「あの……聞いてもいい?」
おずおずと口を開いてそう言ったのはポポロでした。
彼らはまだ昼食の最中です。国境の山並みを眺めていた一同は、目を戻して小柄な少女を見ました。
「いいよ。なに?」
とフルートが優しく聞き返します。
「さっき言っていた伝説の話……もう少し聞かせてもらえる? ルルも言ったけれど、あたしたちが住む天空の国には本当にあるものなのよ。メイには他にどんな伝説があるの……?」
ポポロはとても引っ込み思案です。蚊の鳴くような声と真っ赤な顔で、ようやくそんなふうに尋ねます。
ふむ、とオリバンが言いました。
「そうだな。たとえば、滝壺から山の上へ逆に流れていく滝の話がある。そこには巨大な蛇が棲んでいて、滝をさかのぼって天へ舞い上がると言われている。終わりのない川の伝説というのは、流れをたどっていくと、ぐるりと巡ってまた川上に戻ってしまう不思議な川の話だ。その川の水は、川上に戻るとまた清く澄むらしい」
「ワン、バルスの空中都市の伝説もありますよね。バルス海の真ん中から空に浮かび上がって、最後には太陽まで飛んでいった、って言われてます」
とポチも言います。
それを聞いて、ポポロとルルは顔を見合わせました。どうしたの? とフルートがまた尋ねると、ポポロが目を丸くしながら言いました。
「それ……本当に、どれも天空の国にあるのよ……。地上からクレラ山の頂上にさかのぼるのはエタ滝。ぐるっと巡ってまた川上になるのはシアーレ川。……ほら、あたしたちの天空の国は、地上から魔法で空に浮かび上がった国だから、海はどこにもないのよ。川には魔法がかかっているから、流れながら綺麗になって、いつまでもずっと巡り続けるの」
「滝をさかのぼって舞い上がる蛇ってのは、ホワイトドラゴンのことね。エタ滝に棲む聖なる竜よ」
とルルも言います。
すると、メールがあきれたような声を上げました。
「ってか――その、バルス海とかいう海から浮かび上がった空中都市ってのが、天空の国のことじゃないのかい? 天空の国は太陽まで飛んでったりしてないけどさ、やたら似てるじゃないか!」
ゼンも首をひねりました。
「なんか、ずっと前に、こんな話をしたことがあった気がするな? 大昔に、力のある魔法使いが自分たちの国を空に浮かべて天空の国を作った。その痕が内海になった、ってよ」
「風の犬の戦いの時だよ」
とフルートは答えました。思い出す顔になっています。
「初めて天空の国を見たときに、ぼくと君とポチとポポロで話したんだ。天空の国はきっと地上にあったんだ、それが空に飛び上がった痕がバルス海になったんだろう、って。メイはバルス海に面してる。大昔は天空の国と地続きの場所だったんだよ、きっと。それで、メイには天空の国と同じようなものの伝説が残ってるんだ」
「昔、天空の国とつながっていた場所――」
ポポロとルルは驚いたように国境の山並みを眺めました。オリバンが腕組みして言います。
「今はそれほどでもないが、昔はメイから優れた魔法使いが多く生まれていたそうだ。ロムド城の魔法軍団にも、先祖をたどるとメイの出身者が多いという話は聞いたことがある。確か、白の魔法使いもそのはずだぞ」
へえっとフルートたちは感心して、ロムド城の四大魔法使いのリーダーを思い出しました。人間にしては非常に強い魔力を持つ女神官です。
ポチが尻尾を振りました。
「ワン、それなら、天空の国と同じような魔法が、今でもメイにあるのかもしれない。天空の国は光の魔法の国で、闇に対抗する力があるんだから――デビルドラゴンを倒す方法が見つかるかもしれないですよ!」
一行は、はっとしました。
闇と悪の権化であるデビルドラゴンは、人々を恐怖に陥れて、この世界を破滅させようとしています。フルートたちはそれを消滅させる方法を探し求めて、こうして旅をしているのです。
ゼンがオリバンへ身を乗り出しました。
「メイのことをもっと聞かせろよ! なんかデビルドラゴンをぶっ飛ばせそうなものとか魔法とか、そういう話はねえのかよ!?」
「あの国から伝わってくるのは、本当に噂や伝説の類だぞ。真偽の程を確認することもできないのだ」
