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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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80.誘導

 眼下で繰り広げられる光景を、勇者の少年少女たちは固唾を呑んで見守りました。

 巨大な怪物が山の麓の荒野で遭遇していました。森の木より大きな象の怪物と、それよりはるかに大きな闇の泥の怪物です。二匹が正面からぶつかり合い、次の瞬間、どっと泥が象に襲いかかりました。あっという間に象を押し倒し、黒い泥の中に呑み込んでしまいます。

 象の悲鳴が上がりました。バォォ、ブォォォと夜の大気を震わせます。骨が砕け、肉が潰れる大きな音が重なります。おどろが象を押しつぶしているのです。

 やがて、象の声は聞こえなくなりました。少しの間、おどろはその場でうごめき、またズズズと地響きを立てて動き出しました。気味の悪い声がまた聞こえてきます。

「願い石ィヒヒィィ、オレのものになれェェェェ……」

 おどろが去った後の地面に、象の怪物はもう見当たりませんでした。触手一本、毛一筋残っていません。

「すげぇな」

 とゼンがつぶやいて、そっと冷や汗をぬぐいました。

 

 おどろが空中にいる少年少女たちへ泥の体を伸ばしてきました。

「いたァァァ、願い石ィヒヒヒヒィィィ」

 今まで願い石を狙って襲ってきた闇の怪物は、石の持ち主のフルートがなかなか見つけられなくて、周囲のものたちにまで襲いかかってきたのですが、おどろはそんなことはありませんでした。ポチに乗ったフルートだけを狙って伸び上がってきます。

「逃げろ!」

 とフルートは叫びました。北を目ざして飛び始めます。そちらにはなだらかな丘陵地帯と荒れ地が広がっています。

 黒い怪物が麓を離れ始めました。泥の体が這いずっていった痕は草木一本残らないむき出しの地面になりますが、フルートたちが人のいない方向へ誘導しているので、そこに巻き込まれる者はありません。傷ついた人々からおどろが遠ざかっていきます。

 

 すると、ゼンがフルートに並びました。

「あいつをここから離すのはいいとして、ずっと飛び続けるのは無理だぞ! ポチやルルが疲れちまう!」

「わかってる。だから北に向かうんだ!」

「なんで北? なんか当てでもあんのかい?」

 と追いついてきたメールが尋ねます。

 フルートは行く手の夜空に目を向けながら言いました。

「川だよ。ザカラスとの国境を流れる――。ジタン山脈の地下の岩屋から脱出するとき、ぼくたちは地下水脈を使ったけれど、おどろはそこまでは追いかけてこなかった。おどろはきっと、流れる水が苦手なんだよ。泥の体を押し流されるんだ。だから、国境の谷川へ連れていって突き落とせば、おどろを振り切れると思うんだよ――」

 ふわぁ、と思わず声を上げたのはポチでした。

「ワン、国境まではかなりありますよね。朝まで飛び続けることになりそうだなぁ」

「あらなぁに、ポチ。もう弱音を吐いてるの?」

 とルルがからかうように言ったので、ポチは、むっとした顔になりました。

「ワン、違いますよ。気合いを入れて飛ばなくちゃ、って思っただけです」

「がんばれ、絶対に捕まるなよ!」

 とフルートが励ますように言いました。これまでのように、一人で怪物を惹きつけて離れていく真似はしません。巻き込んでしまってごめん、と謝ることもしません。ただ仲間たちと並んで飛び続けています。その事実が嬉しくて、仲間たちは思わず笑顔になりました。ひゃっほう! とゼンが歓声を上げます。

「そら行け、ポチ、ルル、花鳥! 国境の川まで飛んで飛んで飛びまくるぞ――!!」

 

 その時、彼らの背後から迫るおどろが、いきなり全身を震わせました。表面にさざ波が走り、泥の体が長く伸びて鞭のようにしなります。

「危ない!」

 と叫んで姿を現したのは金の石の精霊でした。フルートたちのすぐ後ろに立って両手をかざします。とたんに光の壁が広がって、飛んできた泥の鞭を防ぎました。鞭がちぎれて泥の塊になり、地上に落ちてその場所の木や草を消滅させます。闇の泥は触れたものを消滅させてしまうのです。

 闇の鞭は何度も彼らを襲ってきました。それを金の石の精霊が防ぎ続けます。淡い金の光が空を飛ぶ彼らを包んでいます。

 すると、突然鞭が向きを変えました。うなりを上げて闇の鞭が打ちのめしたのは、精霊の少年でした。小さな体が飛び散るように消えていきます。

「金の石の精霊!!」

 と少年少女たちは叫びました。フルートは思わず胸のペンダントを見ます。金の石はまだ輝き続けています――。

 

