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第12巻「一角獣伝説の戦い」

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第7章 メイ城

22.貴婦人

 「おまえは……」

 メイの王女はそう言ったきり、後が続かなくなりました。

 見上げるような大猿の怪物が目の前に立っています。振り下ろされてきた爪を止めているのは美しい貴婦人です。華奢な両腕は、怪物の強烈な一撃を剣で受け止めたまま、びくともしません。

 王女が自分の目を疑っていると、貴婦人が動きました。なんと怪物の手を跳ね返し、自分から踏み込んで剣を突き出したのです。怪物が腹を貫かれ、悲鳴を上げて飛びのきます。あまり攻撃が素早かったので、王女には太刀筋が見えませんでした。

 ホールに残っていた人々も、逃げるのを忘れて、ぽかんとそれを眺めていました。虫一匹殺せないように見えていた絶世の美女が、剣を握り、巨大な怪物相手に戦っているのです。しかも、信じられない強さです――。

 貴婦人がまた怪物に切りつけました。大猿はさらに飛びのき、長い腕をまた振りました。貴婦人の細い胴を真っ二つに引き裂こうとします。

 すると、貴婦人が身をひるがえしました。青いドレスと灰青色のケープがふわりと踊るように広がり、怪物の爪を軽くかわします。おおっ、と見ている人々が声を上げる中、空振りして体勢を崩した怪物へまた剣を振り下ろします。とたんに、ずん、と意外なほど重い音がして、怪物の片腕が肩から切り落とされました。人々の声が感嘆から驚愕に変わります。

 

 血をまき散らして飛びのいた怪物は、怒りの声を上げました。腕一本切り落とされては、さすがの闇の怪物もすぐには回復できません。がちがちと歯がみをして貴婦人をにらみつけます。

 フルートは剣を構え直していました。貴婦人の格好でこんなことをすれば正体がばれてしまうというのに、それを心配している余裕がありません。また踏み出して手負いの怪物に剣をふるいます。

 怪物はさらに飛びのき、赤い目を王女に向けました。フルートを手強いと見たのか、大きく飛び上がり、フルートの頭上を越えて王女のほうに襲いかかります。

 しまった、とフルートは振り向きました。とっさに剣を突き出しますが、フルートの身長では剣が届きません。怪物が切っ先をかわしてギキキィッと王女へ飛びついていきます。

 すると、王女が突然きっとした表情になりました。先刻は思わず目を閉じてしまったのに、今度は怪物をにらみつけます。燃えるようなすみれ色の瞳が怪物を見据えます。とたんに、怪物が何かに弾かれたように飛びのきました。四つん這いの姿勢で床に着地して、そのまま、うかがうように王女を見ます。

 その隙にフルートはまた王女の前に飛び込みました。剣を構えながら、背後の王女をちらりと振り向きます。なんだか今、王女が怪物を見えない力で跳ね返したように見えたのですが……。

 

 その時、怪物がまた飛び出してきました。やはりフルートをかわし、王女に襲いかかろうとします。

 けれども、今度はフルートの剣が届く距離でした。フルートは飛びかかってくる怪物へ鋭く剣を振りました。猿の頭が血をまき散らしながら宙を飛び、床を転がっていきます。ホール中の人々はまた驚きと恐怖の悲鳴を上げました。赤黒い血しぶきの雨の中、剣を握っているのは、青いドレスを着た美しい貴婦人です――。

 首を切り落とされても怪物はまだ生きていました。床に落ちた頭が歯をむき出して鳴きわめくと、巨大な体がむくりと立ち上がって、また攻撃してきます。けれども、頭がなくなった体は周囲を見ることができません。王女ではなく、腰を抜かしたまま動けなくなっていたグェン公に襲いかかります。フルートの剣が間に合いません――。

 

 すると、彼らの目の前でいきなり怪物の体が火を吹きました。黒い体があっという間に炎に包まれます。

 同時に床に転がった怪物の頭も絶叫しました。やはり、突然火を吹いて燃えだしたのです。みるみるうちに焼けて黒い炭になっていきます。

 驚いている一同の目の前に、一人の人物が姿を現しました。黒みがかった赤い長衣をまとい、フードをまぶかにかぶった背の高い男です。ホールを見渡し、王女とグェン公に目を止めると、深々と頭を下げます。

