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第12巻「一角獣伝説の戦い」

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16.うわさ話

 ゼンとメールは屋敷に忍び込める場所を探して、赤い煉瓦(れんが)塀に沿って、通りをずっと歩いていました。

 屋敷からは祝宴の音楽と賑やかな話し声が聞こえてきますが、塀が高いので中の様子は見えません。格子がはまっているような場所も裏口も、どこにもありません。

 とうとうゼンは立ち止まりました。腕組みして塀を見上げます。

「こりゃあ、乗り越えて中に入るしかねえな。メール、登れるか?」

「ドレスが邪魔だけど、このくらいの高さなら平気だよ」

 とメールはさっそく服の裾をたくし上げ始めました。濃い灰色のドレスの下から、ほっそりと伸びた白い両足が現れます。メールの素足姿はいつも見慣れているのに、そんな格好をされると妙になまめかしくて、ゼンは思わずどぎまぎしました。

「ま、待てよ、そんなところを人に見られたら大変だろうが! 俺が連れてってやる!」

 とメールの細い体を抱き上げて肩にのせ、あっという間に塀をよじ登っていきます。メールの重さなどまったく感じていません。次の瞬間には塀の向こう側に飛び下り、バランスを崩して肩から落ちてきたメールを受け止めます。

 ひゃっ! とメールは悲鳴を上げました。

「ちょっとゼン! 危ないじゃないのさ! あたいは自分で登れるって――」

「騒ぐな、馬鹿。見つかるぞ」

 とゼンが叱りつけます。メールはふくれっ面になりましたが、ゼンの言うとおり、そこはもう公爵の屋敷の裏庭でした。彼らは木立の陰に立っていましたが、すぐ近くまで屋敷の灯りが届いています。人の話し声や音楽も間近に聞こえてきます。

「ずいぶん人がいるみたいだね」

 とメールが言いました。ささやくような声になっていました。

「屋敷から庭に出てきてるヤツもいるようだな。行くぞ。もっと近くで様子をみようぜ」

「あいよ」

 木立や茂みが黒い影を作る裏庭を、ゼンとメールは音もなく移動していきました――。

 

 屋敷のすぐ近くまで行くと、雑談の声が聞こえてきました。祝宴会場のホールはもう人でいっぱいです。音楽に合わせて踊りも始まっています。話をしたい客が、静かな場所を求めて裏庭に出てきているのです。

 裏庭には、そんな人々のためにかがり火が焚かれていました。その光の中に二人の貴族がいました。

「では、皇太子殿下がご病気だという噂は本当だったのか」

 と片方が言うと、もう一方が答えます。

「王室はひた隠しにしているがな。城の魔法医だけでは手に負えないようで、南方諸国から名医が呼ばれてきた」

 ほう、と最初の男は驚きました。

「それは本当に容態が悪そうだな……。元よりハロルド王子は体が弱くて、よく伏せっておられたが、いよいよということか。皇太子殿下に万が一のことがあれば、その後はどうなるだろうな」

「エミリア王女に王位が回るだろう。他に王の血をひく者はないわけだから」

「だが、あの王女は――」

 そこへ屋敷から別の客たちが裏庭に降りてきました。酒のグラスを手に大声で話し合っています。先の二人は、はっと話をやめると、そのまま屋敷に戻っていきました。

 

 ゼンとメールは裏庭の茂みの陰で顔を見合わせました。

「皇太子が病気だってさ。なんか本当に危なそうなんじゃない?」

 とメールがささやきます。だな、とゼンはうなずきました。

「その辺が、今回メイがジタンに攻めてきた理由かもしんねえな……。ゴーリスが言ってたぜ。人間の王国では、跡継ぎがいなくなるってのは、国が滅びるかもしれねえ一大事だから、そのためになら王室はなりふりかまわず何でもするんだ、ってな」

「ま、確かに王の跡継ぎがいなくなるってのは、大変なことだよねぇ」

 自分自身が渦王の跡継ぎのメールが、実感を込めてつぶやきます。

 後から庭に出てきた客たちは、他愛もない世間話をするだけで、彼らが聞きたいような話はしていませんでした。ゼンはメールに手招きすると、別の客を探して、また移動を始めました。

 

 

 祝宴会場のホールで、オリバンはシースー卿とメイ貴族たちの会話を聞き続けていました。彼らは今、メイの王室が秘密にしている事実を話しています。王室は城の者に箝口令(かんこうれい)を敷いて、外に漏れないようにしているはずでしたが、人の口に戸は立てられません。どれほど隠しても、いずれはこうして人々が知ることになっていくのです。

