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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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70.大広間

 薔薇色の絨毯、薔薇色のカーテン、薔薇色の壁紙。いたるところに様々な色合いや濃淡のピンク色があふれる部屋の中で、ロムドの王女のメーレーンは窓の外を眺めていました。着ているドレスも薔薇色です。

 空はもうすっかり暗くなっていましたが、城壁の塔から立ち上る強い光が王女のいる城を照らしていました。あたりは真昼のような明るさです。さっきまで空を飛び回って都を攻撃していた飛竜は、一匹も見当たりません。

「お、王女様、もうお戻りください。そこは危のうございます」

 と侍女の一人が震えながら言いました。同じ部屋に四、五人の侍女がいたのですが、皆、若い娘たちなので、城の外で繰り広げられる戦闘にすっかりおびえて、部屋の真ん中から動けなくなっていました。

 メーレーンは窓際から振り返って言いました。

「今は戦いは起きていませんわ。敵がいなくなりました。メーレーンは魔法使いたちが城と都を守っている様子を見ているのですわ」

 自分のことをメーレーンと名前で呼ぶのが、この王女の口癖でした。プラチナブロンドの巻き毛に華奢な体つきの、本当にかわいらしい姫です。

 窓の外から戦う音は聞こえなくなっていました。さっきまであれほど空にひらめいていた魔法攻撃の光も、今はまったく見えません。夜になったので戦いが休みになったのね、と王女も気がついていました。

 城の中には大勢の声が遠く響いていました。普段は聞こえてこない声です。たくさんの人々が泣いたりわめいたりしています。城に避難してきた周辺の住人が、おびえて騒いでいるのです。それは地の底でうめく悪霊の声のようで、侍女たちをいっそう不安がらせていました。

 

 すると、年かさの侍女たちを従えた貴婦人が部屋の中に入ってきました。金髪を結い上げ、えんじ色のドレスを着た、とても美しい女性です。メノア王妃でした。

「お母様!」

 とメーレーン王女は歓声を上げて飛びつきました。王妃がいつもの柔らかな笑顔で娘にほほえみかけます。

「やっと陛下から部屋を出て良いという許可をいただきました。怖くはなかったですか、メーレーン?」

「ええ。魔法使いたちが城と都を守る様子がよく見えていました。みんな、とても強うございましたわ」

 と王女は瞳をきらきらさせて答えました。城の上空で激戦が繰り広げられている間も、王女は窓際から片時も離れず、ずっとそれを見つめ続けていたのです。輝く瞳は王都を守る者たちを強く信じていて、少しも不安がっていませんでした。

 メノア王妃はまたにっこりしました。小柄な娘にかがみ込むようにして言います。

「そう、私たちは魔法軍団の強さをよく知っています。ユギル殿やロムド軍やその他の方々が、とても強くて頼りになることも――。でも、城の外にいる方たちはそれを知りません。いらっしゃい、メーレーン。私たちは私たちにできることをいたしましょう」

「私たちにできること?」

 と王女は驚いて繰り返しました。なんのことか見当がつきません。

 すると、王妃はほほえんだまま言いました。

「私たちには魔法軍団のような魔法は使えないし、兵士たちのように戦うことも、戦いに勝つために占うこともできません。でも、私たちにだってできることはあるのですよ。大広間に行きます。一緒に来たいという侍女を連れておいでなさい」

 は、はい、と王女は目を丸くしながら答えました。母はいつもと同じ優しい笑顔をしています。ですが、その表情が、なんだかいつもより強く輝いているように見えたのでした――。

 

 城の大広間は、泣き声と叫び声とざわめきでいっぱいでした。

 催し事のたびに何千本もの蝋燭(ろうそく)で真昼のように照らされ、美しく着飾った貴族や貴婦人たちで賑わう場所ですが、今は粗末な普段着姿の市民や農民であふれています。ベランダから外の光は入り込んでいますが、広間全体に灯りは数えるほどしかなく、薄暗い中で小さな子どもたちがおびえて泣き叫んでいました。それを抱きしめる母親も、子どもを安心させることができなくて、ただ、大丈夫、大丈夫だよ、と繰り返すしかありませんでした。

 多くの人々は、ベランダや窓から外の景色を眺めていました。夜でも真昼のように照らし出されている空です。さっきまで稲妻や光の弾が嵐のようにひらめいて、上空を飛び回る飛竜を攻撃していました。何頭かの竜が光を越えて都のすぐ上までやって来たのも見えました。

 今は攻撃がやんでいるけれど、そのうちにまた戦いが再開されるのだと、彼らにはわかっていました。ほんのちょっとの間、静かになっているだけなのです。次に敵がやってきたら、今度こそ大軍で守りの光の中に入ってきて、都や城に襲いかかるかもしれません。そうすれば、武器も力もない彼らは皆殺しです――。言いようのない不安が人々の間で募ります。泣き叫ぶ声にいらだって、小さな子どもや母親をどなりつける男たちもいます。

 

 すると、大広間の奥の階段に灯りが差して、立ち入り禁止になっている上の階から、十数人の人々がやってきました。男も女もいましたが、その中心に守られるようにしながら下りてきた二人の人物を見て、人々は仰天しました。赤いドレスを着た貴婦人と、ピンク色のドレスを着た少女――メノア王妃とメーレーン王女です。同じ城内にはいても、まさか自分たちの前に姿を現すとは思ってもいなかったので、誰もがぽかんと呆気にとられます。

