すると、ざあっと雨の音を立てて色とりどりの群れが飛んできました。花がセシル王女の上に降りかかってきます。
メールが手を差し伸べて叫んでいました。
「花たち! 見えない敵を見えるようにしておやり! セシルを守るんだよ!」
降ってきた花が敵にまとわりつき、姿を浮き上がらせていきました。人間のような姿をしていて、両手で王女の首を絞めています。すると、突然それが悲鳴を上げて王女から離れました。払いのけるように自分の体をかきむしって駆け出します。花たちがいっせいに茎を伸ばして突き刺し始めたのです。
花はオリバンの周囲にも降りかかり、オリバンの敵も見えるようにしていました。やはり人の姿をして、こちらは王女のレイピアを握っています。見えるようになればこちらのものです。オリバンは大剣を振り上げ、あっという間に敵を切り倒しました。
さらにたくさんの花が上空に飛んできていました。ペンダントの奪い合いになっているフルートの上にも、見えない敵に殴られているゼンの上にも、雪のように降りかかります。何も見えない場所にも降ってきます。
すると、たくさんの敵の姿が浮き上がってきました。何十という数ですが、やはり人の形をしていて、あるものは花を払いのけ、あるものはまた王女へ襲いかかろうとしています。
フルートはつかんだペンダントを見ました。金の石は明滅していません。闇の敵ではないのです。聖なる光で倒すことはできません。
「ポポロ!」
とフルートは叫びました。
「こいつらを一気に片づけろ! 魔法だ!」
「はいっ!」
少女が即座に返事をしました。黒い袖からのぞく両手を組み合わせ、目をつぶって意識を集中させると、片手を高く上げて呪文を唱えます。
「ローデローデリナミカローデ――テウオキテイナエミ!」
とたんに彼らの頭上に暗雲が広がりました。雲間がぴかり、ぴかりと輝き、無数の光の柱になって彼らの頭上に落ちかかってきます。先ほどロダがフルートへ下した雷の、何百倍もの規模です。ドドドドーン、と轟音(ごうおん)が響き、地面が揺れに揺れます。
稲妻の光が消えたとき、あたりには薄い煙ときな臭い匂いがたちこめていました。フルートもゼンも、オリバンもセシルもメールも、全員が倒れたり座り込んだりしています。
「うっひゃぁ。相変わらずポポロの魔法はすさまじいぜ」
とゼンが地面から起き上がってきました。魔法を解除する防具を着ているので、怪我はしていません。
その胸の中から犬の姿のルルが顔を上げました。稲妻が落ちる直前にゼンの懐へ飛び込んだのです。青ざめて泣きそうになっているポポロに、もう、と首をかしげて見せます。
「一応あたしたちは避けようとはしたみたいね。ちょっととばっちりはきたけど、大丈夫よ」
フルートもポチと一緒に起き上がりました。こちらは金の石の光に守られて無事です。
少し離れた場所ではオリバンとセシル、メールの三人が立ち上がるところでした。彼らはメールが作った花の壁で守られていました。
「直撃じゃなかったから、花でもなんとかなったね」
とメールが笑い、まったくだな、とオリバンがうなずきます。
セシルだけが、一人、驚きのあまり声も出せなくなっていました。怪物はもう一匹も見当たりません。魔法の稲妻に打たれて消滅したのです。ごめんなさい、と泣いて謝る少女を、呆気にとられて眺めてしまいます。
地面の上から、もう一人の人物が起き上がってきました。ロダです。よろめいて膝をつくと、そのまま立ち上がれなくなってしまいます。
フルートはいぶかしい顔をしました。
「どうしてそんなに食らっているんだ? おまえも稲妻が来る前に魔法の壁を張っていたじゃないか」
魔法の稲妻は魔獣使いを直撃してはいませんでした。それなのに、意外なほどロダは弱っていたのです。怒った声でうなりますが、それもことばにはなりません。
すると、誰かが言いました。
「お嬢ちゃんの魔法で自分の分身を消されちゃったからだよぉ。一気に力を取られちゃったよねぇ、ロダ」
空中に姿を現したのはランジュールでした。座り込んだまま動けなくなっている男を見て、うふふふと楽しそうに笑います。
貴様、とロダがうめきました。
「天空の国の――魔法使いが一緒だと――何故黙っていた――」
絞り出すような声でやっとそう言います。
