シースー卿やその奥方と一緒に屋敷の外に出ながら、オリバンは尋ねました。
「あの怪物はなんだったのだ? 王女は自分を殺すために差し向けられたと考えているようだったが、本当にそうなのか?」
「可能性はあります」
とシースー卿が答えました。屋敷の使用人や警備兵が彼らとすれ違うようにして廊下を走り回っていました。屋敷の安全を確認しているのです。ホールを飛び出した客たちは、とっくに逃げてしまって、あたりに姿は見当たりません。ここでもオリバンたちに目を向ける者はありませんでしたが、シースー卿は用心して小声になっていました。
「お感じになったでしょうが、王女とメイ女王の確執は相当なものです。しかも、皇太子のハロルド王子は重病で明日をも知れない状態のようです。メイ女王が王女に王位を譲りたくない、と考えて刺客をさしむけてもおかしくはないでしょう」
オリバンは思わず、ふぅむ、とうなってしまいました。オリバン自身もフルートと共に王位継承の陰謀に巻き込まれたことがあります。王宮というのは王座を巡って血なまぐさい争いを繰り返している場所なのです。オリバンの横っ面をたたいて「義母上の回し者か!」と言った王女の顔を思い出します。
彼らは屋敷の外に出ました。前庭に人の姿はなく、いくつものかがり火が明るくあたりを照らしているだけです。そこを見回しながら、オリバンは不思議そうに言いました。
「ゼンとメールはどこだ?」
そういえば、と一行は思い出しました。屋敷の中でこれだけの騒ぎが起きたというのに、真っ先に駆けつけるはずの二人が姿を見せていません。
ポチが言いました。
「ワン、途中までは一緒だったんですよ。ポポロの案内で屋敷にこっそり入ろうとしたら、闇の敵だ、ってポポロが言ったから、ぼくとルルが先に来たんだけど――」
「警備兵に見つかってもめてるのかしら?」
とルルが言いながら、誰もいない夜の空に向かって呼びかけました。
「ポポロ、早くここを脱出しないとまずいわ。ゼンとメールはどこ?」
勇者の一行はどこでもポポロと話すことができますが、その中でも、ポポロと姉妹のように育ってきたルルは、つながりが強力です。呼びかける声は絶対に伝わっていくのですが、ポポロから返事がありませんでした。代わりに、ポポロが泣いている気配がしました。
ルルは首をかしげました。
「どうしたの、ポポロ? 泣いていちゃわからないわよ」
すると、ポチやオリバンにもポポロの声が聞こえてきました。
「早く――早く来て、みんな――」
とポポロはしゃくりあげながら言いました。
「メールが――倒れたの――!」
一同は仰天しました。自分の耳を疑ってしまいます。
オリバンがどなりました。
「どこだ!? どこにいる!?」
「お屋敷の――横の庭――。そこからは左手よ――」
やっとそれだけを言うと、ポポロは、わあっと声を上げて泣き出してしまいました。
彼らが言われた方へ駆けていくと、メールたちの居場所はすぐにわかりました。ゼンが大声で呼び続けていたのです。
「メール! おい、メール! どうした!? 目をさませよ、メール――!!」
ポポロのむせび泣く声も聞こえています。どちらも半狂乱です。
オリバンは駆け寄って言いました。
「静かにしろ、屋敷の者に気づかれるぞ。いったいどうしたのだ?」
ゼンの腕の中で侍女姿のメールがぐったりとしていました。青ざめた顔で目を閉じ、力なくゼンの胸に寄りかかっています。ポチとルルも駆け寄って、すぐにメールに鼻や頭を押し当てました。
「ワンワン、メール!」
「メール、どうしたのよ!? しっかりしなさいよ!」
メールは息はしていました。けれども、どんなに呼びかけても、力を込めて体を押しても、まったく正気に返りません。いつも気が強くて元気なメールのこんな姿を見るのは、誰もが初めてです――。
オリバンはメールを呼び続けるゼンの肩をつかみました。
「落ち着けと言っているのだ、ゼン。何があった?」
「わ――わかんねぇよ!!」
とゼンがわめきました。
「い、いきなりなんだ! 走っている途中で突然倒れて、それっきりぴくりとも動かねえんだよ!」
ポポロは地面に座り込み、顔をおおって泣いていました。馬車の中から魔法使いの目で仲間の様子を見ていた彼女は、メールが倒れたのに驚いて駆けつけてきたのですが、メールがまったく目を覚まさないので、どうしていいのかわからなくなっていたのでした。
ルルは、くんくんとメールの匂いをかぎました。
「悪いものの匂いはしないわね……。闇の魔法や何かのせいじゃないみたいだわ」
「医者に連れていかねば」
とオリバンが言うと、ゼンは首を振りました。
「こいつは海の王女だぞ! 人間の医者に治せるかよ!」
「だが、では、どうするというのだ――!?」
静かにしろ、と言っていたオリバン自身が、つい大声になっています。あたりに人影はありませんが、屋敷の中や外では大勢が走り回っている気配がしています。じきにここにも人が来るのに違いなかったのです。
すると、ポチがぴん、と耳を立てました。ポポロを振り向いて言います。
「ワン、ポポロの魔法でメールを起こせませんか? 気付けの魔法みたいの、ないですか?」
ポポロは両手の中から泣き顔を顔を上げました。
「で、できないことはないけれど……でも……」
「かまわん。早くそれをやれ、ポポロ」
とオリバンが言ったので、ポポロはためらいながら片手を伸ばしました。彼女の服は黒い星空の衣のままです。ゼンに抱かれているメールに、そっと手を触れて言います。
「ロキオルーメ」
とたんに、その場にいた一同に、ばりばりっと強い衝撃と痛みが走り、全員は悲鳴を上げました。メールの周りにいたので、魔法に巻き込まれてしまったのです。無事だったのは、少し離れたていたシースー卿夫妻だけでした。
「ご、ごめんなさい……!」
ポポロが青くなってまた顔をおおったとたん、メールが動きました。ゼンの腕の中で大きく息を吐き、頭を上げて目を開けます。
「あれ?」
とメールは言いました。自分を見つめる仲間たちを不思議そうに見返します。
「どうしたの、みんな? そんな顔して。なんかあったのかい?」
「なんかって――おまえな!」
メールがあまりいつもの調子だったので、ゼンは思わずどなりつけました。メールがたちまちむっとします。
「なに怒ってんのさ、ゼン? だいたい、なんであたいのこと抱いてんだい。あたいは自分で歩けるよ」
「メール……自分がどうなっていたか覚えてないの?」
とルルが尋ねました。
「どうなっていた?」
「いきなりぶっ倒れたんだよ、おまえ! ホントにもうなんでもねえのか!?」
メールは驚いて、確かめるように自分の体に触りました。すぐに首を振ります。
「なんでもないよ。あたい、倒れたのかい? なんで?」
「知るか、馬鹿! こっちが聞きたいぜ!」
「なにさ! どなることないじゃないか、もう!」
メールは怒って立ち上がりました。そんな様子はいつもとまったく変わりありません。わけがわからなくて、一同は呆気にとられました。
すると、シースー卿が声をかけてきました。
「メール様が大丈夫になったのであれば、急いでここを離れましょう。こんなところを見つかっては大ごとです」
そこで一同はすぐに移動を始めました。屋敷の外の広場に停めた馬車へと歩き出します。ゼンがメールを抱きかかえていこうとしたので、メールがまた騒ぎました。
「下ろしなよ! あたい、自分で歩けるったら!」
メールは本当にもう元通りのようでした――。