激戦の戦場の中に銅鑼の音が響きました。サータマン軍の突撃の合図です。王都ディーラの守りの壁に開いた穴から飛び込み、都の街壁にある門をこじ開けて中に突入しようとします。街の門を守っていた兵士たちと猛烈な戦闘が始まります。
迫るサータマン兵は緑の鎧兜で身を包んでいます。そこへ街壁の上から銀の鎧兜のロムド兵が矢を射かけます。穴から次々侵入する敵を、なんとか撃退しようとします。
すると、突然街壁の上から弓矢を持った兵士たちが吹き飛ばされました。すさまじい突風が吹いたのです。ほとんどの者が高い壁の下に墜落してしまいます。
攻め込むサータマン兵の中で、黒髪に口ひげの魔法使いが金属の杖を掲げていました。魔法の風でロムド兵を吹き飛ばしたのです。次の一振りで、街の門をばん、と開けます。サータマン兵がいっせいに声を上げ、ロムドの守備兵を押し切って都の中へなだれ込んでいきます――。
彼らの上には上空から稲妻や光の弾が降りそそいでいました。都を守る魔法使いたちが攻撃しているのです。けれども、魔法の攻撃はサータマン兵に届く前に、すべて消えてしまいました。門の内側では守備兵が守りを固めて待ちかまえていて、激しい斬り合いが始まりますが、そこでもロムド軍の攻撃は決定的な打撃を与えられません。
黒髪の闇魔法使いが笑いながら言いました。
「無駄だ無駄だ。我々は闇の石に守られている。おまえたちの攻撃など、どうということもない!」
すると、その目の前に光り輝く女性が現れました。白い長衣を着て金髪を結い上げた、白の魔法使いです。闇魔法使いに向かって言います。
「ディーラはおまえたちには蹂躙させない。撤退しろ!」
「これはこれは。また俺に服従されに来たか、女。今度こそ、闇の首輪でおまえを飼い慣らしてやろうか」
と闇魔法使いは言い、ふん、と鼻先で笑いました。
「もっとも、そこに見えているのは本物ではないようだな。実体はまだ城の塔の中か」
白の魔法使いは全身を淡い白い光に包まれていました。半ば透き通って見える、幻のような姿です。すんなりした杖を構えて言います。
「私はロムドの魔法軍団の長。この任にかけて、おまえたちを都の奥には決して行かせない。――青、赤、後の守りは頼むぞ!」
仲間たちにそう言うなり、幻の女性は杖で地面を突きました。
とたんに、その体がふくれあがるように大きくなり、見る間に形を変えていきました。白の魔法使いと同じように白い衣を着た人の姿ですが、輝きが増していきます。その背中から音もなく広がったのは、巨大な二枚の翼でした。高くそびえるロムド城にも匹敵するほどの、大きな天使が現れたのです。
天使が手を振ったとたん、空から無数の稲妻が降りました。王都に攻め込んでいくサータマン兵たちを直撃します。闇の石に守られているはずの兵たちが、一声上げて、あっけなく倒れていきます。
「白の魔法使い殿が護具の力で守護獣を呼び出されました」
とユギルは占盤を見ながら言いました。塔から守りの光を放っている魔法の護具の、もう一つの力です。以前、黄泉の門の戦いで魔王と対決する際にも呼び出したことがある、光の守護者でした。
ロムド王たち執務室にいた面々は、思わず部屋から通路に飛び出しました。南に面したバルコニーから眺めると、街の外れにそびえるように立つ巨大な天使が見えました。両手と翼を大きく広げ、全身で敵から都を守ろうとしています。
その頭上に広がって都を包み続けているのは、青と赤の光の壁でした。白の魔法使いが抜けた後を、二人の魔法使いが全力で支え続けています。
戦いの声はひっきりなしに聞こえてきます。白い稲妻が都の上空から次々に降っていくのが見えます。そのたびに声はさらに大きくなります。稲妻が敵を打ち倒しているのです。
すると、執務室からユギルが追って出てきました。今は占盤ではなく、戦う者の姿を直接見ながら言います。
「敵は都に入り込みました。この城を目ざして来る敵もいます。ですが、これ以上は入り込んでまいりません。濃紺の壁が駆けつけてきました」
とたんに、おぉぉーっととどろく声が天使の向こうから聞こえてきました。遠くから近づいてきて、あっという間に乱戦の音や声に変わります。
「ワルラか」
とロムド王は言いました。濃紺の壁、というのは、ロムド軍総司令官のワルラ将軍の象徴です。ワルラ将軍の部隊がサータマンの疾風部隊を追ってたどり着き、王都に侵入しようとする敵に襲いかかったのでした。
巨大な天使の脇をすりぬけるようにして、飛竜部隊が都の上空を飛ぶのが見えました。まっすぐロムド城を目ざしながら、次々に火袋を落としていきます。町中から火の手が上がります。はっとする王たちにユギルがまた言いました。
「大丈夫です。城の魔法軍団が消し止めます……。執務室へ、皆様方。間もなく飛竜部隊が城の上までやって来ます。この場所にいては危険でございます」
城の守りの塔から青い光が飛んで、城に近づく飛竜を撃ち落としたのが見えました。別の塔からは赤い光も発射されます。青や赤の魔法使いの攻撃です。それをすり抜けた飛竜たちが城に迫ってきます。