 すると、メノア王妃が大広間を見回して言いました。

「ずいぶん暗いのですね……。すべてのシャンデリアと燭台に灯りをつけましょう」

 とたんに付き添っていた年配の侍女が眉をひそめました。

「それは無理でございます、王妃様。シャンデリアをすべてともすのは、城の催し事の時だけと定められてございます。このようなときに灯りの無駄遣いなど――」

「無駄ではありません」

 とメノア王妃は答えました。

「暗がりは人の心も暗くします。灯りが人の心を照らすならば、それは絶対に必要なものです。今すぐ灯り係をここへ。大広間を昼間のように明るくいたしましょう」

 普段おっとりしている王妃にはめずらしく、きっぱりした口調でした。年配の侍女は鼻白んだように黙り、代わりに下男の一人が飛んでいって、数人の灯り係を連れてきました。長い棒の先に灯りをともし、それで燭台やシャンデリアに火をつけていく役目の使用人です。大広間が明るくなると、子どもの泣き声がおさまっていきました。人々の目が、階段の途中に立つ王妃と王女に釘付けになります。

 

 王妃が一同を見渡して、にっこりとほほえみました。天使の笑顔と呼ばれる微笑です。それを見たとたん、人々は、何故だか心の底から、ほっとするのを感じました。明るくなった部屋と共に、心の中まで本当に明るくなってきたような気がします。

 すると、王妃が優しい声で言いました。

「恐れることはありませんわ、皆様……。ディーラはすばらしい守りを持つ都です。どんな敵にも決して負けません。陛下も魔法使いたちも兵士たちも、あなた方を守り抜いてくださいます。ですから、戦いが終わるまで、ここで静かに待ちましょう。私たちもずっと一緒にここにいますから」

 人々はまた驚き、お付きの者たちは仰天しました。王妃や王女が下々の者たちと同じ場所にずっといるなど、とてもありえない話です。上の階の王妃たちの部屋に戻るよう必死で説得しますが、王妃は聞き入れません。

「私たちがここにいれば、皆も安心いたしましょう? 私たちには本当になんの力もありませんが、皆と一緒にいてあげることだけはできるのですわ」

 人々はますます驚いて、何も言えなくなりました。

 彼らは身分もない平民や農民たちです。あまりに美しい城の中で、場違いな自分たちなどすぐに見捨てられるのではないか、と漠然とした不安に襲われていたのですが、王妃たちが一緒にいる、と言うのを聞いて、急にその不安が薄れていきました。国王や城の者が王妃たちを守らないはずはないのだから、自分たちだって一緒に守ってもらえるに違いない、とも考えます。穏やかにほほえみ続ける王妃を見つめます。

 

 しん、と静かになった大広間の中で、一人だけ泣き続けている子どもがいました。奥の階段から近い場所です。母親が小さな声で必死になだめていましたが、まったく泣きやむ気配がありません。

 すると、メーレーン王女が階段を下りていって、泣いている子どもをのぞき込みました。仰天した母親が声を上げます。

「すみません、すみません、お姫様! こ、この子はとても臆病で……一度泣き出したら、なかなか泣きやまないんでございます。も、申し訳ございません……!」

 我が子をかばうように抱いて、必死に謝り続けます。

 メーレーン王女は首をかしげました。泣いている子どもを大きな灰色の瞳で見つめながら言います。

「怖くてしかたがないのですね。そんな時には楽しいことを見たり聞いたりすると良いのだ、ってトウガリはよく言いますわ。でも、残念ながら、トウガリは今ここにいませんの。大切な用事で出かけてしまっているから……。ですから、代わりにメーレーンが歌を歌ってさしあげますわね。ザカラスのトーマ王子から教えていただいた『友よ、我らはここにあり』という歌です。とても元気が出てきますのよ」

 人々はまた唖然としました。泣いている子どものために王女が歌ってくれるなど、本当に前代未聞の出来事です。ですが、メーレーンは周囲のとまどいなど気にする様子もなく、薔薇色のドレスの前で両手を組み合わせて歌い始めました。細く澄んだ歌声が流れ出します。

 人々は息を詰めてその歌を聴きました。呆然と見上げる母親の驚きが伝わったのか、歌の声に気持ちを惹かれたのか、子どももいつの間にか泣きやみます。大広間は、いっそう静かになっていきます――。

 

 大広間の奥の階段の上に、ロムド王と銀髪の占者が立っていました。大広間にいる人々からは姿が見えない場所です。聞こえてくる王女の歌声に王は穏やかに笑っていました。

「避難してきた市民を落ち着かせなければと思ったが、どうやら適任者が来ていたようだな」

「彼らは王妃様と姫様にお任せして大丈夫でございましょう。間もなく大広間の援軍も到着することですし」

 とユギルがやはり微笑して答えます。大広間の援軍? と国王が聞き返したところへ、城の奥から数十人の女性の集団が現れました。レイーヌ侍女長に率いられた侍女たちです。皆、大きな荷物を抱えたり、ワゴンを押したりしています。

 侍女長が階段の上の国王に気がついて、丁寧にお辞儀をしました。

「これは陛下。遅くなりましたが、ようやく準備が整いました。大広間の人々に毛布や暖かい食事を配ることにいたします」

 なるほど、と国王はうなずきました。

「下にはメノアとメーレーンもいる。彼らと共に大広間をよろしく頼むぞ」

 まあ、王妃様方が? と侍女長は驚きましたが、聞こえてくる歌声に耳を傾けて、すぐにほほえみました。

「皆、落ち着いているようでございますね。ここは私たちにお任せください、陛下。王妃様と王女様ならば、きっと大丈夫でございましょう」

 階段の下の大広間から、割れるような拍手がわき起こっていました。メーレーン王女が歌い終わったのです。なんと、王女にアンコールを求める声まで聞こえてきます。

 国王は笑顔でうなずくと、後は侍女長と侍女たちに任せて、ユギルと共にまた執務室へと戻っていきました――。

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