王都ディーラの南の入り口で、闇魔法使いは目の前に現れた天使を見上げていました。白の魔法使いが呼び出した守護獣です。彼女の象徴の色の光に包まれながら、両手と翼を広げて都を守っています。その周囲には稲妻が雨のように降ってきます。雷が打ちのめすのは、都に攻め込んだサータマン兵です。
「ふん。さすがに四大魔法使いの稲妻は闇の石でも防げないか」
黒髪に口ひげの闇魔法使いはつぶやくと、手にした金属の杖を振り上げました。その先端には鶏の卵ほどの大きさもある闇の親石がはめこまれています。天使が下す稲妻も、その石の力は破れません。すべて打ち消されてしまいます。
「来い、闇の守護獣!」
と男は言い、また闇の杖を振り上げました。とたんにその目の前に巨大な生き物が姿を現しました。黒く輝く蛇です。みるみるふくれあがって、天使と同じくらいの大きさになります。
突然現れた大蛇に天使が身構えました。いっそう都を守る姿勢になります。そこへ蛇が飛びかかりました。天使とぶつかり合い、白と黒の火花を散らします。絡みついてきた蛇を天使が強い光で跳ね飛ばします――。
ロムド城の南の守りの塔で、白の魔法使いは杖の代わりに護具を握りしめていました。先端に丸い玉がついた金属の棒です。台座から引き抜いて高く掲げています。
「白、大丈夫ですか!?」
と青の魔法使いの声が聞こえてきました。心配する響きです。
ロムド城を守る護具は、四大魔法使いが手にすれば、光の守護獣を呼び出すことができます。けれども、それには非常に大きな魔力を消費するので、さすがの白の魔法使いも肩で息をし始めていたのです。
けれども、白の魔法使いは強く答えました。
「大丈夫に決まっている! 気を散らすな、青! 都を守れ!」
彼女が抜けた後を守っているのは青と赤の魔法使いです。彼らが敗れれば都の守りの壁は消え去り、敵が雪崩を打って都に攻め込んできます。
「承知――」
うなるように青の魔法使いが答え、それきり声は聞こえなくなりました。
白の魔法使いは護具を握って南を見つめ続けました。天使と大蛇が戦い続けています。光の獣同士の戦いです。都に直接の被害は与えませんが、ぶつかるたびに飛び散る火花が守りの光を揺るがします。あまり長引かせると、守りの壁を壊すことになってしまう、と白の魔法使いは考えました。護具を握り直し、さらに強い力を天使に送り込もうとします。
すると、その目の前に、昨夜のように闇の魔法使いが現れました。飛竜に乗ってくることさえありません。いきなり塔の中に姿を現したのです。
「今日こそ決着をつけるぞ」
と闇魔法使いの男は言いました。
「俺の言いなりにならない女などいらん。死ぬがいい」
いきなり闇の杖で殴りかかられて、白の魔法使いは大きく飛びのきました。護具は魔法の杖ではありません。それで闇の杖を受ければ、護具が壊れてしまいます。
「青! 赤!」
とっさに仲間に救援を求めますが、塔の中はすでに闇の支配下にありました。呼び声が跳ね返されてしまいます。
「今日はもう邪魔者は入らん」
と闇魔法使いは言いました。笑うような顔と口調ですが、昨日のような油断はもうありませんでした。遠慮もなく闇の杖を振り下ろしてきます。
「死ね、女――!」
杖がなぎ払うように襲いかかってきます。白の魔法使いはとっさにまた飛びのきましたが、杖の黒い軌跡が彼女の胸の上で傷に変わり、鮮血が吹き出しました。
「白!?」
東の守りの塔で、青の魔法使いが声を上げました。都の入り口で戦っている光の天使が、突然大きくよろめいたのです。その輝く胸の上に、黒々とした闇の傷が浮かび出ます。
「シロ! シタ!? ジオ、ロ!」
赤の魔法使いが西の塔から叫んでいますが、白の魔法使いからの返事はありません。南の塔を強力な闇の結界が包んでいるのを感じます。
「またあいつだ!!」
と青の魔法使いは叫びました。赤の魔法使いと二人がかりで救援に向かおうとしますが、入り込むことができません。昨日よりさらに堅い結界が行く手を阻んでいたのです。
「白! 白! マリガ――!!」
青の魔法使いは必死で呼びました。死にものぐるいで結界を開けようとしますが、闇の結界はびくともしません。
南の守りの塔で、白の魔法使いは闇魔法使いから逃げ続けていました。護具はまだ光の守護獣を操り続けています。護具を手放したり、護具で戦ったりすることはできないのです。
護具は敵の杖の力も防いでいましたが、その攻撃を完全にさえぎることはできませんでした。まるで鋭い剣で切りつけられたように、白の魔法使いの体に傷が走り、そのたびに血が吹き出ます。白の魔法使いがすぐに魔法で傷を治しますが、長衣は裂け、血の痕が残ります。白い衣が次第に赤く染まっていきます。
「魔法で治しても、ダメージは溜まっているはずだ」
と闇魔法使いが言いました。
「体中の血も次第に失われてきているぞ。いつまでそうやって意地を張る? いっそひと思いに殺された方が早く楽になれるだろう」
