グェン公の祝宴に姿を現した王女に、会場の全員が注目していました。豊かな金髪を結い上げ、すらりとした長身に白いドレスをまとった、非常に美しい女性です。女装したフルートにも負けないほどの美人なのですが、それを眺める人々の目は好意的ではありません。静まりかえった会場に、一つの聞こえない声が響いているようでした。場違いな人間が来た、さっさと帰ればよいのに――と。
それは王女を招待したはずのグェン公さえも同じでした。本当に来てしまったのか、という表情をしています。義理でしかたなく王女を招待していたのです。
けれども、王女はとげとげしい空気を無視して会場に入ってきました。入り口の脇でひざまずく女戦士に声をかけます。
「ここで待機していろ、タニラ。公に挨拶してくる間だけだ。長くはかからない」
まるで男のような口調は、ナージャの森で出会った女騎士の時と同じです。声を聞いた客たちが、またいっせいに眉をひそめました。口うるさい貴婦人たちが、たちまちひそひそ話を始めます。王女らしくない態度にあきれているのです。
「あの人がエミリア王女だったんだ……」
とフルートがオリバンにささやきました。
「まずいな。こちらに気づいたぞ」
とオリバンが答えます。会場を見渡していた王女の目が、ぴたりとオリバンとフルートの上に止まったのです。ドレスの裾を蹴飛ばすような勢いでグェン公のところへ飛んでいくと、フルートたちを指さして何かを問いただします。公が驚いてそれに答えます。やがて、王女はにらみつけるような顔で振り向き、つかつかとこちらへ歩き出しました。
「私が相手をする」
とオリバンは言って、フルートから離れました。やってくる王女に自分から歩み寄って、丁寧に一礼します。
「あなたがエミリア王女だったのか。先日は知らずに大変失礼した」
オリバンは王女とナージャの森で剣を合わせています。今さら上品な口調で取り繕う必要もなかったので、普段の口調で話しかけます。
そんな青年を王女はにらみ上げました。疑いの色をありありと浮かべて言います。
「おまえの名はアルバートだと? 嘘をつけ。あの時、森で呼ばれていたおまえの名は、そんなものではなかったはずだぞ」
「それを言うなら、あなたも森ではエミリアなどとは呼ばれていなかっただろう」
とオリバンが言い返します。王女は一瞬詰まり、すぐに、つんと顔をそらしました。
「私の本当の名はセシルだ。その名が女らしくないというので、周囲がよってたかってエミリアという名をつけたのだ。そんなものは私の名前ではない。だが、私のことではなく、おまえのことだ。私の質問に答えていないぞ」
ドレスを着ていても、王女の口調と態度は女騎士の時のままでした。敵を見る目つきでオリバンをにらみ続けています。
オリバンは肩をすくめてみせました。
「私の名前はアルバート・オリバン・マリス。オリバンは私の幼名だ。友人たちはそちらで私を呼ぶ」
とっさについた嘘にしては上出来でした。王女はまだ完全には納得していませんでしたが、それでも、ふん、と言ってちょっと態度を和らげました。離れた場所からこちらを眺めているフルートを見て、また言います。
「あれは、あの時一緒に森にいた連れの一人だな。婚約者と聞いたが、女だったのか。てっきり男なのかと思ったぞ」
「私の大切な人だ……。今までも、これからも」
とオリバンは静かに答えました。声に真摯(しんし)さがにじみます。適当なごまかしではありません。フルートは本当に彼の大切な友人なのです。
その誠実な口調に王女は肩の力を抜きました。ふん、とまた鼻を鳴らすと、改めてフルートを眺めます。
「美しい婚約者だな。よくお似合いだ」
「ありがとう」
とオリバンは答えました。男のフルートとお似合いだと言われてしまって、内心ではどう感じても、そんなものは決して外に出しません。王女と目のあったフルートが、ドレスの裾を持って深々とお辞儀をしました。完璧な女性のしぐさでした――。
王女がまたオリバンと話し出したので、フルートがほっとしていると、取り巻きたちがやってきました。
