そこにいるのは誰だ!? と大声で問いただされて、ゼンとメールは顔色を変えました。とっさに逃げ道を探しますが、警備兵は二人が隠れる茂みのすぐ後ろにいるので、飛び出せば見つかってしまいます。もちろん、力ずくで脱出はできるのですが、そうすれば祝宴がめちゃくちゃになって、彼らを連れてきたフルートたちやシースー卿まで疑われてしまうかもしれません。
「ど、どうしよう――?」
とメールはうろたえました。ゼンは警備兵のいるほうをにらみつけ、一瞬考え込んでから、よし、と言いました。
「メール、おまえは声を出すな」
と言うなり、メールの細い体を捕まえ、そのまま強く抱きしめてしまいます――。
「早く出てこないか!」
警備兵がまたどなり、誰も出てこないのを見て腰から剣を抜きました。いっそう大声で呼びかけます。
「出てこいと言っているのだ! 何者だ!?」
それでも返事がないので、警備兵は剣を構えたまま、もう一方の手で茂みをかき分けました。とたんに、怒ったような若い男の声が返ってきました。
「るせぇな! いいところなんだから邪魔すんな!」
茂みの中にかがみ込んでいたのは若い男女でした。男が背中を向けて、娘を熱く抱きしめています。
おっ、と警備兵は鼻白みました。恋人同士が隠れて抱き合っているのだと思ったのです。押しのけていた枝を戻し、咳払いをしながら言います。
「こんな場所で何をしている。やるなら、もっと別の場所に行かないか」
「早くあっち行けったら!」
と男がまたどなったので、警備兵は剣を収め、きまり悪そうに離れていきました……。
へへっ、と茂みの中でゼンが笑いました。
「うまくいったな。また見つかったら、この方法でいくか」
「もう、ゼンったら」
とメールが赤くなって言いました。
「放しなよ、もういいだろ? 移動しなくちゃ」
「いや、まだだ。今すぐ出たら、かえって怪しまれるからな」
ゼンはまだメールを抱きしめたままでした。間近に寄せた顔から、じっとメールの顔を見つめてきます。メールはいっそう赤くなりました。
「な、なにさ?」
「おまえって、本当に綺麗だよな」
唐突にゼンが言いました。メールがどぎまぎするくらい、まったくためらいのない声です。
「髪を黒く染めてるのは気にいらねえし、ドレスだってなんかおまえらしくねえけどよ、でも、やっぱりおまえは綺麗だぜ。そばで見てると、ドキドキしてくらぁ」
メールは迫ってくるゼンの顔をあわてて押しとどめました。キスしようとしてきたのです。
「ちょ、ちょっと――なにすんのさ! 本当にそこまでやる必要はないだろ!?」
「キスぐらいいいだろうが。俺たち婚約してんだぞ」
「こんなことしてる場合じゃないだろ!? 後にしなったら!」
「お。後でだったら、ちゃんとキスさせてくれるのか?」
「もう――馬鹿なこと言ってんじゃないよ!」
メールは逃げだそうとじたばたしましたが、ゼンは放そうとはしません。逆に抱きしめ直してこう言います。
「どんな格好をしたって、おまえはやっぱり綺麗だぜ。最高にな――」
メールは、また真っ赤になりました。
すると、茂みの別の方向からガサガサと音がして、一匹の子犬が入り込んできました。
「ワン、やっぱりゼンとメールだった。こんなところで何を騒いでるんです? 外まで聞こえてますよ」
とあきれたように言います。ポチでした。
ゼンは、口を尖らせて、ちぇ、と言いました。
「そっちこそ、本当に邪魔すんなよ――。ルルも一緒なのか?」
「いるわよ。痴話喧嘩なら後にしなさい。大変なことがわかったんだから」
と茶色の雌犬も茂みに潜り込んできました。大変なこと? とゼンとメールが聞き返すと、ポチが答えました。
「ワン、ぼくたち、さっき入り口でメイの王女様を見かけたんですよ。ナージャの森で会った、あの女騎士でした。エミリア王女って、あの人だったんですよ」
「なんだって!?」