「ご無事でございましたな、エミリア様、グエン公爵」

 それを聞いて王女が眉をひそめました。

「ロダか? 城を守る魔法使いのおまえが、何故ここにいる」

「それがしの心眼に怪物の姿が映りましたので、城よりはせ参じました。これは闇の怪物でございます。間に合わないのではないかと心配いたしました」

 言いながらフードを外すと、その下から中年を少し回った男の顔が現れました。わし鼻で、薄青い鋭い目をしています。王女は急に冷ややかな表情と声になりました。

「間に合わない方が良かったのではないか? 私が怪物に始末されれば、おまえの主人は喜ぶだろう」

 はっと会場中の人々が息を飲んだ気配がしました。かたわらのグエン公も顔色を変えています。

 けれども、男は落ち着き払って答えました。

「女王陛下もエミリア様をご心配でいらっしゃいます。まこと、ご無事でなによりでした」

 また深々と頭を下げ、次に目を向けたのは、貴婦人姿のフルートでした。射抜くような鋭い目で見つめてきます。

「さて、ところでこちらの令嬢はどなたでしょう? 尋常ならないお強さでしたが、都ではお目にかかったことがありませんでしたな」

 フルートは青ざめました。我を忘れて王女を助けに飛び出してしまったのですが、大変な事態になったことにやっと気がついたのです。自分は怪物の血に染まった剣を握って立っています。青いドレスにも金髪にも血しぶきが飛んでいます。そんな姿を会場中の人間が驚きと疑いの目で見つめているのです。

 

 その時ようやくホールまで戻ってきたオリバンが、中の光景に目を見張りました。フルートや人々の様子を見て何があったのかは瞬時に悟りますが、フルートの前に立つ人物がわかりません。とっさには声もかけられずにいると、急に誰かに腕をつかまれました。シースー卿でした。

「お静かに。あれはロダといって、メイ女王の信任の厚い魔法使いなのです。目をつけられては大変です」

 とオリバンにささやきます。その足下にはポチとルルが駆けつけていましたが、やはり、どうしていいのかわからなくなって立ち止まっていました。

 とまどうフルートにロダという魔法使いが近づいてきました。体を折るようにしてかがみ込み、ずいと顔を近づけてフルートを眺めます。鋭い瞳は、本当にフルートを見透かそうとしているようです。

「あなたはどなたですか?」

 とロダがフルートに尋ねました。

「どちらからいらっしゃいました? それほどの腕前だというのに、今まで噂も聞いたことはなかったのは何故でしょう――?」

 魔法使いはあきらかにフルートを疑っていました。薄青い目は、なんだか獲物に飛びかかる直前の蛇の目のようです。

 

 すると、そんな魔法使いとフルートの間に割って入った人物がいました。王女です。白いドレスの後ろにフルートをかばい、顎を上げて言います。

「これは怪しい者ではない。私の警護をしている私の部下だ」

「エミリア様の?」

 魔法使いが驚いたように王女を見ました。さらに、その後ろに白い鎧の女戦士が立ち上がってくるのを見て、疑わしげに続けます。

「ナージャの女騎士団の一人だとおっしゃいますか? だが、護衛はそこにすでに一人いるようですが」

「念のためにもう一人、変装させて配備しておいたのだ。どうも最近、私の身辺で物騒な気配がしていたからな。案の定だった」

 と王女は答え、鋭い目で逆に見つめ返しました。

「何故、すぐに駆けつけなかった、ロダ? 私が襲われているときには現れずに、グェン公がやられそうになったとたんにおまえが出てきたのは、単なる偶然か?」

「偶然でございます。エミリア様。遅くなって申し訳ありませんでした」

 とロダは答えて頭を下げました。口調や表情は落ちつき払ったままです。

 

 フルートは王女が自分をかばってくれたことに驚いていました。王女が自分を女騎士団の一員だ、と言ったとたん、会場中の人々が納得した顔になったことに、さらに驚きます。非常に説得力のある理由だったのです。

 魔法使いが何も言わなくなったので、王女が言いました。

「城へ帰るぞ。これ以上ここにいて、また怪物が私を襲ってきたら、公や客人たちに迷惑がかかってしまうからな」

 痛烈な皮肉を込めたことばですが、フルート自身の想いと共鳴するものがありました。王女は周囲を巻き込みたくないと本気で考えているんじゃないだろうか、と思います。

 すると、タニラが王女に従いながらフルートを呼びました。

「来い」

 二度も怪物にたたき伏せられた女戦士は、痛みに顔をしかめ、片腕を抱え込んでいますが、それでも大股に歩いていきます。この場では彼らと一緒に行くしかありませんでした。フルートは二人の女性について行きながら、仲間たちをちらりと振り向きました。オリバンがうなずいたのを見て、目だけでうなずき返し、王女たちと一緒にホールを出て行きます。

 会場中が急に騒がしくなりました。人々がいっせいにしゃべり始めたのです。驚きや恐怖が冷め切らない声で、怪物のこと、戦いのこと、女戦士たちや王女のことを話します。グェン公も城の魔法使いと話し始めました。

 すると、シースー卿がまたオリバンにささやきました。

「今のうちにここを出ましょう。あなたは王女を助けてしまった。このまま王都にいては危険です。即刻屋敷に戻りましょう」

 そのことばが意味する物騒さにオリバンは目を見張り、すぐに黙ってうなずきました。

 

 会場から貴族の老夫妻と大柄な青年と二匹の犬たちが姿を消しました。

 人々はまだ興奮してしゃべり合っていて、まったくそれに気がつきませんでした――。

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