金の石の精霊は、岩屋の中に入り込んだ闇の泥を聖なる光で消すと、扉の向こう側の気配を確かめました。すぐにフルートたちを振り向いて言います。
「おどろは岩に潰されても死なないな。扉のすぐ外にいるぞ。ただ、この岩屋の中には入れないようだ」
すると、赤いドレスの願い石の精霊が答えました。
「この岩屋には時の翁の魔力がまだ宿っている。闇の怪物には入り込めないのだ」
二人の精霊は本当に冷静な表情をしています。
メールが真っ青になって頭を振りました。
「いくら怪物が入ってこられないからって――あたいたちだって、ここから出て行けないんだろ!? ポポロの魔法はもう使えないんだからさ! こ、こんなところに閉じこめられるなんて、そんなの――!」
声が震えて泣き出しそうになります。すると、その頭をゼンがいつものように、ぎゅっと抑えつけました。
「あわてるな、馬鹿。時の岩屋は頑丈なんだ。ここにいる限り危険はねえよ」
すると、犬の姿に戻ったルルが言いました。
「でも、どうやって地上に出たらいいのよ!? 私たち、オリバンたちに知らせに行かなくちゃいけないのに!」
かみつくような声です。ポチがそっと体をすり寄せました。
「ルルも落ち着いて……。大丈夫、明日の朝になればポポロの魔法は回復するじゃないですか。そうしたら、また地上まで通路を開けばいいんですよ」
「通路を開けば、またおどろが襲ってくる。今度は充分準備を整えて行かないとな」
とフルートが真剣な声で言い、ポポロが黙ってうなずきます。
岩屋の外から不気味な気配が伝わっていました。ずずず……と地中を何かが動き回っています。おどろが願い石を狙って岩屋を取り囲んでいるのです。怪物が岩屋に入り込んでくることはありませんでしたが、延々と続く音と気配に、一同はまたなんとなく不安になってきました。
すると、ラトムが急に言いました。
「こんなとき、おまえたちはなんと言うんだったっけな、ドワーフの坊主? えぇと――何はさておき、まずは――」
「まずは食え、だ」
とゼンは答えて、にやっと大きく笑い返しました。ラトムが彼らの気分を変えようと言ってくれたのだとわかったのです。
「ラトムの言うとおりだな。こういうときは、まずは腹ごしらえだ。腹が減ってちゃ元気も出ねえ。食って寝て、体力を回復しておこうぜ。明日にはちゃんと通路を開けるんだし、地上に戻ったらデビルドラゴン相手に大暴れしなくちゃならねえんだからな」
とさっそく携帯食を配り始めます。ゼンはいつものように荷袋に食料や水筒を入れていたのです。
簡単な食事がすむと、全員は冷たい大理石の床にマントなどを敷いて横になりました。時の鏡はもう過去の場面を映していません。暗い岩屋に金の石だけが光を投げかけています。
すると、メールが寝たままゼンににじり寄ってきました。ゼンは思わず赤くなると、すぐに陽気に言いました。
「そんなに怖がるなって。ちゃんとフルートの金の石だって光ってるだろうが」
「でも暗いじゃないのさ!」
とメールが言い返しました。また涙ぐみ始めている声です。
ったく、とゼンは苦笑すると、寝たまま腰の荷袋をかき回して、何かを取り出しました。直径五センチほどの白く輝く石です。とたんにあたりの明るさが増しました。
ほう、とラトムが感心して起き上がりました。
「灯り石じゃないか。珍しいな」
「そうか? 俺たちの北の峰じゃ全然珍しくねえぜ。山を掘れば、ごろごろ出てくるからな。みんな一つは必ず持ち歩いてるんだ。家の灯りにしたりもするぜ……」
言いながら、ゼンは石をかざしました。黒い石の床に横になった一同に、柔らかな光が降りそそぎます。メールがすがる目でそれを見上げます。
すると、ゼンが思いついた声になって言いました。
「おい、金の石。ちょっと光を落とせ」
精霊の少年はもう姿を消していました。フルートの胸の上で輝く金の石が、少し考えるように明滅してから、すっと薄暗くなっていきます。メールはたちまち悲鳴を上げました。
「な――なんで暗くするのさ、ゼン!?」
「いいから。目を開けて上を見てみろよ」
そう言われて、全員は目を上に向けました。岩屋の天井が高くそびえて、暗がりの中に見えなくなっています。ところが、その暗さの中で無数の小さな光が輝いていました。まるで突然星空が現れたようです。
フルートが驚いて言いました。
「石の光が鏡に映っているんだ――!」
岩屋の壁を埋め尽くす時の鏡は、今はもう灰色のガラスのようになっていました。そこに灯り石と金の石の光が映って、何千、何万という輝きになっています。本当に、満天の星空のような光景です。さらに眺めていると、その間に虹色のきらめきも見えてきました。同じ光が、オパールの岩壁にも映っているのです。
綺麗……とポポロとルルがつぶやきました。メールでさえ、地下の星空に思わず見とれてしまいます。
ゼンが言いました。
「ここは鏡があるから特に綺麗だけどよ、普通の地面の中だって、灯り石を掲げるとけっこう綺麗なんだぜ。岩の中には光る石や結晶を持ってる奴がたくさんあるから、そこに光が反射するんだ。岩を掘りだした坑道跡に灯り石を並べると、星空を見てるみたいな気分になってくるぞ」
