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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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65.隘路(あいろ)

 「サータマン軍はデセラール山とリーリス湖の間の隘路(あいろ)を来る! ここを抜ければ王都までは平坦な地形だ! 敵が一気に攻め上っていくぞ! なんとしてもここで敵を防ぐのだ!」

 ロムド軍最高司令官のワルラ将軍が、伝令兵に向かってどなっていました。伝令たちがいっせいに散っていきます。戦闘態勢についている各部隊の指揮官に、将軍の命令を伝えに行ったのです。

 ワルラ将軍のそばには、三十名ほどの親衛隊と共に、副官のガストと従者のジャックが控えていました。ジャックにとってはこれが初めての本格的な戦闘です。緊張で武者震いがしてきます。

 すると、ガスト副官が声をかけてきました。

「怖いか、ジャック?」

 勇猛なワルラ将軍とは対照的な、落ち着いた雰囲気の武人です。今も責める口調ではなく、ただ確かめるように尋ねてきます。

 ジャックは思わず赤くなりました。

「戦うことは怖くはないです……。そのために俺は今まで訓練を積んできたんだし。ただ、敵は恐ろしいと思います。もちろん、命を賭けて戦うつもりでいますが――」

「馬鹿もん、最初から命など賭けるな」

 と突然口をはさんできたのはワルラ将軍でした。大きな体に紺色の鎧兜を着て、老いても堂々とした風格を漂わせています。

「むろん、命を惜しんで戦いから逃げるような臆病者は、我が軍には必要ない。だが、最初から命を捨てるつもりの兵も不要だ。そんな奴は無鉄砲に敵に切りかかっていって、たちまち戦死してしまうからな。敵に最大限の打撃を与えて勝つためには、兵一人一人が最大限に生き延びて戦わなくてはならん。それを忘れるな」

「敵を怖いと感じる気持ちも大事だぞ、ジャック」

 とガスト副官も言いました。

「恐れるあまり敵に呑まれてはどうしようもないが、敵に相応の恐れを感じることは戦いの基本だ。思いがけない敗退を強いられるのは、決まって、敵の力を見くびったときなんだ」

 ジャックは黙って頭を下げました。自分の前にいるのは、ロムド軍で最高の将軍と、その片腕の副官です。そんな人たちに直接戦闘の心得を聞かされている今の自分を、なんだかひどく不思議に感じます。シルの町の悪童に過ぎなかった自分だというのに……。

 気がつけば、ジャックの武者震いは止まっていました。これから始まる戦闘に、ふつふつと闘志が湧いてきます。

 

 ワルラ将軍と副官は戦況について話し合っていました。

「サータマン軍はかなりの速度で進んでいるようだな。この隘路にも間もなくやってくるだろう」

 と将軍が目の前の地形を眺めます。左手にはデセラール山がそびえ、右手ではリーリス湖が湖面を青く輝かせています。療養地だったハルマスがあった場所とは、湖を挟んだ対岸に当たります。山裾の森が湖ぎりぎりまで迫っている上に、急な斜面になっているので、馬で通るには湖の岸に添って伸びる、幅五十メートルほどの草地を進むようになります。このような、山や水に挟まれて通過しにくい通路を「隘路」と言うのです。

 副官が言いました。

「現在、我が軍は隘路の出口の前で凹型に布陣しています。サータマン軍が隘路から飛び出してきたところを、迎え討つことになります」

「まさかこちらから隘路に飛び込んでいく馬鹿な部隊はないと思うがな」

 とワルラ将軍は冗談のように言って、隘路の出口を眺め続けました。彼ら自身は陣営がよく見える小高い丘の上に、馬に乗って立っています。ロムド軍は丘陵地のあちこちに待機していました。小さな森や丘の陰に身を潜めている部隊もありますが、隘路に対して綺麗な半円形の壁を作っています。

 すると、ガスト副官がまたジャックに話しかけてきました。

「我が軍が何故、隘路の中や先で敵を待ちかまえないかわかるか?」

「え……」

 ジャックは目の前の地形を眺めながら必死で考えました。敵を早く迎え討とうと思えば、もっと先の地点で待ちかまえた方が良い気もするのですが――。

 ジャックは答えました。

「隘路の中は狭いです。そこで戦ったら動きにくくてしょうがないと思います。かといって、もっと先に進んで隘路の入り口の前で待ちかまえたら、敵の攻撃が激しくて退却するときに、狭い隘路を逃げるのが大変になるだろうし。この場所は王都ディーラに近いですが、敵の方が隘路を抜けるのに狭い集団で来るから、いっぺんに倒すことができると思います」