ゼンとメールは驚きました。
「って、ナージャの森でオリバンと戦ってた、あの女隊長のことか? うひゃ、マジかよ」
「それって、まずいね。中でオリバンやフルートと鉢合わせしてるじゃないのさ。絶対こっちに気がついてるよ」
「ワン、だからぼくたちも心配で、中に入れる場所がないか探してたんです。ここからでは会場が全然見えないから」
とポチが答えます。
ふぅむ、とゼンは考え込みました。一行のリーダーはフルートですが、それを補佐する副リーダーはゼンです。フルートが指揮を執れないときには、代わりにゼンが行動を決定するのです。
すると、ゼンは急に小声で呼び始めました。
「ポポロ――ポポロ、聞こえるか?」
すぐに広場に停まった馬車にいるポポロから返事がありました。
「聞こえるわ、ゼン。なに?」
「今どこを見てる? ちょっと会場を見てくれ。たぶん、フルートとオリバンが、ナージャの森で会った女騎士に出くわしてるはずなんだ。それがメイの王女だったんだよ」
ポポロから驚いたような気配が伝わってきました。少しの間があってから、こんな返事が聞こえてきます。
「大丈夫……騒ぎにはなっていないわ。王女様はフルートやオリバンの正体には気がつかなかったみたいね。オリバンと普通に話をしてるわ……あ、一緒に踊り出した」
「オリバンと王女が?」
とゼンたちはまた目を丸くしました。
「ねえ、行ってみよう! 見てみようよ!」
とメールが身を乗り出しました。ルルも、耳としっぽを高く上げて言います。
「そうよ。オリバンと王女が踊ってるだなんて見逃せないわ! ポポロ、どこか会場が見えるところに行く道はない? 見つけて案内してちょうだい!」
妙に興奮する一行にせかされて、ポポロがまた魔法使いの目を使い始めた気配がしました。
ゼンは腕組みをして茂み越しに屋敷を眺めました。
「女のふりをした勇者と、男みたいな王女かよ。すげえ取り合わせだな」
「そこに正体を隠した皇太子まで一緒だよ。だから絶対に見逃せないって言ってんのさ!」
とメールが言いました――。
屋敷のホールでは、王女が質問を終えて青年から離れようとしていました。どうやら怪しい者ではないらしい、と納得したのです。すると、目の前に片手が差し出されたので、王女はいぶかしそうに青年を見上げました。
「この手はなんだ?」
「踊りに誘っている。ちょうど次の曲が始まるところだ」
と青年が大真面目で答えます。
王女は目を丸くしました。思わず口から出たことばがこれでした。
「正気か、おまえ!?」
「舞踏会で女性を踊りに誘うのがそんなにおかしいことなのか、セシル姫?」
青年はどこまでも真面目な調子です。彼女が本当の名だと言ったほうの名前で呼びかけてきます。
王女はあきれた顔をしました。
「おまえはよくよく世間知らずなようだな……。私を踊りに誘ったりして無事でいられるわけはない。悪いことは言わない。やめておくことだ」
「踊れないのか」
皮肉ではなく、本気でそう言われたのを感じて、王女はかっと赤くなりました。
「失礼な、踊れるとも!」
「では、一曲私と踊ってくれ」
と青年が礼儀正しくお辞儀をします。
ふん、と王女は鼻を鳴らし、青年の手に自分の手を重ねました。白い手袋をはめた、すらりとした腕です。肘のあたりまである袖のひだが、重なるさざ波のように揺れます。
どよめきがホールに響きました。オリバンが王女の手を取ってホールの中央に進み出たので、会場中の人々が驚いて声を上げたのです。
その声を聞きながら、王女は皮肉に笑いました。
「世間知らずの無鉄砲め。これでおまえは一生出世できなくなったぞ」
あざ笑う声の中に、何か別のものが混じっていました。何故だか声が悲しげに揺れた気がします……。
「心配いらん。そんなものは、最初から望んでなどいない」
オリバンはぶっきらぼうに答えると、曲に合わせて王女と踊り始めました――。