緑の宮と呼ばれる建物は、メイ城の別館のひとつでした。金でおおわれた華やかな城と比べると、驚くほど質素な建物ですが、中はそこまでではありませんでした。上等な絨毯が敷かれ、美しい絵画や彫刻が飾られて、ちょうど上流貴族の屋敷の中という雰囲気です。
王女、タニラ、フルートの三人がそこに入っていくと、階段の上から女性の声が聞こえてきました。
「エミリア、もう戻ってきたのですか! あなたはどうしてそう集まりをないがしろにするの!? 祝宴は大事な社交の場だとあれほど――」
中年の女性が怒ったように言いながら階段から下りてきました。光沢のある紫のビロードのドレスを着て、金髪を結い上げ、手には羽根の扇子を持っています。もう若くはありませんが、非常に美しい貴婦人です。
タニラが隣のフルートに身をかがめてささやきました。
「隊長の母君のネラ様だ」
その動きに、貴婦人がタニラを見ました。たちまち目をつり上げ、美しい顔を真っ赤にしてどなり出します。
「またこんな野蛮な女を従えてきて! 私たちの城にあなたの部下を連れてこないで、とあれほど言っているではありませんか! 早く追い出しなさい!」
「タニラは私の部隊の副隊長です、母上。部隊を離れている間は、私の護衛を務めているのです。それに、ここは緑の宮です。城ではありませんよ」
と王女が言います。静かな声ですが、あきらかに母親を注意しています。
貴婦人はさらに顔を真っ赤にしました。
「お黙り、エミリア! ここは陛下が私たちにくださった、私たちの城ですよ! そこに南大陸の蛮族の女を連れ込むなんて、私は絶対に許しません!」
それを聞いて、タニラがすぐに頭を下げました。
「申し訳ございません、ネラ様。今すぐ退出いたします」
白い鎧の女戦士は、異大陸の種族の血をひいた浅黒い肌をしていたのです。タニラ! と王女が振り向くと、女戦士は屈託なく笑って見せました。
「私は魔法医を訪ねて治療してもらってまいります。先ほどの戦いでたたきつけられた腕が、まだ痛んでおりますので」
大柄な女性が屋敷を出て行きます――。
王女の母親は今度はフルートに目を向けました。フルートはまだ青いドレスを着て金髪を結い上げた貴婦人姿です。深くお辞儀をしてみせると、こちらは合格点をもらったようで、つんとすましながら話しかけてきます。
「珍しいことね、エミリアがお友だちを城に連れてくるなんて。あなた、お名前は? どちらの家のご出身? あなたのご親族に、城に関わっている方はいらっしゃるかしら?」
それは宮廷に集まる噂好きな貴婦人たちとまったく同じ口調でした。フルートが何も答えられなくて目を白黒させていると、王女がさえぎるように言いました。
「彼女は私の客です、母上。接待は私がするので、ご心配なく」
「あらそう」
王女の母親はむっとしました。
「ゆっくりしていらっしゃい、あなた。今、侍女にお茶を運ばせましょう。南方諸国から取り寄せた珍しいお菓子もありますよ」
「それも私がします」
と王女がまた言います。
「好きになさい」
母親はいっそう不機嫌な顔になると、暑くもないのに羽根の扇子を広げて、あおぎながら階段を上がっていきました。
「こっちだ」
と王女は屋敷の奥へ進み、別の階段から二階に上がりました。美しいドレス姿ですが、大股で足早に歩く様子は男のようです。それに急いでついていきながら、フルートは話しかけました。
「お母さんに怪物に襲われた話はしないんですか? 王女様があんな危ない目に遭ったとはご存じないんでしょう?」
すると、王女が面白がるように振り返りました。
「案外と庶民的な話し方をするな。貴族ではないのか? 私のことはセシルと呼んでいい。エミリアも王女も、どちらも自分を呼ばれている気がしないからな」
フルートは、ちょっと考え込みました。
「セシルって男の名前ですよね?」
と以前オリバンが言ったのと同じことを尋ねます。
「そうだ。私の本当の名前だ。私が生まれたときに、母がつけた――。何故母に怪物を教えなかったか、という話か? あの人にそんな話をしても理解できないからな。無駄なことはしないことにしている」
「でも、もう少しで殺されるところだったのに」