「正解だ、ジャック」

 とガスト副官が誉め、ワルラ将軍も笑いました。ジャックの答えは隘路での戦い方の基本を正確に言っていました。もちろん、士官学校ではそういった戦術も教えますが、ジャックは貴族の師弟ではないので士官学校には行っていません。自力で状況を分析して正しい戦術に気がついたジャックに、将軍たちは、なかなか見所がある、と考えたのです。

 ジャックは照れて、兜の上から思わず頭をかきました。

「いやぁ……ガキの頃、隣町の不良グループと決闘するのに、こんなふうに狭い通路の外で待ちかまえたことがあったのを思い出したんです」

 正直にそんなことを言うジャックに、将軍たちがいっそう大笑いをします。

 

 すると、そこへ一頭の馬が隘路を駆け抜けて飛び出してきました。長身の男が乗っていて、あっという間に将軍たちがいる丘へ駆け上がってきます。

 親衛隊が気色ばんで前に出ようとすると、ワルラ将軍が言いました。

「あわてるな。あれは味方だ」

「トウガリ殿ですな」

 とガスト副官も言います。

 ロムド城の間者は、今は道化の扮装ではなく私服姿でいました。とても痩せて長身なこと以外は、ごくごく普通の人物に見えます。その格好でサータマンの軍勢をこっそり見張り続けていたのでした。

「サータマンの疾風部隊が隘路に飛び込んだぞ」

 とトウガリは将軍に向かって言いました。

「聞きしにまさる速さだ。途中の町も村もまったく無視して進んできた。この隘路も、あっという間に駆け抜けてくるぞ」

 トウガリは肩で息をしていました。サータマンの疾風部隊は、完全武装の兵士たちを乗せて、驚異的な速度で駆けていました。身軽で速いはずのトウガリでさえ、追いつかれないようにするのがやっとだったのです。

 ほどなく、隘路の彼方から激しい蹄の音が聞こえてきました。山に反射してこだまになって響きます。

 トウガリは続けました。

「疾風部隊は騎兵が約八千。そのすぐ後ろに約四千の後方部隊が馬車で続いている。信じがたいことだが、馬車も騎兵とまったく同じ速度で進んでくる。物資だけでなく、他のものも運んでいるようだ」

「飛竜か」

 とワルラ将軍が厳しい表情になりました。サータマン軍は中央大陸では珍しい飛竜部隊を所持しています。トウガリはうなずきました。

「飛竜はあまり長時間飛び続けることができないから、戦場近くまで馬車で運んで、そこから空を飛んで攻撃をしかける。疾風部隊はそのための先導部隊。本当に危険なのは飛竜部隊の方だろう」

「よくわかった。――伝令!」

 将軍が声を上げてまた伝令兵を呼び集めました。

「各部隊長に伝えろ! 敵と一度ぶつかったら、中央にわざと突破口を作って敵の騎兵を脱出させ、後方に続く馬車を重点的に攻めろ! 馬車の中身は、おそらく飛竜! そのつもりでかかれ!」

 伝令兵たちがまたいっせいに散っていきます。

 

 自分も丘を下りて戦場に向かおうとするワルラ将軍に、トウガリがちょっと笑いました。

「ワルラ将軍は先陣にあり、か。歳を召されても相変わらずだ」

 将軍はすぐに笑い返しました。とても七十の高齢とは思えない、豪快な笑い声を響かせます。

「わしはいつも先陣と共に攻め、最後尾と共に撤退する。生涯それがわしの戦い方だ。――貴殿はどうする?」

「俺はさらに進んで、この先の部隊にも敵の様子を知らせていく。将軍がここで敵を防いでくれることを期待しているが」

「全力を尽くそう。気をつけて行けよ、トウガリ殿。貴殿が死ねば、きっと泣いて悲しむ方がいる」

 再び駆け出そうとしていたトウガリは、手綱を引いて将軍を振り向きました。彼が誰を想い、誰を守りたくて戦っているのか、将軍は承知しているのです。思わず苦笑して答えます。

「そうだな。死んでしまってはお守りすることもできなくなるからな……。将軍も気をつけられよ。歳を考えて、周りにあまり心配をかけないように」

 最後に一言報復して、トウガリは王都の方角へと駆け去りました。

 誰が歳だというのだ! と憤る将軍の隣で、いや、まったくトウガリ殿の言うとおり、とガスト副官がジャックにしみじみささいていました――。

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