ロムド城の通路をひげ面の大男が足早に歩いていました。身につけているのは深い青の長衣――青の魔法使いです。通路に面した一室の前で立ち止まると、乱暴に戸をたたき始めます。
「ユギル殿! ユギル殿はご在室か!?」
荒々しい声に警備の兵士が飛んできましたが、どなっているのが四大魔法使いの一人だとわかると、思わず立ち止まってしまいました。一介の警備兵にどうこうできる相手ではありません。
青の魔法使いが扉をたたき続けると、ふいにそれが開いて、中から青年が姿を現しました。灰色の長衣に長い銀の髪の占者です。ところが、いつも輝かしい姿が驚くほどやつれていました。青ざめた顔は目が落ちくぼみ、元から細い体がいっそう痩せ細って、なんだか今にも消えてしまいそうに見えます。
大男が思わずとまどっていると、占者は長い溜息をついて額を抑えました。
「最初からやり直しです。半日が無駄になりました……」
前日の早朝に援軍を呼び戻すよう国王に進言した後、ユギルはずっと自室にこもって、文字通り寝食を忘れて占い続けていました。
占いがいつも良い結果を導き出すとは限りません。運命というものは、時に避けがたい定めを人に与えるからです。ドワーフ移住団に襲いかかっていたのは、そういう避けることのできない危険でした。
何度占い直しても、未来は移住団やオリバンたちの全滅を予言してきます。そこから彼らを救うためには、ジタンへ援軍を送り込むしかないということも、占いを通じてわかります。それなのに、ユギルの占盤はかたくなに援軍を送ってはならない、と言い続けているのです。それによって移住団は救われても、さらに先の未来でもっと大きな不幸が彼らを呑み込み、結局彼らを全滅させるのだ、と。
運命は巧妙で奥深いものです。一度は占いで危険を避けたと思っても、その先でまた運命の扉を開き、定めの中へ人を誘い込もうとします。その定めから本当に逃れるためにはどうしたら良いのか。ユギルは必死に占うのですが、闇の石で隠された敵は占盤に姿を現さず、見えない暗がりを探るような占いがずっと続いていたのでした。
けれども、青の魔法使いがとまどっているのを見て、ユギルは、失礼、と言いました。占いの結果が思うように捕まらないのは、相手のせいではありません。つい八つ当たりしてしまったことを率直にわびて、改めて尋ねました。
「どうなさいました、青の魔法使い殿? 今は非番の時間でいらっしゃいますよね?」
魔法使いの武僧は我に返ると、また険しい顔になって言いました。
「お邪魔をして申しわけありません。だが、事態は一刻を争います。勝手ながら、赤にこの件を占ってもらったのです。彼は異大陸の術を使える。それでジタンの様子を見てもらったところ、サータマンの軍勢がジタンのメイ軍と合流した、と言うのです。それに、ジタン全体が闇の魔法の影響下にある、と。闇の力が強くて、それ以上は赤にも見通すことができませんでしたが、移住団や皇太子殿下たちが非常に苦しい状況に陥っていることは間違いありませんぞ!」
ユギルは目を見張りました。青と金の色違いの瞳です。少しの間、遠くを見るまなざしになって、すぐに疲れたようにまた頭を振ります。
「やはりわたくしには見通すことができません……。ですが、赤の魔法使い殿ならば、確かに南大陸の古占術をがお使いになれる。その力でサータマン到着を読んだのであれば、それは真実でございましょう――」
そのまま黙り込んでしまった占者に、魔法使いはまた声を荒げました。
「この状況でもまだ援軍は送らない、とおっしゃるのですか、ユギル殿!? 敵の数は二千名あまり、実にこちらの十数倍だ! しかも闇の魔力が一帯をおおっている! 昨夜から現地の深緑と連絡が取れなくなっております。どう考えても、彼らは絶体絶命の状況に陥っているのですぞ!」
占者はすぐには返事をしませんでした。通路の床に目を向けたまま、何かを見つめ、短く答えます。
「なりません」
「ユギル殿!!」
とうとう青の魔法使いは爆発しました。相手が城の一番占者だろうが、お構いなしにどなりつけます。