うふふ、とランジュールはまた笑いました。
「王女様の居場所を教えてあげるとは言ったけれど、一緒にいる連中の正体まで教えるとは、約束しなかったもんねぇ。それに、ロダだって、ボクに邪魔をするなって言ったじゃないか。言われたとおり、邪魔しないように消えていただけだよぉ。ご自慢のドッペルゲンガーも全部倒されちゃったから、打つ手がなくなって、本当に困ったよねぇ、ロダ」
相変わらず、とぼけた顔をしながら鋭く相手を揶揄します。ロダは歯ぎしりしましたが、言い返すことはできませんでした。ランジュールの言っているとおりだったのです。
フルートの隣にオリバンが進み出てきました。
「貴様は誰に命令されてセシルの命を狙っている? 死にたくなければ白状しろ!」
と大剣をロダに突きつけます。幼い頃から自分の身を守るために剣を握ってきたオリバンです。切っ先にこもった殺気は、はったりではありません。
ロダは青ざめ、次の瞬間、彼らの目の前から姿を消しました。そのまま、どこに行ったかわからなくなってしまいます。
「逃げたね。相変わらず逃げ足は速いなぁ、ロダは」
とランジュールが言いました。昔の仲間が逃げたことを喜んでいるのか、あざ笑っているのか。どうも本心のつかみどころがない青年です。
「城で何かが起きている」
とセシル王女が言いました。ロダが消えていった場所を真剣な目で見つめています。
「メイは何者かに狙われているのだ。ハロルドの具合が悪いのも、ひょっとしたら、そのせいなのかもしれない――」
「だとしても、あなた一人では何もできないぞ」
とオリバンが言いましたが、王女は地面から自分の剣を拾って収めると、大股で馬に歩み寄りました。ものも言わずに鞍に飛び乗ります。
「どこへ行く、セシル?」
とオリバンが驚くと、王女は今来た方角を見て答えました。
「城へ戻る。メイを――ハロルドを守らなくては」
「へぇ、皇太子を助けに行くわけぇ? 王女様に意地悪する女王の息子なのに?」
とランジュールが尋ねると、王女は答えました。
「そんなことは関係ない! ハロルドは私の弟だ!!」
その声の強さに、一同はまた驚きました。ポチが思わずフルートを見上げます。弟の名を呼んだセシル王女の声は、ポチを弟と言ってかわいがってくれるフルートの声に、とてもよく似て聞こえたのです。
ふぅん、とランジュールが言いました。相変わらず透き通った姿で空中に浮かんだまま、ちろりと王女を見下ろします。
「優しい王女様だなぁ。それに、美人だし、オリバンからセシルなんて名前で呼ばれちゃうしさ。妬けちゃうよねぇ。ダメだよぉ、王女様。彼はボクのものだからね。ついでに、勇者くんもボクのもの。彼らは誰にも渡さないんだからぁ」
「勝手に自分のものにするな、馬鹿者!」
とオリバンがどなり、フルートも言い返しました。
「おまえがほしいのは、ぼくたちの命だろう! おまえはぼくたちを殺したくて仕方がないんだから!」
「そりゃそうさぁ。ボクはね、一番愛するものを一番大切に殺してあげるんだよぉ。ボクが繰り出した魔獣で、丁寧に丁寧に、それは綺麗に、ね。血に染まった死体の美しさって知ってる? 息絶えた顔が蝋人形(ろうにんぎょう)みたいに白くなっていって、恐怖や痛みの表情が消えなくなるんだよ。なんにも見なくなった目が、ガラス玉みたいでさ。うふふ、いいよねぇ。勇者くんたちのことも、そうやって美しく殺してあげるからねぇ」
ランジュールがまた笑いました。女のような笑い声はとても楽しげで、同時に、ひどく冷ややかでした。一見陽気に見えるこの青年は、その内側に背筋が凍るような残酷さを飼っているのです。フルートたちは思わず顔をしかめました。
「せっかく愛する人たちが二人揃っているんだもの。今、殺してあげなかったら嘘だよねぇ」
とランジュールが言い続けました。フルートとオリバンは剣を構えました。
「気をつけろ、みんな!」
「あいつが魔獣を繰り出すぞ!」
くすくす、と幽霊の青年が笑います。
「ロダも馬鹿だよねぇ。勇者くんたちに一番効果のある戦い方ってのがあるのにさぁ――。さあ、出ておいで! 勇者くんたちを今日こそ殺してあげよう、スーちゃんたちぃ!」
半ば透き通った痩せた手が、さっと振り下ろされました――。