そんなものが当てになるのか? と言いたげなオリバンに、フルートは言いました。
「ぼくらには何一つ手がかりがないんです。可能性がありそうなことは、なんでも確かめてみないと。――ポチ、メイに聖なるものや力の伝説はあったかな?」
「ワン、そうですねぇ、さっきの話だと、滝をさかのぼる蛇は聖なるドラゴンみたいだけど、どうもそれは天空の国にいるみたいだし、魔法の川だって本当は天空の国にあるようだし」
「世界中を見られる鏡の伝説もあったよね。お父さんから聞いたことがある」
「それ、鏡の泉よ――! 天空城の中庭にあって、天空王様がいつも地上を見てらっしゃるの!」
とポポロが言ったので、一同はまた驚きました。メイが天空の国と強いつながりがあるのは、間違いないことのようでした。
「だが、どれも天空の国のもののことばかりだな。メイに関係しそうなものはあっただろうか――」
とオリバンが考え込み、やがて思い出したように言いました。
「ナージャの森の一角獣伝説か。あれなら実際にある森の話のはずだ」
ああ、とフルートとポチはうなずき、他の仲間たちは、一角獣? と聞き返しました。
「一角獣って――あれか? 額に一本の角が生えた馬の」
「うん。ユニコーンとも呼ばれるよね。それがメイのナージャの森に棲んでいる、っていう伝説があるんだ。ポポロ、ルル、これも本当は天空の国の話かな?」
とフルートに聞かれて、ポポロたちは首を振りました。
「ううん……天空の国にそんな森はないわ」
「と言うより、ユニコーン自体もう天空の国にいないわよ。地上にはまだ生き残っているわけ?」
「ワン、天空の国にユニコーンはいないんですか? どうして?」
天空の国に、翼が生えた馬のペガサスは実在します。それなのに、角が生えた馬のユニコーンがいないのは不思議な気がして、ポチが尋ねました。ポポロが答えます。
「ユニコーンは聖なる生き物なの……。もちろん天空の国には他にも聖なる生き物はたくさんいるんだけど、ユニコーンはその中でも特に清らかな存在で、本当に邪心のない人の前にしか姿を現さなかったって言うわ。そのぐらい清い存在だったから、二千年前に天空の国で光と闇の戦いが起きたときに、国中をおおった闇の想いに耐えきれなくて、全滅してしまったんですって……」
「それが地上でまだ生き残っていたとしたら、本当に驚きよね」
とルルも言います。
「そのナージャの森ってどこにあるのさ?」
とメールがオリバンに尋ねました。
「メイの王都ジュカの東側だ。正確な場所はわからんが、ここからそう遠い場所ではないはずだ」
「行ってみたいわ……。ユニコーンは聖なる魔法が使えたし、その角は邪悪な敵を打ち砕いたんですって。もしかしたら、デビルドラゴンに対抗する方法を知ってるかもしれないわよ」
とポポロが熱心に言います。フルートはオリバンに言いました。
「メイの様子を探る前に、ナージャの森に立ち寄っていいですか? ぼくらには天空の民のポポロがいる。もしナージャの森にユニコーンが生き残っていたら、本当に姿を見せてくれるかもしれません」
「かまわん。どうせ通り道だ」
とオリバンはあっさり同意しました。元より彼らが闇を倒す旅に同行するのが目的だったのですから、反対するはずはありません。
「よし、それじゃメイに入ったら、ナージャの森を探して行ってみよう。そこでユニコーンを――」
とフルートが言いかけると、ゼンが腕組みして首をかしげました。
「でもよぉ、闇の想いにおおわれたくらいで絶滅するような軟弱な生き物じゃ、デビルドラゴンに対抗できないんじゃねえのか? なんか、あんまり期待できそうにねえな」
「んもう! せっかくみんなが張り切ってんのに、水をさすようなこと言うんじゃないよ!」
とメールがゼンの背中を張り飛ばします。
一行は思わず苦笑いして、それぞれにまた南西を眺めました。
緑におおわれた山並みを越えれば、そこはもうメイです。そこにユニコーンは本当にいるのか。闇を倒す手がかりをつかむことはできるのか。それは実際に行ってみなければわからないことでした。
山並みの上に広がる空は、相変わらず青く晴れ渡っていました。