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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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94.霧

 朝日がまぶしく降りそそぐ中、サラマンドラがうろこをきらめかせながら消えていきました。巨大な火トカゲの体が透き通り、まるで吸い込まれるように地中に見えなくなっていきます。ドワーフとノームの合唱に召喚された聖獣が、役目を終えて、また大地へ戻っていったのでした。

 とたんに、ドワーフとノームは一人残らずその場にへたり込んでしまいました。いきなり体中の力が抜けて、立っていられなくなったのです。

 ラトムが尻餅をついた格好で声を上げました。

「驚き桃の木――山椒の木――こりゃいったいどうしたことだ?」

 口癖を言って驚く声にも元気はありません。ビョールでさえ、地面に座り込んで動けなくなります。ゼンやオリバンが驚いて駆け寄りました。

「ど、どうしたんだよ、親父!?」

「大丈夫か!?」

「具合が悪いわけじゃない」

 とビョールがうなるように答えました。

「ただ――力が出ん。体中の力をどこかに吸い取られてしまったようだ」

「サラマンドラを呼び出したせいだわ……。呪文に力を吸い取られてしまったのよ」

「みんなは魔法使いじゃないんだから、当然よね。聖獣召喚にはものすごい力が必要になるんだもの」

 とポポロやルルが言いました。

「大丈夫なの?」

 とフルートが心配すると、ポポロが答えました。

「とても疲れたときと同じよ……。たっぷり休んで、栄養のあるものを食べれば、また元気になれるわ」

「サラマンドラは気軽に何度も呼び出せるものではない、ということか」

 とビョールが座り込んだまま苦笑しました。

 

 ジタン山脈と麓の荒野は、すっかり明るくなっていました。短い若草の葉の上で、朝露が銀に光っています。

 ゼンが腕組みして言いました。

「んじゃまあ、朝飯の支度をするか。百何十人分作るのは大変だけど、食わなくちゃ元気になれねえんだから、しょうがねえよなぁ」

 ゼン自身は大地の歌の合唱に加わっていませんでした。魔法の歌にエネルギーを吸い取られることもなかったので元気です。

「手伝うよ」

「あたいも」

 とフルートたちが申し出ます。料理の材料には何があるんだよ? とゼンが近くのロムド兵に尋ねます――。

 

 その時、急に風が吹いてきました。麓からジタンの山々に向かって吹き上げる風です。冷たい霧を煙のように運んできます。

 とたんに、ポチがびりっと全身を震わせました。体中の毛を逆立てて身構えます。

「ワン、敵だ!!」

 ルルも同じ風の匂いをかいで身を伏せました。

「武器と防具の匂い――軍隊よ! 森の中から近づいてくるわ!」

 二匹の犬たちが変身して空に舞い上がったのと、森の中から矢が飛んできたのが同時でした。矢は座り込んでいるドワーフやノームたちを狙っていました。ポチとルルが風の体に巻き込んで吹き飛ばします。

 続いて森の中から起こったのは鬨の声でした。山脈にこだまして、あたり一帯を震わせます。霧が流れる森から馬の蹄の音がとどろき、軍勢が姿を現します。それは緑の鎧兜と赤い鎧兜が入り混じった、サータマンとメイの混合部隊でした。後から後から、押し寄せるように現れて、たちまちフルートたちやドワーフ、ノームを取り囲みます。

 

 フルートたちは驚いて立ちすくみました。唐突に現れた軍勢を目を見張って眺めてしまいます。

 オリバンとゴーリスがうなるように言っていました。

「どういうことだ……? この軍勢はどこから現れたのだ?」

「逃げていったサータマンとメイの連合軍が戻ってきたのです、殿下。誰か統率者がいます……」

 風の犬たちが味方の周りで風の渦を作ったので、敵はそれ以上近づけなくなりました。フルートたちを取り囲んだまま立ち止まります。その数、実に千数百騎の大軍勢です。

 すると、その中から馬に乗った小柄な男が進み出てきました。赤い長衣をまとい、フードは後ろへ押しやっています。その頭に、髪の毛はまったくありません。メイの軍師、チャストでした。

「てンめぇ!!」

 とゼンがどなりました。

「闇の石で怪物になった司令官ににびびって逃げ出したんじゃなかったのかよ!? なんだよ、この大軍は!」

「むろん、おまえたちを倒してジタンを我らのものにする」

 と軍師は答えました。落ち着き払った声です。

「我々はそのために派遣された軍隊だ。たとえ将軍や司令官が死んでも、その目的は遂行しなくてはならない。それに――」

 まるで自分自身が司令官のような軍師でしたが、急に皮肉な笑い顔になると、ひとかたまりになっている人々を見て言いました。

「おまえたちが本当にたったこれだけの人数だったとはな――。二百もいない敵にすっかりだまされたとあっては、後世の笑い物だ。おまえたちを勝利者にさせるわけにはいかない。おまえたちはここで敗れるのだ」

 チャストは軍師としてのプライドにかけて連合軍をとりまとめ、再び攻め戻ってきたのです。

 フルートたちは身構えました。たちまちあたりからうめき声が上がります。力を失ったドワーフやノームたちが、立ち上がれなくて悔しがっているのです。ビョールが膝を立て、重い体を引き起こして立ち上がりましたが、たちまち膝が砕けてまた地面に倒れてしまいました。それきり、まったく起き上がることができなくなります。

