昼近くになって、一行は馬を停めました。ポポロがブローチを壊した後は、闇の怪物に襲撃されることもなくなっていました。監視の目を振り切ったのだろうと考えて、昼食を取ることにしたのです。
「そら」
先に馬を下りたゼンが手を差し出したので、メールは赤くなりました。
「もう! あたいはなんでもないったら! やめなよ!」
ゼンの手を払いのけて、自分から馬を飛び下ります。
オリバンも自分の馬を下りてセシル王女に手を差し出しました。王女がたちまち目を丸くします。
「なんだ、この手は?」
「馬を下りるのに手を貸している」
当人たちは無意識ですが、祝宴会場で踊りを申し込んだときと同じような会話になっています。
王女は声を上げて笑いました。
「馬鹿馬鹿しい。馬くらい自分で下りられる」
これまたあっという間に地面に下り立ってしまいましたが、フルートがポポロに手を貸しているのを見てオリバンを振り向きました。
「いいのか?」
少年は馬を下りる少女をとても優しい目で見守っていました。少年が少女にどういう気持ちを抱いているのか、王女にも一目でわかったのです。
「何がだ?」
とオリバンは聞き返しました。相変わらず、王女が誤解していることにはまったく気づいていません。王女は、別に、と答え、オリバンから離れながら横目でそっとその様子をうかがいました。
するとオリバンがフルートを呼びました。たちまち少年が駆けてきます。
「なんです、オリバン?」
「我々を見失った敵が、ナージャの森に先回りするかもしれん。金の石の精霊を呼び出して確かめることはできないか?」
「うーん……精霊は特に知らない人の前には姿を見せたがらないんです。セシル姫がいるから、きっと出てきません。ポポロに頼んで透視してみてもらいますよ」
精霊のことはセシル王女には秘密だったので、彼らはごく小さな声で話し合っていました。フルートはうつむいて、ペンダントを隠した胸元を見ています。なんだか、オリバンに叱られてしょげているようにも見える格好です。
「やっぱりな」
王女は、きっちりと誤解を深めると、一行から離れていきました。近くの立木に馬をつなぎに行ったのです。フルートがポポロのところへ駆け戻っていったことには気がつきませんでした――。
火を起こして黒茶を淹れる間に、ゼンが全員に昼食を配りました。
「そら、パンだ。一人一個ずつな。真ん中に燻製肉とチーズとクレソンをおいたから、適当に挟んで食え」
「ワン、クレソンが足りなければ、あっちの小川にまだたくさん生えてますよ。ぼくとルルが見つけたんです」
「デザートはあたいが木に頼んで分けてもらったブラックベリーだからね」
得意そうなポチやメールの声を聞きながら、全員は昼食を始めました。しゃべりながら食べ、黒茶を飲み、またしゃべります。この先また敵に襲われるかもしれないのに、そんな不安や心配は微塵(みじん)も感じさせない陽気さです。
そんな集団から離れるようにして、王女は一人で草の上に座っていました。メイ軍の赤いマントの代わりに、今は女装したフルートに貸していた白いマントをはおっています。半ば背を向けるようにして食事をしていると、その隣にオリバンがやってきました。座りながら尋ねます。
「何故こんなところで一人でいる、セシル姫。皆と一緒に食べれば良いだろう」
「ただのセシルでいいと言っている。私は一人が好きなんだ。ほっといてくれ」
けれども、その声は拗ねたような響きを帯びていました。オリバンにさらに背を向ける格好も、なんだか意地を張っているように見えます。オリバンは首をひねりました。彼女が何に怒っているのか、見当がつきません。
わからないので、自分のほうの話を進めることにしました。
「聞きたいことがあるのだ、セシル姫――いや、セシル。あなたは先に、自分は生まれたときには男だったと言ったな? あれはどういう意味なのだ? まさか、本当に生まれたときには男で、魔法か何かで女に変えられた、とかいうことではないのだろう?」
ああ、と王女は言いました。相変わらずオリバンに背は向けたままで答えます。