「それを話したところで、また別の集まりに顔を出せ、と言われるだけだ。あの人の頭の中は、娘を社交界に売り出して、その恩恵で自分の地位を上げることでいっぱいだからな。若くして王の愛妾に見初められて、一時期は王の正妻より后らしいと社交界でもてはやされた人だ。父王が亡くなって政権は女王に渡ってしまったというのに、あの頃の華やかな夢がどうしても忘れられないでいる。まったく愚かな女性だ。だが――それでも私の母なのだ」
そう話す王女は、淡々とした口調でした。怒りも憎しみもない顔は、なんだか、何もかもあきらめてしまっているようにも見えます。フルートはなんと言っていいのかわからなくなり、王女もそれ以上は何も言いませんでした。黙ったまま、王女の案内する部屋に入っていきます。
そこは落ち着いた色合いの部屋でした。テーブルや椅子があり、燭台に蝋燭がともり、暖炉では火が燃えています。王女は暖炉の前の椅子を指さして言いました。
「ここは私の部屋だ。適当に座っているといい」
そして、王女は部屋の隅の大きな箱のふたを開けました。タンス代わりに使われる衣装箱で、中にはきちんとたたんだ服がたくさん入っています。それをかき回しながら、王女は話し続けました。
「お互いひどい格好になっているからな……。おまえもその服では人前に出られないだろう。私の服に着られそうなものはあったかな?」
フルートは焦りました。ドレスは確かに怪物の血しぶきで汚れていますが、これはフルートを女性らしく見せるために特別にあつらえた服です。着替えなどさせられたら、男だということがばれてしまいます。
あの、私はこれでけっこうですから、と断ろうとすると、ひとかたまりの服が飛んできました。ズボンやシャツといった男性用の衣類です。
「あいにくと私はドレスをほとんど持っていないのだ。男物だがこれを着ろ」
王女がドレスを持っていない? とフルートは思わず驚きました。男のように話してふるまう女性なので、それも当然かもしれませんが、それにしても王女が何故? と考えてしまいます。ロムドのメーレーン王女などは、衣装タンスにぎっしりと美しいドレスを詰め込んでいたのに。
すると、王女は手袋を外し、ドレスの背中へ手を回しました。次の瞬間にはボタンを外してドレスを脱ぎ出したので、フルートは仰天しました。王女はフルートの目の前で着替えを始めたのです。あっという間にドレスを脱ぎ捨て、コルセットにレースの長いペチコートという格好になってしまいます。
フルートは真っ赤になりました。コルセットは女性を細く見せるために胴を締め上げる下着ですが、やっと胸の半分をおおっているだけで、その上から豊かな二つのふくらみと胸の谷間が見えていたのです。むき出しになった肩や腕は驚くほど白く、絹のように光りながら優しい線を描いています。王女は、とても均整のとれた、女性らしい体型をしていたのです。
フルートは急いで目をそらしました。うろたえてしまって声が出ません。心臓がいきなりどきどきと早打ち始めます。
すると、スカートのようになったペチコートを外しながら、王女が不思議そうに言いました。
「何をそんなにあわてている? 女同士だ。恥ずかしがることはないだろう」
ばさり、と音を立ててペチコートが床に落ちました。長くすんなりと伸びた両脚が現れます。
フルートは片手で目をおおいました。
「い、いえ、私は、あの……外で待っていますから……」
耳まで真っ赤になって部屋の出口へ向かいながら、しどろもどろになって言います。かすれた低い声が出ます――。
王女はいぶかしい顔になりました。美しい貴婦人姿のフルートをじっと見つめます。と、その目がみるみる大きくなっていきました。
「男か……? おまえは本当は男なのか?」
フルートはぎくりと振り向き、下着姿の王女をまともに見てしまって、また真っ赤になりました。本当に、何をどう言っていいのかわかりません。王女の白い素肌から目をそらすのがやっとです。
そんなフルートの様子に、王女は自分が正しいことを確信しました。驚いて相手を見つめ続け――やがて、はっと自分自身を見ました。短いコルセットと下ばきをつけ、薄絹の靴下をはいただけの半裸姿です。
王女はフルートに負けないほど真っ赤になると、自分の体を隠すように抱きしめました。
「きゃぁぁぁぁ――!!!」
甲高い悲鳴が、屋敷中に響き渡りました。