 オリバンやゴーリス、ロムド兵たちが、彼らをかばうように剣を抜いて飛び出しました。ポチとルルが作る風の壁の向こうには、千数百の敵がいます。それに引き替え、こちらの戦力は、わずか三十名のロムド兵とオリバンとゴーリス、そして勇者の少年少女だけです。

 

「選べ、ロムドの皇太子!」

 と軍師のチャストが言いました。

「投降するか、戦って死ぬか! おまえたちに残された道は、その二つのどちらかだ!」

 すると、オリバンが言い返しました。

「いずれを選んでも、ジタンは貴様たちの手に渡るではないか! ジタンは我々ロムドのものではない! ここにいるドワーフたちのものだ! 選ぶのは彼らだ!」

 ドワーフたちは本当にまだ立ち上がることさえできませんでしたが、それでもロムドの王子がそう言うのを聞いて、いっせいに笑いました。ビョールが全員の想いを代表して言います。

「ジタンは渡さん。あれは俺たちの山だ」

 すると、ラトムが脇から声を上げました。

「そうとも! 人間なんぞにあの山を渡したら、それこそ世界中が大戦争だ! あれは人が持ってはならん山だぞ!」

 口では威勢良いのですが、やっぱりラトムも座り込んで立ち上がれません。

「愚かなことだ」

 とメイの軍師はあざ笑いました。

 

 吹き上げる風が霧を運んでいました。森や山が白くかすんで見えなくなり、薄暗くなった空から急にぽつぽつとしずくが落ち出します。

「ワン、まずい!」

「雨だわ!」

 山の天候は変わりやすいものです。急に降り出した雨が、森を、地面を、人々の体をたたき始めます。ポチとルルは変身していられなくなって、犬の姿に戻ってしまいました。

「風の怪物が消えたぞ! 行け!」

 と軍師が連合軍に命じました。おおぅ、と軍勢がいっせいに動き出します。千数百対百数十。しかも、武器を手にするロムド勢は四十名足らず。勝敗は一瞬で決まるかに見えました。

 

 ところが、いきなり深緑色の光の壁がそそり立ちました。ロムド勢の周りを取り囲み、押し寄せてきた連合軍を弾き返します。深緑の長衣の老人が、握った杖を地面に突き立てて敵をにらみつけていました。

「ロムド城の四大魔法使いがここにおりますぞ。デビルドラゴンの闇魔法は去りましたからの。わしの魔法も復活ですわい。わしの目の黒いうちは手出しなどさせませんぞ」

 魔法の壁で味方を守りながら、深緑の魔法使いは言いました。連合軍の兵士は矢を射かけ、何度も突撃を試みましたが、そのたびに光の壁に跳ね返されてしまいます。

「あわてるな!」

 とチャストは言いました。

「連中はあの場所から動けない! 食料も水もない場所だ。いずれは飢え乾いてあそこから出てくる! そこを仕留めるんだ!」

 それを聞いて、ゼンは舌打ちしました。ドワーフやノームたちは疲れ切って弱っているし、深緑の魔法使いも飲まず食わずで光の壁を張りつづけることはできません。確かに包囲戦は一番効果のある戦略でした。そっとフルートに尋ねます。

「おい、どうする?」

「待つ……。時間がたてば、ドワーフもノームも少しずつ元気になってくる。ラトムたちがまた地面に潜れるようになれば、対抗する手段も見つかる。彼らが明日の朝まで待ってくれれば、ポポロの魔法も復活するから、それこそ逆転だ。そこまで頑張るんだ」

「明日の朝くらいまでなら、守りの壁は保てますぞ。ロムドの四大魔法使いを甘く見なさらんことじゃ」

 と深緑の魔法使いが笑いました。老いても力のある声です。

 

 その時、光に守られた彼らに近い場所で、低い声が上がりました。地面に倒れている者がいます。誰からも忘れられ、見捨てられていた人物――闇の弟ドワーフでした。

「貴様らを勝たせるか……俺たちを全滅させた報いだ。敵になぶり殺しにされろ……!」

 他の闇ドワーフたちはもう誰も生き残っていませんでした。怪物になった象が放った闇の光、デビルドラゴンが降らせた岩と炎、そして魔弾――次々と地上を襲った攻撃はすべて闇ドワーフたちの上にも降りかかり、一人また一人と死んでいったのです。大地に転がるドワーフの死体の中で、弟ドワーフだけがまだ生きていました。

 呪詛に充ちたつぶやきをポポロが聞きつけました。はっと振り向きます。

「あそこ――!」

 ポポロが指さしたのと、弟ドワーフが手に持っていたものを投げたのが同時でした。大きく弧を描いて何かが光の壁に飛び込みます。

 それは闇の石でした。弟ドワーフが近くに落ちていた肩当てから外して、手の中にずっと握り続けていたのです。石の周りで光の壁が裂け、深緑の輝きが飛び散って、中の人々を吹き倒します。

「へっ、ざまぁみろ……!」

 と弟ドワーフが笑いました。

 光の壁が消えたのを見て、メイの軍師は即座に命じました。

「全軍前進!! 連中を皆殺しにしろ!!」

 おぉぉ、とまた鬨の声があがりました。千を越す大軍が雪崩を打って駆け出します。その蹄に踏みつぶされて、闇の弟ドワーフは息絶えました。闇の石を手放した彼は、もう守りの力をなくしていたのです。

 降りしきる雨。たちこめる霧。耳をふさぐような蹄の音。

 押し寄せる軍勢の中、人間とドワーフとノームはひとかたまりになって立ちすくんでいました――。

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