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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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第21章 決戦開始

74.怪物

 ジタン山脈の麓で野営していた連合軍に、突然命令が響きました。ロムド軍が攻めてくる、それぞれの闇の石を手にして戦え、と夜の闇の中から呼びかけています。

 けれども、そう言っている部隊長たちの姿が見当たりませんでした。ロムド軍がいるジタン山脈からも、敵が攻めてくる様子はありません。とまどうサータマンとメイの兵士たちに、また上官の声が言いました。

「早く闇の石を取れ! これは命令だ――!」

 鎧の左肩にはめこまれた黒い石から、ガラスのようなおおいが溶けて流れていました。暗く深い輝きは、見つめる兵士たちの目と心を奪います。力を与えよう、私に触れろ、と石が呼びかけてくるようです。心のどこかでは、これに触れてはまずいのではないか、と感じながらも、兵士たちは石から目をそらすことができませんでした。指先が石へ動き始めます。

 すると、だしぬけに上空から声が響きました。彼らの上官ではなく、少年の声です。激しい風の音と共に野営地へ叫びます。

「だめだ! 石に触るんじゃない!」

 小柄な少年が、白い幻のような風の怪物に乗って上空を飛び回っていました。野営地のところどころで燃えるかがり火が、その鎧兜に金色に反射します。

 連合軍の兵士たちは我に返って騒ぎ出しました。

「金の石の勇者だ!」

「敵の襲撃だぞ!」

 たちまち空へ矢が飛び始めます。

 フルートはそれをかわして飛び続けました。地上では連合軍の兵士たちが武器を構えて自分を見上げています。上官の命令通りに闇の石へ手を伸ばす兵もいます。

「やめろ!!」

 とフルートはまた叫び、その兵士へ急降下しようとしました。矢がまたいっせいに放たれ、ポチが身をかわして上空へ逃げます。その間に兵士が自分の闇の石に触れました。小さな石です。たちまち鎧からぽろりと外れ、兵士の手の中に落ちてきます。兵士は目を見張りました。手のひらで闇の石が氷のように溶けて、見えなくなっていったのです――。

 

 とたんに悲鳴が上がりました。十数人の兵士たちが恐怖の声を上げて飛びのきます。その中央で姿を変えていく兵がいました。体がふくれあがるように大きくなり、着ていた鎧が弾け飛びます。服も裂け、黒く光る皮膚が現れます。顔が、体つきが、見る間に変わって怪物になっていきます。

 すると、怪物が顔を上げました。巨大な牙ののぞく口で、にたりと笑います。

「なるほど――力だ。今までにない力が湧いてくるぞ――!」

 歓声と共に怪物が飛びかかったのは、すぐ近くにいた別の兵士でした。一瞬で殴り倒し、鋭い爪で引き裂いてしまいます。その死体を踏みつけて、怪物がまた笑います。

「おまえはずっと俺の手柄を横取りばかりしていたよな、ガリ。これでもう絶対横取りできないぜ。思い知ったか――!」

 兵士たちはいっそう大きく後ずさりました。怪物は、声だけは以前の仲間のままです。

 すると、闇の中からまた上官の声が聞こえてきました。

「闇の石を取れ、兵士たち! 闇の力を得て、金の石の勇者を倒すのだ――!」

 いくつもの声が同時に同じことを言っています。その声が重なり合って不気味に響きます。まるで地の底から這い上がってくるようです……。

 とたんに、恐怖におののいていた兵士たちの顔が急に様子を変えました。顔から表情が消え、吸い寄せられるように手を上げていきます。その指が触れるのは左肩の闇の石です。また数十頭の闇の怪物が姿を現します――。

 

「やめろ!!」

 とフルートはまたポチの背中から叫びました。眼下で連合軍の兵士たちが次々と闇の怪物に変わっていきます。彼らに命じる上官の声には魔力がありました。戦場でその命令に従うように、従順に闇の石をつかんでいくのです。

「ワン、上官の怪物を倒さないとだめですよ! みんな幻惑されてる!」

 とポチが言います。

 フルートは命令が聞こえてきた闇を見つめました。そちらへペンダントを突きつけて叫びます。

「金の石!」

 たちまちまばゆい金の光が輝きました。闇の中にうずくまっていた者たちを照らし出します。

 石をつかもうとしていた兵士たちが、ぎょっと手を止めました。自分たちの上官がいるとばかり思っていた闇から、怪物が姿を現したからです。

「やめろ――やめろ――!」

「おおぅ、体が溶ける――!」

「助けてくれ!」

 金の光を浴びて怪物たちが叫んでいました。その声は確かに彼らの上官のものです。皆、驚きのあまり立ちすくんでしまって、動くことも声を出すこともできなくなります。

 光がさらに輝きを増しました。たった今怪物になった者たちにも降りそそぎます。

 

 ポチの背中で、フルートは真っ青になっていました。

 金の石が放つ聖なる光の中で、闇の怪物が溶け出していました。醜くふくれあがった黒い体が流れ落ちて、その中から人の体が現れます。闇の石で変身する前のその人自身の姿です。ところが、その体までが、光の中で崩れていくのです。人の姿をしているのに、闇の怪物のように溶け落ちていきます。

