サータマン軍の疾風部隊は、デセラール山とリーリス湖の隘路を出た丘陵地で、ロムド軍の防衛線と正面衝突しました。待ちかまえていた銀の軍勢とたちまち激しい戦闘が始まります。
サータマンの疾風部隊はおよそ八千。それを出迎えるロムド軍の倍以上の数ですが、疾風部隊は狭い通路を抜けてきているので、一度に数十騎ずつしか外に出ることができません。そこをロムド軍が取り囲んで攻撃します。剣と剣がぶつかり合う音、馬のいななき、兵士たちの叫び声。そんなものが山にこだまします。
丘陵地の中央付近を守る部隊の隊長は、冷静に戦況を見つめていました。彼の部隊は特に戦いの激しい場所にいます。敵が中央突破を試みて、集中的に攻撃してきているのです。これなら敵がこちらの作戦を見破ることはないだろう、と考えます。こちらの本当の狙いは、疾風部隊の後に続く飛竜部隊です。疾風部隊を先へやり過ごし、飛竜部隊の馬車を呼び込むために、一時退却の合図を自分の部隊へ送ろうとします
すると、急に隘路の彼方からすさまじい蹄の音が聞こえてきました。鞍も手綱もつけない裸馬たちが、サータマンの兵士に追われて突進してきたのです。何万頭もの馬が茶色の濁流になって隘路を駆けていきます。サータマンの疾風部隊が即座に隘路の端へ退いて、馬を通過させます。
それはサータマン軍が連れてきた替え馬の大群でした。サータマンの疾風部隊は自分たちが乗った馬が疲れてくると、それまで鞍もつけずに走ってきた替え馬に乗り替えます。後方部隊の馬車も同様です。疲れた馬たちは、身軽になることでまた元気を取り戻し、兵士や馬車を運ぶ馬たちが疲れたときに、また交代できるようになります。サータマンの疾風部隊は、そうやって驚異的な速度の進軍を実現しているのです。
隘路から飛び出してきた馬に追われて、戦う兵たちが散り散りになりました。隘路の出口を半円形に囲んでいたロムド軍の防衛線が切れます。疾走する替え馬の大群がそこを突っ切っていきます。
すると、サータマン軍から銅鑼の音が響きました。戦っていたサータマンの騎兵が、戦闘を放棄していっせいに駆け出し、替え馬の群れを追っていきます。包囲網の切れた場所から外へ飛び出していったのです。その後に隘路から出てきた疾風部隊が続き、怒濤の進軍を再開します。ロムド軍には止めようがありません――。
「敵ながら見事な動きだ。実に統制がとれている」
とその光景を眺めながらワルラ将軍が言いました。濃紺の鎧兜で身を包んだ老将軍は、馬の上で腕組みをしています。敵に感心はしても、決して弱気になってはいません。
「後方部隊の馬車が見え始めました」
とガスト副官が言いました。湾曲した湖の岸辺を、騎兵に続いて馬車の列が疾走してくるのが見えます。いよいよだ、とジャックは考えました。ここからロムド軍の本当の攻撃が始まるのです。
先頭の馬車が隘路から飛び出した瞬間、ワルラ将軍が信号兵へ合図を送りました。信号兵が角笛を高らかに吹き鳴らします。
とたんに、それまで尻込みしているように見えたロムド軍の中から、いっせいに矢が飛び始めました。弓矢部隊でした。隘路から出てきた馬車に矢が突き刺さり、馬車を引く馬が倒れます。
先頭の馬車が立ち往生してしまえば、後続の馬車は進むことができなくなります。隘路の中で身動きできなくなったところへ、再びロムド軍の角笛が響きました。それに応えるように戦場のあちこちで声が上がります。
「全軍攻撃再開!」
「サータマン軍を攻撃せよ!」
「飛竜部隊の馬車を壊せ!」
おぉぉーっと叫び声を上げて、ロムド兵がいっせいにまた攻撃を始めました。隘路に駆け込んでいって、動けなくなった馬車の御者兵を切り倒し、車輪を壊し、板作りの壁を打ち破ります。