家臣たちに執務室に戻るよう促されても、ロムド王はまだバルコニーから動きませんでした。
「この戦いの結末はどうなる。王都は? ロムドは?」
攻撃を受け、破壊されていく都から目を離しません。ユギルは静かに答えました。
「守る者たちをお信じください、陛下。彼らは決してロムドを敵に渡しはいたしません」
青と金の色違いの瞳が、じっと王を見つめます。
ロムド王は聞き返しました。
「それは占いの結果か、ユギル?」
「左様でございます」
闇の石に隠された未来は、占者の目にも裏側の半分しか見えてはいません。それでもそう言い切ってみせるユギルに、王はわずかにほほえむ顔になりました。若い占者が王を支えようとしているのを感じたのです。
「そうか――。では、わしも皆を信じよう」
そう言って、王はきびすを返し、執務室へと戻っていきました。
城の大広間では何千本という蝋燭をともしたシャンデリアが明るく輝いていました。真昼のような場所に大勢の市民や農民が身を寄せ合い、バルコニーや窓の外の光景を、固唾を呑んで見守っています。その場所から、都を守る巨大な天使は見えません。見えているのは、都の上空を低く飛ぶ飛竜の姿です。飛竜が何かを落とすと、城壁の向こうで音がして、黒い煙が立ち上ります。都の中と外から響いてくる戦いの音と声はやむことがありません……。
すると、ベランダのすぐ外で、ギアァ、と大きな鳴き声が響きました。飛竜が飛んできて、城の大広間をのぞき込み、そこに集まる大勢の人々を見据えていました。その上に乗ったサータマン兵の姿まで、はっきりと見えます。人々がいっせいに悲鳴を上げます。
すると、空から赤い稲妻が降ってきました。飛竜が打ちのめされて落ちていきます。サータマン兵も一緒です。
大広間に続く大階段の途中にたくさんのクッションや敷物を集めて、にわかこしらえの席が作られ、そこに王妃と王女が座っていました。
「お母様!」
落ちていく飛竜を見て、メーレーン王女が母親にすがりつきます。
けれども、メノア王妃は静かに座り続けていました。両手をえんじ色のドレスの膝の上で組み合わせ、じっとベランダから外の光景を見つめています。
「大丈夫ですよ、メーレーン」
と王妃は娘に言いました。
「ロムドの兵士も魔法使いたちも、本当に力のある強い者たちばかりです。あなたのお父様も、決して負けたりはしません。王都と城は必ず守られます。何も心配することはありませんよ」
こんな状況の中でも、王妃は柔らかく穏やかです。王女に語りかける声が、大広間に集まる人々の耳にもしみ込み、恐怖のあまり今にも崩れそうになっていた人々を、かろうじて引き止めます。
家臣や侍女たちが、王妃と王女に、城の奥のもっと安全な場所まで避難するように、と必死で説得していましたが、王妃はやはり聞き入れませんでした。
「この場所は城の魔法使いたちが守っています。市民は城の一番安全な場所にいるのですわ。それならば、私たちが一緒にいても、危険なことは少しもありません」
そう言って城と都を包む光を見上げる王妃の顔に、本当に不安の表情はありません。物静かですが揺らぐことのない態度に、家臣たちは思わずたじろぎました。今までただ大切に守られて、お人好しに他者を信じ込んでいるように見えていた王妃の、本当の強さというものを、垣間見た気がしたのです。
ひっきりなしに響く攻撃の音の中で、大広間の群衆は王妃を見つめていました。城の上空を飛竜が舞い、すぐ近くで攻撃の稲妻がひらめきますが、誰もその場所から逃げ出しません。すがるように、祈るように、王妃の姿を見つめ続けます――。
すると、群衆の中から小さな男の子の手を引いた女の子が出てきました。男の子はおびえてべそをかいています。それを抱きかかえながら、女の子は言いました。
「王女様! メーレーン王女様! 弟が泣きやまないんです! お願いです、昨日みたいに歌ってください!」
王女より少し年下に見える女の子でした。すぐに弟と一緒に衛兵に止められてしまいます。
メーレーン王女は目を丸くしましたが、女の子の必死な顔を見ると、すぐに王妃の隣から降りていきました。あわてる衛兵を下がらせて、子どもたちに言います。
「ええ、いいですわ。昨夜の歌、あなた方も覚えてます? 一緒に歌いませんこと? そうすれば、きっと怖いのも忘れられますわよ」
姉娘が頬を真っ赤にしてうなずき、歌い始めた王女と一緒に声を合わせて歌い出しました。すぐに弟が泣きやんで、歌う少女たちを見上げます。王女がそれを歌に誘いました。大広間に子どもたちの歌声が響きます。
大広間が昨夜のように静かになり、やがて、あちらこちらで大人たちも歌を口ずさみ始めました。それは人の想いや友情を信じる歌でした。困難に悩む者を励ます歌詞が、おびえる人々の心にまっすぐ響いて小さな勇気に変わります。
歌う人々の姿を、王妃は穏やかにほほえんで見守っていました。その白い両手は、強く信じる心そのもののように、祈る形に組み合わされていました。