「皇太子殿下が――。それほど具合がお悪いのか」

 と貴族の一人が確かめるように言います。情報を伝えた貴族がうなずきます。

「女王陛下が手を尽くして治療に当たっておられるが、いっこうに快方に向かわん。弱っていかれるばかりだ」

「では、やはりエミリア王女が王位を継ぐことになるのか。女王が続くな」

「簡単にはいくまい。女王陛下はまだまだ王位を手放すつもりはないだろうし、なにしろ、あの方たちだからな――」

 急に貴族たちの話の意味がわからなくなったオリバンに、シースー卿が、そっと目配せしました。後でご説明します、と視線だけで言ってきます。

「メイはメイ女王陛下の国だ。王女に荷担しようとする者はあるまい」

 と一人が言い、メイ貴族たちは黙り込んでしまいました。

 

 

 フルートは相変わらず、ホールの一角で大勢の人に囲まれていました。舞い下りた天使のように美しい貴婦人と懇意になりたい、と考える者ばかりです。フルートが声を出せずにいても、平気で話しかけてきます。

「明日、私の家でお茶会を開くのよ。えぇと、オリビアさん、あなたもおいでになりません?」

「オリビアさんの婚約者も一緒に連れておいでなさいよ。私たち、大歓迎しますわよ」

 わきたつように誘ってくる娘たちは、半分オリバンが目当てのようです。

 一方フルート自身に熱心にアプローチしてくる男性たちも数えきれません。馬車の遠乗りに、食事会に、観劇に、鹿狩りにとあれこれ誘ってきます。

「婚約者殿がご無理なら、あなた一人でおいでくださってかまいませんよ」

「婚約者殿はお忙しいでしょうから、あなたのお暇つぶしにぜひ」

 男性たちのほうは、オリバンには来てほしくないというのが本音のようでした。

 シースー夫人がフルートに代わって彼らに答えてくれます。

「ご親切にありがとうございます、皆様。でも、本当にこの子はまだ病み上がりでして、無理をさせるわけにはまいりませんのよ。許婚(いいなずけ)と二人で別の親戚を訪ねる予定にもなっておりましてね、明日にはもう別の場所へ行かなくてはなりませんの――」

 穏やかにほほえみながら上手に誘いを断っていく老婦人に、フルートは心の中で感謝していました。

 

 すると、黄色いドレスを着た貴族の娘が、急に思い出したように言いました。

「そういえば、今日はあの方はまだですわね。やっぱりいらっしゃるのかしら」

「あの方って誰よ?」

 と別の貴族の娘が尋ねます。

「決まっているでしょう。エミリア王女よ」

 とたんに、居合わせた者たちがいっせいに不愉快そうな声を上げたので、フルートはびっくりしました。

「あのお姫様のことは思い出させないでほしかったな。こんなに美しい方を見られて幸せな気持ちでいたのに」

 と若い貴族が言います。口火を切った娘は、つんと唇を尖らせました。

「その王女様にお見せしたいと思ったのよ、この方を。エミリア王女様より、よっぽど本物の王女様らしく見えてらっしゃるもの。そう思いません?」

 今度はいっせいに笑い声が起きました。全員がその意見に賛同したのです。

 どうやらメイの王女は貴族の若者たちから嫌われているようだな、とフルートは考えました。伝説の聖獣ユニコーンの秘密を知るかもしれない王女です。いったいどんな人物なんだろう、と考えます……。

 

 

 ポチとルルは屋敷の入り口のすぐ近くまで来ていました。前庭の植え込みの中に潜り込んで、そこから屋敷の様子を眺めます。

 夜になって祝宴は盛り上がってきていました。主立った招待客は到着したようで、屋敷の前に停まる馬車はもう数えるほどです。ルルがポチにささやきました。

「ここを見張っていても収穫はなさそうよ。場所を移しましょう」

「ワン、そうですね」

 二匹の犬たちが入り口から離れようとしたとき、立派な馬車がやってきて停まりました。それが行ってから移動しようと犬たちが動きを止めると、馬車の扉が開いて、中から鎧を着た人物が飛び下りてきました。ポチとルルは、同時に、あれっという顔をしました。前にどこかでかいだことのある人物の匂いが、急に漂ってきたのです。

 鎧の人物に続いて、貴婦人が馬車から降りてきました。ポチたちの場所からは馬車の陰になっていますが、白いドレスの裾が馬車のステップを踏んで降り立ったのが見えました。鎧の人物がそのかたわらでうやうやしくひざまずきます。どうやら貴婦人の護衛のようでした。白い鎧が、屋敷の前の石畳で音を立てます。

「お気をつけて、王女様」

 と鎧の人物が言いました。女性の声です。

「あれは……」

 とポチとルルは言いかけたまま、植え込みの中から新しい客人を見つめてしまいました――。

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