馬車の中に日の光が差し込むと、ギァァァ……! と鋭い声が上がりました。中につながれていた飛竜が驚いて鳴いたのです。飛竜は堅いうろこでおおわれていて、普通の剣では倒すことができません。ロムド兵たちは竜を切り殺す代わりに、竜と馬車をつないでいる鎖を断ち切りました。とたんに飛竜は翼を広げ、馬車の壊れたところから逃げ出していきました。騎手のいない飛竜は、自分から軍に戻ってくることはありません。
飛竜部隊がロムド軍に攻撃を受けていることに気がついて、疾風部隊が引き返してきました。ワルラ将軍が再び信号兵へ合図を送ります。
「疾風部隊を迎撃!」
また角笛が吹き鳴らされ、隘路を包囲していたロムド軍が、今度は戻ってきた疾風部隊に向き直りました。騎兵と騎兵がぶつかり合い、たちまち大乱戦が始まります。
ジャックもワルラ将軍を守って、ガスト副官や親衛隊と一緒に戦い始めました。襲いかかってくるサータマン兵の剣を返し、自分から切りかかっていきます。何度も剣を打ち合わせた後、ジャックは隙を突いて相手に切りつけました。血を吹き出して落馬した男が、入り乱れる馬の蹄に踏みつぶされます。
響き渡る断末魔の悲鳴から、ジャックは耳と心を引き離しました。これは戦闘です。相手を殺さなければ自分が殺されるのです。剣を握り直して次の敵に向かいながら、ジャックは唐突にフルートの顔を思い浮かべていました。どんな悪人であっても、人間は絶対殺すことができない、優しい優しい勇者です――。
確かにこれはおまえにはできねえよな、とジャックは心の中でフルートに話しかけました。おまえは世界中のヤツを守る勇者だから、敵だろうと悪人だろうと助けてやらなくちゃならねえんだもんな。だけど、俺にはできるぞ。守る範囲はおまえよりずっと狭くても、ロムドの軍人らしくこの国を守っていってやる。
心の中でそう言い切って、ジャックはまた新しい敵に切りかかりました。敵は鬼のような形相でにらみつけてきます。たぶんジャックも同じ顔をしているのでしょう。二人が手に握っているのは、相手の命を断ち切るための道具です――。
これが戦場というものでした。ジャックがこれからずっと生き抜いていく場所なのでした。
その時、突然戦場が暗くなって、頭上に激しい羽音が響きました。驚いて見上げた兵士たちの目に飛び込んできたのは、空に舞い上がっていく飛竜の群れでした。コウモリのような二枚の翼と蛇のような尾を持つドラゴンで、前足はなく、二本の後足だけがあります。ワイバーンと呼ばれる翼竜でした。
ワイバーンの背にはサータマン兵が乗っていました。緑の鎧の胸当てをつけただけの身軽な格好で、竜の背に立ち、手綱を操っています。
「飛竜部隊!」
ワルラ将軍が空を見上げて歯ぎしりしました。戦士を乗せた飛竜は湖に沿った隘路から次々に舞い上がっていきます。ロムド軍は猛烈な勢いでサータマン軍の馬車を襲撃していったのですが、それに気づいた後方の飛竜部隊が、即座に空へ飛び立ったのです。ワルラ将軍の予想を上回る素早さでした。
ロムドの弓矢部隊はいっせいに矢を放ち始めました。ところが、飛竜は空の高い場所を飛んでいて、矢が届きません。飛竜部隊はロムド軍には目もくれずに北北西へ飛んでいきます。ワルラ将軍はいっそう歯ぎしりしました。それは、王都ディーラがある方角でした。
王都のロムド城では、ユギルが占盤をのぞき続けていました。青と金の色違いの目が、占盤から未来を読み取っていきます。
「戦う魔法使いたちの象徴がいっそうはっきり見えてまいりました。まもなく敵が王都を襲撃いたします……。ワルラ将軍たちの戦っている場所からみて、これほど素早くやってこられるのは、飛竜部隊しかありません。街の門を閉じ、すべての住人を屋内に避難させ、空からの襲撃にお備え下さい」
占者の青年は、ロムドを守る人々にそう告げました――。