「このうえはワルラ将軍の援軍でも手遅れだ!! 我々をジタンへ行かせなさい!! 四大魔法使いが敵をたたき伏せ、ジタンを取り戻してきますぞ!!」
見上げるような大男の前で、ユギルはいかにも細くはかなげですが、それでも彼は一歩も譲りませんでした。
「それはなりません。持ち場にお戻り下さい、青の魔法使い殿。それがあなたの役目です」
「――!」
冷ややかにさえ見える占者の態度に、青の魔法使いは逆上しました。その灰色の長衣の襟元をひっつかもうとします。
すると、その手を誰かがぴしりと払いのけました。ほっそりとした女性の手です。青の魔法使いが驚くと、白い長衣に淡い金髪をきっちりと結い上げた女神官が、すぐそばに立っていました。
「落ち着け、青。ここをどこだと思っている。陛下の執務室まで筒抜けになっているぞ!」
と白の魔法使いに叱りつけられて、青の魔法使いは我に返りました。握りしめた拳を震わせると、うなるように言います。
「彼らが全滅したらどう責任をとられます、ユギル殿……? 赤は、このままでは彼ら全員が黄泉の門へと下るだろうと言っているのですぞ」
ユギルはうつむきました。長い銀の髪で表情を隠し、静かな声でこう言います。
「その時には、わたくしもこの世にはおりません――」
二人の魔法使いは、はっとしました。占者の青年が皇太子や勇者たちを自分の弟妹のようにかわいがっていたことを、唐突に思い出したのです。
魔法使いたちの視線から表情を隠したままで、青年は言い続けました。
「殿下と勇者殿たちはこの世を闇から救う存在です。ジタンもまた、重要な役割を担う場所となっていきます。彼らと、かの場所が失われれば、世界は闇の恐怖の中で滅びていくしかありません。わたくしがなすべきこともまた、なくなってしまうのです」
そして、占者の青年は黙り込みました。何も言わない細い姿が、占者の苦悩をありありと伝えてきます。
青の魔法使いは、すみませんでした、とユギルへ謝罪しました。こちらも両手を拳に握りしめたまま、うつむいて顔を上げなくなります。
白の魔法使いは溜息をついて上を見ました。そこは城の中の通路です。壁と天井の他に目に入るものはありませんが、魔法使いの目でさらに遠くを眺めます。ジタン山脈のある方向です。けれども、深緑の魔法使いと通信が途絶えている今、白の魔法使いにも、その場所の様子を知ることはできません――。
すると、ふいにユギルも顔を上げました。白の魔法使いが見ているのとは別の方向を見て言います。
「あれは……?」
一羽の鳥が空の中で鷹に追いかけられていました。悲鳴のような鳴き声を上げながら、必死で飛び続けています。その足に金の輪があるのを見て、白の魔法使いは声を上げました。
「伝書鳥だ! 襲われているぞ!」
即座に動いたのは青の魔法使いでした。何もない空間からこぶだらけの杖を取り出し、上へ突き出します。
「はっ!」
とたんに、青空の中で小さな爆発が起きました。鳥を追う鷹の目の前です。鷹が驚いて逃げていきます。
白の魔法使いは細い腕を伸ばしました。次の瞬間、その上に鳥が姿を現し、翼を広げて腕に留まります。女神官は、その足首から金の輪を外し、中から小さな羊皮紙を取り出しました。
「トウガリ殿からだ」
とサインを見るなり言い、すぐにユギルと青の魔法使いをユギルの部屋へ引き入れました。扉を閉め、さらに声を潜めて言います。
「トウガリ殿は今、ディーラから南の街道を下ったところにおられるようです。リーリス湖の向こうに大変なものを見つけたと――」
「大変なもの? それはなんです?」
とユギルは聞き返しました。占いの目はそちらに異常は感じません。ただ、ふいに嫌な予感が走りました。占いの目よりもっと深い場所にある直感が、突然危険を告げ始めたのです。
白の魔法使いは何度も書状を読み返し、またユギルと青の魔法使いを見ました。その顔は青ざめています――。
「トウガリ殿はこう書かれています。リーリス湖の南方、湖沼群の先の闇の森から、サータマン軍の疾風部隊が姿を現した、と。その数、およそ一万二千。ものすごい勢いで、このディーラ目ざして進軍中だそうです」
女神官は、そう言いました。