貴婦人姿のフルートは、メイの王女や女戦士のタニラと一緒に馬車に揺られていました。石畳の道上を走っているので、車輪の音が響きます。馬車はメイ城に向かっているのでした。
しばらくは誰も何も言いませんでした。王女と女戦士は反対側の席に座るフルートを眺め続けています。フルートは思わずうつむきました。女性の姿の自分がなんだかひどく恥ずかしくて、小柄な体をいっそう小さくしてしまいます。
やがて、王女が口を開きました。
「心配するな。あのままではロダに難癖をつけられると思ったから、適当なことを言っただけだ。おまえは私の命の恩人だからな。一度城へ戻るが、後でおまえの婚約者のところへ帰してやる」
うっ、とフルートは心の中でたじろぎました。相手がまだ自分を女だと信じ込んでいるとわかったからです。あれだけの戦いぶりを見せてしまったというのに――。
すると、タニラも言いました。
「まったく大した強さだ。我々女騎士団の中にも、おまえほどの腕前はあまりいない。どこの部隊に所属している?」
大柄でたくましいタニラです。声や姿は確かに女性ですが、なんだか本当に男の人が話しているように感じられます。
フルートは黙ったまま首を振りました。王女と女戦士が揃って目を丸くします。
「どこにも所属していないのか?」
「あれほど戦い慣れていたのに、そんなはずはないだろう」
フルートはやっぱり首を振るしかありません。タニラがいぶかしい顔になりました。
「何故、何も言わない? 話せないのか?」
「いや、そんなはずはないな。おまえが婚約者と話しているところを、私は見ている」
と王女が言います。それ以上黙っているわけにはいかなくて、フルートはためらいながら答えました。
「あの……実は今、声が……」
どんなに女性らしく話そうとしても、声がしゃがれてしまいます。
けれども、二人の女性たちはすぐにうなずきました。
「風邪をひいて話しづらかったのか」
「ひどい声だな。まるで男の声のようだ」
そこまで言いながらも、やっぱり彼女たちはフルートの正体を疑いません。
うーん、とフルートは心の中でうなってしまいました。女と信じてくれるのはありがたいのですが、ここまで完璧に信じ込まれると、あまり心穏やかではいられませんでした。
すると、タニラが今度は王女に言いました。
「さっきの怪物は女王陛下が差し向けたものかもしれません。城に戻るのは危険ではありませんか、隊長?」
「わかっている。私もすぐにナージャの森へ戻る。だが、この格好ではな」
と王女が自分の服をつまんで見せました。流れるようなデザインの優美なドレスですが、怪物と戦ったり油のポットを運んだり、と大活躍したので、服のあちこちに血や油のしみができていました。ドレスに血しぶきが飛んでいるのはフルートも同じですが、王女のドレスは純白なので、それがなお目だって見えます。
タニラは大きな溜息をつきました。
「心配ですよ、隊長。どうもこのところメイ女王や王宮の動きが物騒です。第五師団が象戦車を連れてロムドまで攻め込んでいったり……。城には戻らない方が良いのではありませんか?」
「ハロルドが重病で、明日をも知れない状態になっているからだ。私に王位が回るのを、なんとか阻止しようとしているのだろう」
と王女は答え、タニラが顔色を変えたのを見て、笑ってフルートを指さしました。
「聞かれてもかまわない。ハロルドのことは、祝宴の会場で話題になっていたらしい。耳ざとくて口さがない連中のことだ。明日にはもう、都中の貴族たちが知っているだろう」
そして、王女は、ふっと顔をそらしました。その皮肉な笑い顔が別の表情に変わったのを、フルートは見逃しませんでした。ひどく淋しげな横顔が、窓の外を眺めています。
馬車の行く手にメイ城が見えてきていました。街の真ん中に建つ平城(ひらじろ)で、ロムド城やエスタ城のような高い塔がないので、意外なくらい低く感じられます。家々の屋根の上に、やっと城の屋根が見えるだけです。ただ、それは夜の中でも金色に輝いていました。屋根全体が金でおおわれていたのです。
フルートが馬車の窓から目を丸くして眺めていると、その様子に王女がまた笑いました。
「城を見るのは初めてか。では、よく見るといい。これがメイ城だ」
馬車が角を曲がって大通りに出たので、城が真っ正面にやってきました。通りが広いので、屋根だけでなく建物も見えるようになります。フルートは息を呑みました。その城は、屋根だけでなく、壁も柱も何もかも、輝く金色をしていたのです。
フルートは自分の声のことも忘れて、思わず言いました。
「金――ですか? 本物の金でできているの? あの城が全部!?」
見えているのは城の正面の一部分だけですが、城が放つ金の輝きが、家々の陰から夜空一面を照らしていました。驚くほど広い城なのです。
「純金ではない。金箔で城の表面をおおっているだけだ。中は普通の城になっている」
と王女はなんでもなさそうに答えましたが、たとえ金箔でも、これだけの大きさとなると、相当の量の金が使われていることになります。これを作った王室の財力は、かなりのものだということでした。
「城を金ぴかに飾ったのはメイ女王です」
とタニラが言いました。吐き捨てるような調子です。
「城に集まってくる連中のように城を着飾らせてどうなると? それだけの金を、もっと別のところに使ったほうが良いでしょうに」
「いや、あれも意味がないわけではない」
と王女は静かに答えました。
「城は王室の力を周囲に知らせる。義母上の実力が増したのは、城が黄金城になってからだ。国中の主立った貴族たちが、こぞって父上ではなく義母上に忠誠を誓うようになったからな。義母上にしてみれば、必要経費だったことになる」
「ですが――」
タニラはやっぱり不満げです
フルートはそっとまた王女を盗み見ました。王女はただ淡々と城を眺めています。何も表情を浮かべていない顔が、またなんとなく淋しげに見えました……。
やがて、馬車は橋を渡って堀を越え、城の中へ入っていきました。
彼らが通ったのは城の正門ではなく、反対側にある裏門でした。黒い鉄の門をくぐるとそこはもう城の敷地でしたが、きらびやかな正面に比べると、なんとなく暗い感じがします。夜の中に焚くかがり火の数が少ないのです。城は金色に輝きながら目の前にそびえていましたが、普通の石造りの建物や低い塔もいくつも並んでいます。
すると、王女がフルートに言いました。
「がっかりさせるかもしれないが、我々は黄金城には入らない。あそこはメイ女王や皇太子が住むところだからな。我々が行くのは、緑の宮だ」
フルートは思わずまた王女を見ました。王女が言っていることは明白です。メイ女王の本当の子どもではないために、城の中で女王や他の家臣たちから差別され、疎んじられているのに違いありません。
それを証明するように、馬車は一つの建物に近づいていきました。石造りの二階建てのそれは、城と比べるとあまりに小さく、夜の闇の中に沈んでいるように見えました。馬車が停まると建物から家来が飛び出してきて出迎えましたが、それもほんの二、三人でした。一国の王女が戻ってきたというのに、信じられないほどの質素さです――。
目を丸くし続けているフルートに、王女が皮肉っぽく言いました。
「驚いたか? これがメイの王女の生活の実態だ。わずらわしくなくて、私は気に入っているがな」
「こんな嫌みな城になどいないで、早く森にお戻りになればいいのです」
とタニラがまた口を尖らせたので、王女は笑いました。
「そう急かすな。すぐに戻る」
皮肉な表情が消えて、楽しげな口調になっています。
ふぅん……とフルートは心の中でつぶやくと、王女や女戦士の後について、石造りの建物に入っていきました。