは。それに、このままじゃ風の犬で逃げられちゃうかぁ。もうちょっと戦力をそぎ落としてからにしたかったんだけど、しょうがないね」
とひとりごとを言いながら、また手を差し上げます。
「はぁい、おいでぇ! いよいよ君の出番だよぉ、スーちゃんキング!」
呼び声と共に、巨大な怪物が荒野に姿を現しました。それは全身が銀色に輝く――スフィンクスでした。