「もちろん違う。私は生まれたときから女だ。だが、母上は父上の愛妾だったから、城で出産することができなかった。それで、母上は私に男の名をつけて、生まれてきたのは男の子だった、と城に伝えたのだ。当時、父上と王妃の間に子どもはまだなかった。父上は大変喜んで、将来も王妃との間に男子が生まれなかったら、私に王位を継がせると言った。王妃との間にハロルドが生まれるまでの四年間、私はずっと王子として育てられてきたのだ」
オリバンは驚きました。男の格好をして男ことばで話す王女を見つめてしまいます。いかにも勇ましい姿ですが、その細い肩や首筋には淋しさがにじみ出ています。正当な皇太子が生まれた後、彼女や母親が周囲からどんな扱いをされるようになったかは、聞かなくてもわかる気がしました。
すると、王女が皮肉に笑いました。
「王族でない者には、こんな話は馬鹿馬鹿しくて、とても信じられないことだろうな」
「いや……そんなことはない」
とオリバンは短く答えました。
「ねえ、あの二人、なんかいい雰囲気だよね?」
仲間たちと昼食を取りながら、メールが言いました。そっとオリバンと王女のほうを指さして見せます。
たちまちルルが答えました。
「どこがよ? 王女様は明後日のほうを見てるじゃないの。すましちゃって嫌な感じ」
怒ったような声です。
「そうかぁ? 別にすましてねえだろう、あのお姫様。見た目通り、けっこうさっぱりした性格してると思うぞ」
「セシル姫は悪い人じゃないよ」
とゼンとフルートが口を揃えて言ったので、ルルはますます機嫌を損ねました。
「なによ。美人でスタイルがいいと、男はすぐにでれでれするんだから。メール、ポポロ、ぼんやりしてると王女様に恋人を盗られちゃうわよ」
「なんでだよ!?」
「どうしてそういう話になるのさ!」
赤い顔でむきになって反論するゼンとフルートに、少女たちのほうは苦笑いをしました。ルルがどうしてそんなに王女を毛嫌いするのか、彼女たちにはなんとなくわかっていたのです。
ポチが真面目な調子でルルに言いました。
「ワン、ぼくは別に王女様にでれっとしてなんかいないですよ?」
「だってあなたは犬じゃないの」
ぴしゃりとルルに言い返されて、たちまち子犬がしょげます。
すると、突然フルートの鎧の内側で、胸がちりっと痛みました。小さな熱さを感じます。フルートは驚いて首の鎖を引っ張りました。痛みの元はペンダントです。引き出された金の石は、透かし彫りの真ん中で強く弱くまたたいていました。
フルートは跳ね起きました。
「石が反応してる! 闇の敵だ――!」
かたわらに置いていた兜をかぶり、背中から炎の剣を引き抜きます。他の仲間たちも飛び起きました。ゼンがエルフの弓を手にとって矢をつがえます。
オリバンとセシル王女もすぐに駆けつけてきました。
「敵か!? どこだ!」
「ブローチを壊したから、もう追跡できないはずではなかったのか!?」
口々に尋ねてきますが、フルートにもそれに答えることはできません。またたく金の石を見ながら油断なく剣を構えます。
すると、ポポロとルルが同時に声を上げました。
「あそこだわ!」
「出るわよ!」
何もなかった場所で、巨大なかげろうが立つようにゆらゆらと景色が揺れ、そこから姿を現したものがありました。長さが五メートル、太さ一メートルほどもあるずんぐりした蛇です。
「なんだ、えらく不格好な蛇だな?」
とゼンが言ったとたん、蛇が大きく口を開けました。一同は思わずぎょっとしました。口の中から人間の頭が現れてきたからです。にごった赤い目を彼らに向けてきます。
とたんにオリバンがどなりました。
「危ないぞ! よけろ!」
蛇の口から突き出した頭がまた口を開けていました。いきなり唾(つば)を吐きかけてきます。一同はいっせいに飛びのいて、また驚きました。唾が落ちた場所がくすぶりながら黒く焦げていったからです。草が縮れて崩れ、地面に穴ができていきます。強力な毒の唾でした。
「気をつけろ、みんな!」
フルートが言ったとたん、蛇の怪物がまたぎょろりと目を動かしました。オリバンが視線を追ってどなります。
「よけろ、セシル!」
その瞬間、怪物が、かぁっと口を開けました。ものを焼くように溶かす毒の唾が、金髪の王女へと飛んでいきました――。