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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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第15章 策

53.優しの石

 ジタン山脈の麓の森に明るい光が降りそそいでいました。木々の梢に緑が増え、春の気配が濃くなっていく森の中です。

 フルートはその森の外れに立って、目の前にそびえるジタン山脈を見上げていました。森から山まではわずか三キロほどの距離しかありません。間に広がる荒野も、薄緑色の若草におおわれ始めています。

 オリバンやドワーフたちを襲撃したメイ軍が、ポポロの魔法に驚いて山に逃げ戻ってから、すでに数時間がたっていました。メイ軍の動きはここからではわかりませんが、森の奥からは、ロムド兵やドワーフたちの賑やかな声が聞こえていました。戦いに生き残ったことを素直に喜ぶ、わきたつような雰囲気が伝わってきます。けれども、フルートは黙ったまま、じっと山を見つめ続けていました。笑顔はありません。非常に厳しい顔です。その足下にはポチが心配そうな様子で座っていました。

 すると、森の中からゼンがやってきました。フルートを見つけて声をかけます。

「ここにいたのか。オリバンやゴーリスたちが呼んでるぜ。作戦会議を開くとよ」

 うん、とフルートは答えましたが、すぐには動き出しませんでした。やっぱりジタンを見つめ続けています。そんなフルートにゼンが言いました。

「ありがとうな、金の石を使ってくれて。おかげで北の峰の連中は傷も治って、すっかり元気になったぜ。親父も、もうぴんぴんだ」

「ドワーフにもロムド兵にも死んだ人がいなかったからだよ。いくら金の石でも、死人を生き返らせることはできないからね……」

 とフルートは言いました。そのまま目を伏せて何かを思う顔になり、やがて森の奥へと歩き出します。ことば少ない後ろ姿は、なんだかひどく悲しげに見えました。

 

「どうしたんだ、あいつ? メイの奴らを追っ払えて嬉しくねえのかよ?」

 とゼンは後に残ったポチに尋ねました。子犬は首をかしげるようにしてフルートを見送っていたのです。

「ワン、フルートはメイ兵が大勢死んだのを悲しんでるんですよ。落とし穴の中で十数人が死んだし、森でもドワーフやロムド兵と戦ってやっぱり三十人以上が死んでましたからね。一方、こっちには一人の死者も出なかったんだから、戦いとしてはこちらの圧勝になるんだけど、フルートにはつらくてしょうがないんですよ」

 たちまちゼンは顔をしかめました。

「なに言ってやがる! こっちに死人が出なかったのは、ドワーフが並外れて頑丈だったおかげだぞ。そうでなきゃ、ものすごい犠牲者が出たんだ。しかも、あいつらはオリバンを人質にして、ドワーフを皆殺しにしようとしやがった。どうしてそんな奴らのことまで悲しんでやらなくちゃならねえんだよ!?」

 ゼンの怒りはもっともです。けれども、ポチは言いました。

「そんなこと言ったってしょうがないですよ。フルートはどうしたってフルートなんだから。敵だってなんだって、本当は絶対に殺したくないんだ」

「そして、そうやって助けてやった敵に、今度は自分が殺されそうになるってか――!? ったく、ホントに変わんねえよな、あいつは!」

 ゼンはわめき続けます。一度はフルートに同意してメイ軍やサータマン軍と戦わない方法を考えると言ったゼンですが、仲間のドワーフたちを殺されそうになって、そんな寛大な気持ちもどこかへ吹き飛んでしまったのです。

 

 すると、ポチは考えるような顔をして、急に話題を変えました。

「ねえ、ゼン……ゼンは、優しの石って知ってますか?」

「優しの石――? なんだそりゃ。魔石か?」

 それがどうした、と言いたそうにゼンが聞き返します。ゼンはドワーフですが、猟師の家に生まれ育っていることもあって、石についてはあまり知識がありません。ポチは考え込みながら続けました。

「ラトムから教えてもらったんです。この世界には、純粋な優しさが集まってできた、優しの石っていうのがある、って……。ぼく、時の岩屋でその石を偶然見たけど、本当に優しい石でした。不幸な人がいると、その人たちを優しい気持ちに変えて幸せにして、自分は砕けて消えていっちゃうんです。いつもそうらしいです。生まれては人を幸せにして、自分自身は消えてしまう――自分を犠牲にして他人を幸せにする石なんですよ」