 すぐ隣に赤い願い石の精霊が姿を現しました。

「心配することはない。我々精霊は人間とは違う。たたきのめされても、ただ姿が消えるだけだ」

「そういうことだ。もっとも、強制的に消されるのは気持ちがいいものじゃないけどな。力も少し減らされるし」

 と言って、金の石の精霊がまた出てきました。おどろの一撃を食らっても、かすり傷ひとつ負っていません。フルートたちはほっとしました。

「無茶すんなよ」

 とゼンが言うと、精霊の少年は肩をすくめました。

「無茶をしているのは君たちだ。自分たちを餌にしておどろを誘導しているんだからな。あれは願い石を探し続けて死んでいった者たちのなれの果てだ。死んでも願い石に未練があって黄泉の門をくぐらなかった魂が、寄り集まって怪物に変わったんだ。疲れることを知らないし、絶対に願い石もあきらめない。捕まったら一瞬で食われるぞ」

「無茶でもなんでも――ここから連れ出すさ。ジタンにおどろを棲みつかせるわけにはいかないんだ」

 とフルートが答えます。いつものあの頑固な口調になっています。

 

 そこにまたおどろの闇の鞭が飛んできました。今度は赤いドレスを着た願い石の精霊を打ちのめそうとします。またフルートたちが、はっとします。

 ところが、寸前で金の石の精霊が手を上げました。金の光が願い石の精霊の前に広がって鞭を防ぎます。

 精霊の女性が驚いたように精霊の少年を見ました。

「何故助けた、守護の。私はおどろの攻撃など平気だぞ」

 感謝するどころか、とがめるように言います。精霊の少年は大人のように肩をすくめ返しました。

「ただのはずみだ。それに、ぼくらだって一応痛みは感じるしな」

 願い石の精霊は、じろりと金の石の精霊をにらみました。不服そうな表情をしています。どうやら、同じ石に守られるというのは、精霊にとっては、かなりプライドに関わることのようでした。

 

 すると、はるか後方から馬の蹄の音が聞こえてきました。フルートたちを追いかけてきます。振り向くと、軍馬に乗ってまっしぐらに駆けてくるオリバンが見えました。いぶし銀の鎧が半月の光に淡く光っています。

 オリバン、来ちゃだめだ! とフルートたちは叫ぼうとしました。オリバンの馬はおどろと並ぼうとしています。闇の泥の怪物の前では、人も馬もあまりにもちっぽけで、一瞬で押しつぶされそうに見えます。

 ところが、彼らが叫ぶより早く、オリバンが馬上からどなりました。

「よけろ! 怪物が後ろから攻撃してくるぞ――!」

 彼らが、はっとその場から散るのと、おどろが背後から黒い弾を撃ち出してくるのが同時でした。弾は闇の泥の塊です。まるで魔王の魔弾のように飛び散り、守りの金の光を突き破ってフルートたちに襲いかかってきます。

 とっさに彼らが身をかわしたので、少年少女は弾の直撃をまぬがれました。けれども、犬たちは風の尾を撃ち抜かれ、花鳥も翼を弾に破られて花に戻ってしまいました。ポチとルルが犬の姿に戻って、全員が空から墜落します。落ちていく下には、黒いおどろが待ちかまえています。

「花! 花たち――!」

 メールは宙を舞い落ちる花たちに必死で呼びかけました。たちまち花がまた寄り集まり、落ちていく仲間たちの下で花の網を広げます。少年少女たちも犬たちも、網に受け止められて途中で停まります。

 そこにまた泥の弾が撃ち出されました。今度はフルート一人だけを狙って飛んできます。

「ワン、危ない!」

 ポチがまた風の犬に変身しました。フルートを背中に拾い上げて逃げようとします。

 けれども、ポチは先の攻撃で怪我をしていました。思うほど素早く飛ぶことができなくて、フルートを乗せたところでまた泥の弾を食らってしまいました。今度は胴体を直撃されます。

 ギャン! とポチは悲鳴を上げ、再び子犬の姿に戻りました。花の網の破れ目から真っ逆さまに落ちていきます――。

 

 また網の上に放り出されたフルートは即座に跳ね起きました。空を血に染まった子犬が落ちていきます。その下にうごめいているのは、黒い泥の山のようなおどろです。

 フルートはためらうことなく網を蹴って破れ目から飛び下りました。フルート! と仲間たちが驚愕する声が聞こえて、あっという間に遠ざかっていきます。目の前に落ちていくポチが近づいてきます。

 フルートは腕を伸ばしてその小さな体を捕まえました。血に染まった白い毛並みを腕の中に抱きかかえます。けれども、フルートは空から落ち続けています。抱きしめたポチも一緒です。ポチは気を失っていて、ぴくりとも動きません。

 目の下におどろが近づいてきました。黒い泥の体が視界いっぱいに広がって、黒い泥の海のようにも見えます。オリバンが叫ぶ声がかすかに聞こえましたが、なんと言っているのか聞き取ることはできません。一人と一匹は落ち続けます。

 すると、フルートがポチを抱き直しました。おどろを見据えながら声を上げます。

「金の石! 金の石!!」

 たちまちフルートの周りに金の光が広がりました。フルートのペンダントが輝いたのです。

 光の膜に包まれて、フルートとポチは墜落しました。落ちた先は、おどろの巨大な黒い海のど真ん中でした――。

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