「オリビアさん、早く婚約者を呼び戻しなさい」
「王女様と話なんかさせちゃダメよ。野蛮が移るわ」
「まったく。いくら見た目が美しくても中身がああではね。都になんか来ないでほしいな。澄んだジュカの空気が汚れるじゃないか」
本当に、王女はえらい嫌われようです。フルートは心の中で首をかしげました。確かに王女はお世辞にもおしとやかとは言えませんが、それでも自然な品の良さを漂わせています。オリバンの正体を疑って食ってかかっていますが、いきなりどなりつけたり手をかけたりするようなこともしません。不作法に見えても、きちんと場をわきまえているのです。それだけの配慮をできる人が、これだけ皆から毛嫌いされている理由がわかりませんでした。
すると、取り巻きの一人が言いました。
「やっぱり下賤(げせん)な血をひく者は下賤だってことなんだよ」
侮蔑するようなその声に、フルートは、はっとしました――。
ゼンとメールは人目を避けながら前庭のほうへ移動していました。今夜は公爵の屋敷の至るところで大きなかがり火が焚かれています。その光に照らされないように気をつけながら、暗がりや茂みを渡り歩き、メイ国に関する話をする客はいないかと探し続けます。
すると、入り口に近い庭先で立ち話をしている二人を見つけました。酒のグラスを持った貴族たちです。
「エミリア王女が来たな――」
と一人が言いました。自分の国の王女だというのに、まったく尊敬を払っていない声です。
「メイ女王とあれだけやりあっておいて、よくも平気な顔で出てこられるものだな。今も女王ににらまれている身だというのに」
「グェン公も情けない顔をしていたぞ。まさか王女に声をかけないわけにはいかないから、しかたなくて招待状を出したんだ」
「それにしても、王女は最近本当によく集まりに顔を出すな。何が目的なんだ?」
「売り込んでいるんだよ。皇太子殿下を差し置いて、次の女王の座を狙っているんだ。ネラ様の差し金だ。女王の母親になりたくてしかたがないんだからな」
「まったく下々の者は愚かだ。あんな有り様で女王になれると思いこんでいるのだから。誰もあの王女を女王になどいただきたくないんだぞ――」
そこへ屋敷の中から別の貴族がやってきました。二人の知人だったようで、声をかけながら話に混ざってきます。話題はそれきり、別の内容に移っていきました。
茂みの中でゼンとメールはまた顔を見合わせました。
「ちょっと、今の話……」
と言うメールに、ゼンはうなずきました。
「ああ。どうやらエミリア王女ってのは、メイ女王の子どもじゃねえみたいだな。別におふくろさんがいて、で、それは貴族じゃねえんだ。それでメイの貴族どもは、王女を王女として見ていねえんだな」
「王女とメイ女王は喧嘩してるみたいだしね」
そして、ゼンとメールはそれぞれに考え込んでしまいました。なんとなく王女と自分たち自身の境遇に共通するものを感じ取ってしまったのです。
ゼンはドワーフですが人間の血をひいているし、メールは海の王と森の姫の間に生まれています。物心ついた頃から周囲の人々から嫌われ、おまえなど我々の仲間じゃない、あっちへ行け、とのけ者にされてきたのです。今はもう二人とも仲間たちと和解していましたが、つらい想いをした幼い頃の記憶は、どうしたって忘れることはできません。
メールは思わず茂みの中から伸び上がって、屋敷のほうを眺めました。
「王女様をなんとか見られないかなぁ……。どんな人か見てみたいよ」
けれども、祝宴の会場になっているホールは屋敷の中心にあって、彼らがいる場所からはまったく見ることができませんでした。
その時、彼らの後ろから突然声がしました。
「そこにいるのは誰だ!? 隠れていないで出てこい!!」
太く厳しい男の声です。人影が二人のいる茂みをのぞき込んでいました。その腰には剣が下がっています。
ゼンとメールは顔色を変えて振り向きました。彼らは屋敷の警備兵に見つかってしまったのでした――。