ほほう、とラトムがまた感心しました。
「そりゃまた、大地の星の話のようだな。俺たちノームの昔話だがな。大昔、鍛冶の神が空をたたいて太陽を作ったときに、飛び散った火花からは月と星ができて、おっこちた破片は大地になった。だから、大地の中には星のかけらがあって、それが、光を浴びると喜んで輝き出すんだ――ってな。まあ、実際には、星のかけらってのは宝石や金銀といった光る石たちのことなんだが」
「なんか、ドワーフもノームも、ほんとに同じようなことを言うよなぁ」
とゼンが笑いました。
「親父たちに言われるぜ。地面の中でも地上でも空でも、世界はみんな同じなんだ、って。同じものでできていて、同じものを持っている。だから、地面の中にだって星空はあるし、空にだって大地はあるんだとよ」
「地面の中にも星空があって、空にも大地がある――かぁ」
とフルートも感心しました。黒い大理石の床に大の字になって、頭上一面の光を眺めます。それは本当に、故郷の荒野で見上げる星空によく似ていました。
すると、その隣でポポロが両手を光に差し伸べました。くすくすと楽しそうな笑い声をたてます。
「空に大地があるのは本当よね……。あたしたちの天空の国は、空の中を飛んでいるんですもの」
「そうだね」
とフルートも笑います。
大地、地上、そして空。それぞれが別の場所なのに、すべてが、ひとつながりになっているような気がしてきます。
ゼンはまだ灯り石を掲げ続けていました。無数の鏡が映すそのきらめきを見上げながら、メールがつぶやくように言いました。
「あたいたちの海もそうなのかな……? 海も、やっぱり大地や空と同じなんだろうか?」
「あったりまえだ」
とゼンはまた笑って、どさくさまぎれにメールを抱き寄せました。ちょっと、なにすんのさ! とメールが真っ赤になって声を上げます――。
ひとしきりポポロや犬たちと笑ってから、フルートは口調を改めました。地中の星空よりもっと上の方へ心を向けながら言います。
「オリバンたちはどうしているだろう……? 彼らを狙ってるのはデビルドラゴンだ。ぼくたちがこうしている間に、大変なことになってないといいけれど」
全員がたちまち真剣な表情に変わりました。ゼンが灯り石を下ろして言います。
「オリバンとゴーリスと深緑の魔法使いが揃ってるんだ。いくらデビルドラゴンでも、そう簡単には倒せねえさ。それに、あそこにいるのはドワーフだ。ドワーフを全滅させるのは山を消すぐらい大変だ、ってのが俺たちのことわざだぜ」
今、彼らは時の岩屋に閉じこめられて、明日の日の出まで動けなくなっています。いくら焦ってもどうすることもできない状態では、ゼンのことばをただ信じるしかありませんでした。
「ワン、ワルラ将軍の部隊が駆けつけているところです。きっと間に合いますよ」
とポチが安心させるように言いました。頼み綱の援軍がディーラへ呼び戻されてしまったことも、彼らは知りません……。
すると、突然岩屋の一角が明るくなりました。一枚の鏡が急に生き返って、どこかの光景を映し出したのです。その前には炎の色の髪とドレスの女性が立っていました。
願い石はいったい何をのぞいているんだろう? と興味を引かれた一同に、知らない男たちの声が聞こえてきました。
「こんな場所に呼び出して、なんの用だ、軍師?」
「申し訳ありません、将軍。ロムド軍の陣営に面白い事実を発見いたしまして――」
フルートたちは、がばと跳ね起きました。精霊の女性が見つめる鏡にいっせいに駆け寄ります。
そこに映っていたのは、立派な赤い鎧兜で身を包み、勲章をいくつもマントにつけた壮年の男でした。その前に、赤いマントをはおった小男が立っています。小男の頭には一本の毛もありません。
「面白いこと? なんだ、それは」
と壮年の男がまた尋ねました。鎧兜の色や格好から見てメイの将軍でしょう。彼らは山中の切り立った崖の上に立っていました。禿頭の小男が麓の景色を指さして見せます。
「今は夕方。兵たちが火を焚いて夕飯の支度をする時間です。ドワーフたちもおそらくそうでしょう。それなのに、あそこからは煙がほとんど上がっていないのです」
鏡に映っているのは、ジタン山脈に陣を張るメイの軍人たちでした。軍師が指さしているのは、オリバンやドワーフたちが隠れている森です。夕焼けに染まり始めた森からは、細い白い煙が二、三本立ち上っているのが見えるだけでした。
ということは? と将軍がまた尋ねると、軍師は落ち着いた声で話し続けました。
「昨夜、あそこに入り込んだ間者は、ロムド軍の規模を我々の軍と同程度と報告してきました。だが、あの煙は、千の兵士が野営しているにしては少なすぎます。春先の森には食料になる野草があるし、ウサギなどもいる。食料に困っているようなこともないはずです。となれば、答えは一つ。――森に潜むロムド兵やドワーフたちは、我々が考えているより、もっとずっと少ない。非常に小規模な軍勢なのです、将軍」