 ポチが言いました。

「ワン、だめなんだ……! 闇の石で怪物になってしまった人は、金の石の光でも戻れないんだ!」

 フルートはとっさに胸のペンダントをつかみました。強く輝き続ける石を手の中に握りしめて叫びます。

「だめだ、金の石! やめろ、だめだ――!」

 光を浴びて、怪物がひげ面の男に姿を変えていました。ぼろぼろの服を着た男は、サータマンの鎧の残骸を身につけています。苦痛に顔を歪め、両手を空に突き出しながら叫びます。

「ジェン! グリック! ダイ――!」

 それが男の家族の名前だということは、誰に聞かなくてもわかりました。男は狂ったように愛する人々の名を呼びながら溶けていきました。手足がなくなり、その場に倒れてさらに小さくなっていっても、それでも叫び続けます。ついに完全に溶け去っても、家族を呼ぶ声だけは夜の山脈にこだましていました。

 フルートは必死で金の石を抱きしめました。自分の体で聖なる光をさえぎりながら言います。

「もういい、金の石! やめろ! 彼らを殺してしまうよ! やめろ――!」

 けれども、石はそれでも輝くのをやめません。

 

 すると、フルートの体がいきなり、ぐいと引き起こされました。すぐ隣に風の犬のルルが飛んできて、上に乗ったオリバンがフルートを捕まえていました。厳しいほど強い声で言います。

「彼らを消せ、フルート。完全に消滅させんと、また闇の怪物として復活してくるぞ」

 フルートはいつか泣き出していました。激しく頭を振り、オリバンの手を振り切ろうとしますが、力ではとてもかないません。その胸の上で金の石は光り続けます。夜の陣営を照らし、怪物になった兵士たちを溶かします。

 それを見て、他の兵士たちがいっせいに逃げ出しました。闇の怪物になれ、と誘いかける闇の石を、肩当てごと外して投げ捨て、無我夢中でその場から離れます。肩当てだけでなく、鎧兜まで脱ぎ捨てて走る兵士もいます。二千に近い兵士たちが、雪崩を打って逃げていきます。

「彼らは……彼らは人間だ……」

 と言ってフルートは泣き続けました。怪物は光の中で一度人間に戻りますが、そこで留まらずに、さらに溶けていきます。助けてくれ、死にたくない、と泣きわめく声が聞こえます。彼らは敵兵ですが、その泣き声はフルートの胸にどうしようもなく迫ってきます。

 すると、オリバンがまた言いました。

「一度闇の怪物になった者を元に戻すことはできん。割り切れ」

 フルートは首を振りました。オリバンの手を振り切ろうともがき、金の石に、やめろ! と叫びますが、石は聞き届けません。

 

 すると、地上から誰かが言いました。

「ロムドの皇太子の言う通りだ、金の石の勇者。我々を消滅させろ。いや、させてくれ――!」

 それはサータマンの司令官でした。聖なる光に黒い体が溶け落ち、中から現れた人間の体も、やっぱり溶け続けています。それなのに、フルートとオリバンを見上げる司令官の顔は、不思議なほど落ち着いて見えました。

「何をしたところで、我々はもう人間には戻れない。闇の怪物として人を襲い、人を食らって生きるようになる。私たちが守るはずだった祖国の人々まで、平気で殺すようになるのだ――。祖国を守る役目の軍人として、それはあまりにも耐え難い。哀れと思うならば私たちを消してくれ。それがせめてもの救いだ」

 フルートは息を呑みました。声が出せなくなって、サータマンの司令官を見つめてしまいます。

 同じく司令官を見ながら、オリバンが言いました。

「おまえは敵の司令官だが、その潔さは認めよう。名を聞いておいてやる」

 怪物から人に戻った司令官が薄く笑いました。自嘲と誇らしさが入り混じった声で答えます。

「私はサータマン王の甥のジ・ナハ……。私たちは己の力で最後までおまえたちと戦うべきだったのだ。闇の力など借りようとせずにな。そうすれば、部下たちにもこんな哀れな最期を迎えさせることはなかったのに」

 司令官の周囲にはもう闇の怪物も、怪物から人に戻った兵士たちも、誰も残ってはいませんでした。すべて金の光の中で消滅したのです。司令官自身も、体中が溶けて立っていられなくなり、その場に音を立てて崩れ落ちました。光の中で小さく小さくなりながら、笑うようにまた言います。

「闇に己を売り渡すというのは恐ろしいものだな……。すべてを闇に奪われて、後には何も残らなくなる。私は司令官でも軍人でも、人間でさえもないものになってしまったのだ……」

 溜息のような音と共に、司令官だったものはひとかたまりのしずくになり、さらに蒸発するように消えていきました。後には本当に何も残りません――。

 オリバンは黙ってそれを見つめ、フルートは唇をかんで涙を流し続けました。フルートの胸の上で、金の石が音もなく光を納めていきました。

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