その瞬間、白の魔法使いの体が、がくりと崩れました。目眩がしたのです。思わず床に膝をつきますが、すぐに顔を上げ、自分の前に魔法の壁を張りました。襲ってきた闇の杖を跳ね返します。
「ごめんだな」
と白の魔法使いは答えました。息が切れ、目眩はますますひどくなりますが、それでも敵をにらみ続けます。
「私は絶対に死ぬものか――。ロムドのために。そして――のために」
二つ目の理由は心の中だけでつぶやいて、白の魔法使いは床に片手をつきました。護具を握っていない方の手です。そのまま、強烈な魔法攻撃を床伝いに送り出します。白い光が塔の部屋中に広がり、稲妻のようにひらめいて塔の壁を崩します。同じ光が部屋の真ん中に立つ闇魔法使いも襲います。
けれども、やはり闇の杖が守っていました。白の魔法使いの渾身の攻撃も、男には効いていません。
都の南から天使の姿が消えようとしていました。淡い光に包まれながら、薄れて見えなくなっていきます。
力を使い果たして動けなくなった白の魔法使いに、男が闇の杖を突きつけました。冷ややかに言い渡します。
「これでようやく終わりだな。死ね、女――!」
闇の杖を高く振り上げ、勢いよく振り下ろします。
とたんに、男は目を見張りました。
杖は相手を打ち据えていました。動けなくなった女が短くうめきます。ところが、それ以上は何も起こらなかったのです。杖は剣のように女を切り裂き、命まで奪うはずだったのに――。
杖を眺めて、男はぎょっとしました。先端にはめ込まれていた闇の石がなくなっていました。唐突に消えてしまったのです。その場をおおっていた闇の結界が、急速に破れて失われていきます。
塔の中に二人の魔法使いが飛び込んできました。見上げるような青い長衣の男と、赤い長衣の小男です。血に染まって倒れている白の魔法使いを見るなり、大男が闇魔法使いを殴り飛ばしました。たった一発で昏倒させてしまいます。
「白! 白――!」
抱き起こされて、白の魔法使いは目を開けました。
「大丈夫だ……。大したことはない」
血を失いすぎて青ざめた顔で、それでもそう答えます。そんな彼女に癒しの魔法を送り込みながら、青の魔法使いは言いました。
「急に闇の力が薄れましたな。どうしたことでしょう?」
塔を取り囲んでいた闇の結界だけでなく、天使と戦っていた闇の大蛇も消え去っていたのです。
赤の魔法使いが石の床の上から金属の杖を拾い上げて言いました。
「ミノ、シ、エタ」
「そうだ、闇の石が急にどこかへ姿を消した。予想外のことだったらしい。その男自身が驚いていた」
と白の魔法使いが答えました。ほどけかかった金髪も血に染まっていましたが、癒しの魔法でだいぶ顔色は良くなってきています。
すると、そこへ突然、城と都を守る魔法軍団から報告が飛び込んできました。
「敵を包む闇の力がすべて消えました! 闇の石が消え去ったようです! 敵の姿が魔法の目で見えるようになりました――!」
あまり思いがけないことに、四大魔法使いたちは驚きました。周囲へ意識を向ければ、本当に都から闇の気配が消えていました。何の前触れもなく、すべての闇の力が立ち去ったのです。
次の瞬間、白の魔法使いは立ち上がりました。血に染まった自分の服を元に戻し、護具を握り直して言います。
「魔法軍団、一気に敵を撃退するぞ! 都に入り込んだ飛竜と敵をすべて打ち倒せ!」
「了解!!」
歓声のような魔法軍団の返事と共に、また都で稲妻や光がひらめき始めました。都のあちこちから響いてくるのは、魔法に打ち倒された敵が上げる悲鳴です。敵を守る闇の力が消え去ったので、サータマン軍はもう、魔法軍団の攻撃を防ぐことができないのでした。
その様子を魔法の目でありありと見ながら、青の魔法使いが言いました。
「これはいったいどういうことでしょうな?」
闇の石が敵の中から消えていったのは実にありがたいことです。けれども、彼ら自身は何をしたわけでもないのです。
「レ、イ、コトカ?」
いぶかしむように赤の魔法使いが言ったので、白の魔法使いは首を振りました。
「わからない……。何が起きているのか、私にもわからない」
彼女は探る視線を当てもなく周囲に向け、やがて、ふと目を止めました。それは西の方角でした――。
執務室では、占盤をのぞき込んでいたユギルが叫んでいました。
「都を襲撃するサータマン軍から、突然闇の石が消えました! 敵の象徴が見えるようになっています!」
魔法軍団たちと同じことが、占者のユギルにも起きていたのです。
「それは何故だ?」
ロムド王も、喜ぶより先に、この事態に疑問を感じていました。ユギルは占盤の上を心の目で追いながら言いました。
「闇の石は寄り集まって闇の力になり、ある場所へ向かっております。その場所で、急速に闇の気配が濃くなっています」
「その場所とは!?」
と王がまた尋ねます。非常に厳しい声です。予想がついていたのです。
占者の青年は答えました。
「西の彼方――ジタン山脈の麓です、陛下」