 ゼンはまた顔をしかめました。

「なんだよ、それ。まるでフルートみたいな石じゃねえか」

 まったくの直感で鋭いところを突きます。ポチはうなずきました。

「ぼく、ラトムに聞いたんです。優しの石が、石じゃなく生き物になることもありますか、って。ラトムは、そういうこともあるだろう、って……。純粋な闇が集まってデビルドラゴンになったみたいに、純粋な優しさが集まって生き物の姿になることもあるってことなんですよ。それが人の姿をとることだって……もしかしたら、あるのかもしれないんだ」

 ゼンはぽかんと子犬を見ました。かなり長い間、言われたことを考えてから、こう言います。

「つまりなんだ――フルートの正体は、その優しの石とかいう魔石だって言いたいのか?」

「ワン、正体ってのとはちょっと違うのかもしれないです。フルートは確かにシルの町のお父さんやお母さんの間に生まれてきた子どもだから、人間には違いないんです。ただ――優しの石がそこに宿っている、っていうのかな。優しの石が、人になって生まれてきたのがフルートじゃないか、って……そんな気がしてしょうがないんですよ。ゼンだってよく言うじゃないですか。フルートはあんまり優しすぎる、優しすぎて人間じゃないみたいだ、って……」

 子犬はいつか震えていました。ずっと考え続けて、そのたびに不安になっていたことでした。常識外れに優しいフルートが優しの石の化身なのだとしたら、その特質もフルートに引き継がれていることになります。

「ワン、フルートは薔薇色の姫君の戦いの時に、ぼくたちと一緒に生きたい、って言ってくれました。仮面の盗賊団の首領と戦ったときにも、ミコンの光の淵に立ったときにも――。もう一人で犠牲になったりはしない、ぼくたちと一緒にいる、って。だけど、フルートが優しの石の生まれ変わりなら、やっぱりフルートは自分を犠牲にしちゃうのかもしれないんですよ。周りの人たちを幸せにするために」

 それは想像するだけで恐ろしいことでした。ポチを弟だと言って優しく抱いてくれるフルートが、どこか遠くへ消えていってしまうような気がするのです。どんなに引き止めても、どんなに捕まえても。

 

 ゼンは溜息をつきました。かがみ込むと、大きな手でポチの頭をなで回します。

「考えすぎだぞ、ポチ。それじゃ、あいつは金の石と願い石の他に、優しの石ってヤツまで持ってることになっちまう。いくらなんでも多すぎだろうが」

「ワン、でも――!」

 ポチが反論しようとすると、ゼンは続けました。

「確かにあいつは優しい。根っから優しいから、敵にまで情けをかけちまう。それは確かだし、変わりようがねえってのもよくわかる。でもな、あいつは魔石の精霊じゃなくて、人間なんだ。まあ、どうも最近、俺たちの精霊は妙に人間くさくなってきたけどよ、でも、やっぱり人間と魔石は違うよな。あいつは人間で、で、俺たちと一緒に生きる決心をした。それならよ、フルートを信じてやろうぜ――。優しの石がどうした。フルートはフルートだ! それ以上でもなければ、それ以下でもねえんだよ!」

 ポチは、まじまじとゼンを見上げました。少し考えてから、こう言います。

「ワン、すごくかっこいい台詞だけど――ゼン、自分で言ってる意味がよくわかってますか?」

「るせぇな! こういうのは雰囲気で理解しろよ、雰囲気で!」

 とゼンが赤くなって言い返します。本当のところは、自分でも完全には理解できていないのかもしれません。さすがのポチも、思わず吹き出してしまいました。

 

 その頭をまたなでながら、ゼンは言いました。

「大丈夫だ。あいつは一度決心したら頑固だからな。ちゃんと俺たちとの約束は守り続けるさ」

「ワン……そうだといいな」

 フルートが歩いていった森の奥を、子犬が祈るように見つめます。

 ゼンは苦笑して立ち上がりました。

「さあ、俺たちも行こうぜ。あの馬鹿はメイ軍を死なせたくねえって言うに決まってる。絶対に大人たちから反対されるから、俺たちが援護してやらねえとな」

 さっきまでメイ軍に腹を立てていたことは、とりあえず忘れることにしたようでした。

 春の日差しが差し込む森の中を、ゼンとポチは歩き出しました。

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