「よし、馬で行けるのはここまでだ。後は歩いていくぞ」
と先頭を進んでいたゼンが馬を停めて振り返りました。仲間たちもそれぞれ自分の馬を停めます。
彼らはジタン山脈の一番手前の山まで来ていました。メイ軍が潜んでいる場所です。兵士たちが近くにいないか気配を確かめながら馬を下ります。
「ポチ、馬たちに元の森に戻っているように伝えてくれ」
とフルートが言ったので、ラトムが心配そうな顔をしました。
「馬を帰してしまうのかね? メイの軍勢に見つかった時に逃げ切れなくなるぞ」
「彼らに馬を見つけられてしまう方が危険です。大丈夫。万が一、逃げるような羽目になっても、ポチたちがいますから」
「そうそう、私たちが風の犬になるわ」
「ワン、すぐにみんなを連れて逃げますよ」
とルルとポチが尻尾を振ります。
そこで、一行は歩いて山の森に入っていきました。落ち葉の積もった斜面を上っていきます。
歩きながら、メールがまたぐずぐず言い出していました。
「ああ、ホントにもう、やだなぁ。また地面の下に行かなくちゃいけないなんてさぁ」
よくよく地下嫌いの海の姫です。ラトムが聞き返しました。
「なんでそんなに地下が怖いんだ? 大地は俺たちの母親みたいなものなんだぞ。俺たちはみんな大地から生まれてきたんだからな」
それに、へえ、と言ったのはゼンでした。
「ノームもやっぱりドワーフと同じようなことを言うんだな。俺たちも大地から生まれてきたんだ、って教えられるぜ。大地には草や木が生えてきて、大地の中のものを食って育つ。その植物を虫や動物が食う。俺たちはそんな植物や動物を食う。だから、俺たちの体は元をたたせば大地の中のものからできているんだ、ってな。で、俺たちが死ぬと、体はまた大地に還っていくんだ」
「そ、その考え方はわかんないわけじゃないよ――」
とメールは言い返しました。
「あたいたち海の民だって、海から生まれて海に還るんだ、って教えられるからね。だけどさぁ、地面の中は暗くて狭いじゃないか! 海底の黒い岩屋を思い出しちゃうんだもん」
「そういや、おまえ、よく渦王に叱られて海底の岩屋に閉じこめられてたよな。それで狭いのが苦手なのか」
とゼンが目を丸くすると、メールは口を尖らせました。
「そりゃ、父上の言うことをきかないあたいも悪いんだろうけどさ。父上ったら、しょっちゅうあたいのこと怒って、すぐに岩屋に閉じこめるんだもん。岩屋は父上の魔法で閉じられてるから、父上にしか開けられないしさ。一度なんて、海で急に騒動が起きて父上がそのまま出かけちゃったこともあるんだよ! 父上が島に戻ってくるまで、半月も真っ暗な岩屋に閉じこめられててごらんよ。暗闇も狭いのも、死ぬほど嫌いになるからさ!」
「そりゃまた、すさまじい話だな」
と驚くラトムの隣で、ゼンは首を振りました。
「ほんとに、おまえら父子はどうしようもねえよなぁ。そら――」
そう言っていきなりメールを抱き上げて自分の肩に座らせてしまったので、メールは仰天しました。
「な、なにすんのさ、ゼン!? あたいまだ自分で歩けるよ!」
「ばぁか。さっきからずいぶん歩き方が遅くなってるじゃねえか。地下に行くのが怖くて足が動かなくなってきてんだろ。無理しねえで乗ってろ」
乱暴にそう言って、メールを担いだままさっさと歩き出してしまいます。ゼンったら、下ろしなよ! とメールが騒ぐと、メイ軍に聞きつけられるから静かにしてろ! とまたどなられます。
「もう。あの二人ったら相変わらずよねぇ」
とルルがあきれていると、ポチが笑いながら振り向いてみせました。
「ワン、相変わらずじゃない二人もいますよ」
急な斜面にフルートとポポロがいました。先に斜面を上がったフルートがポポロの手をつかんで引っ張っています。すると、ポポロの靴が湿った落ち葉で滑りました。きゃっと仰向けに倒れそうになったポポロを、とっさにフルートが抱きとめます。抱き合う格好になった二人は、赤くなって顔を見合わせ、やがて、どちらからともなく笑い出しました――。
「あら、ホント」
「ワン、ようやくですよね」
小声で話し合って二匹の犬が笑います。
「やれやれ。みんな、仲が良くていいこった。俺も村に残してきたかみさんに会いたくなってきたぞ」
一人きりのラトムがぶつぶつ言っていました。
やがて、一同は森の奥の斜面で立ち止まりました。
「ここよ」
「ここだな」
とポポロとゼンが同時に言います。一年半前の願い石の戦いの時に、地下への通路を開いた場所だったのです。
フルートが周囲を見回しました。
「痕が全然残ってないね。あの時、ポポロは森の中の木をなぎ倒して地下まで通路を開いたのに」
「次の朝が来ると、あたしの魔法は消えちゃうから……」
とポポロは答えました。ポポロの魔法は強力ですが、せいぜい二、三分しか続きません。それを継続の魔法と組み合わせることで、長時間維持させるのですが、それも翌日の朝の光と共に消えていってしまうのでした。
「今、何時頃さ? 時の岩屋まで行って時の翁に会って、また戻ってこられるくらいの時間ってある――?」
とメールがゼンの肩の上からおびえた声を出しました。ゼンが笑います。
「まだ昼を過ぎたばかりだぜ。時間は充分だ。そら、ポポロ。思いっきりやれ」
促されて、ポポロは、うん、とうなずきました。仲間たちがその場から大きく下がります。魔法に巻き込まれない用心をしたのです。お下げ髪の少女が片手を斜面に向け、細い声で呪文を唱えます。
「ケラーヒヨロウツデマーヤワイノキト」
とたんに、指先から緑の光がほとばしりました。いつもの星のきらめきではありません。目もくらむような強い光が斜面に激突し、そのまま土と岩を跳ね飛ばしながら地中に突き刺さっていきます。ドンドンドン、と激しい音が響き渡ります。
そのすさまじさにラトムは仰天しました。光の奔流はあっという間に地中へ穴をうがっていきます。けれども、その魔法を繰り出しているのは、かわいらしい顔と姿の少女なのです。あんぐりと開いた口から、言わないと決めたことばが、つい飛び出しました。
「驚き桃の木――こりゃすごい!」
ゼンが心配そうにフルートを振り向きました。
「意外に音がするな。メイ軍は大丈夫か?」
「うん……」
フルートも心配そうにあたりを見回していました。地中に通路を開いていく音と震動は、森に響き山の斜面全体を揺るがしています。ここからメイ軍の野営地まではかなりの距離がありましたが、それでも聞こえているのではないかと心配になります。
やがて、彼らの目の前にトンネルが姿を現しました。山の斜面から山の内部に向かって、ずっと続いています。下りの坂道になった内部は真っ暗で、全然見通しがききません。ゼンの肩の上からこわごわそれをのぞいたメールが、ものも言わずにゼンの頭にしがみつきました。
フルートが松明の準備をしながら言いました。
「行きは下りていくだけだからね。時の岩屋には三十分くらいで着けるよ。途中で魔金の大鉱脈も見られるはずさ」
「よぉし。それじゃまた楽しい地下探検の旅に出発するか!」
とゼンがわざと陽気な声を上げ、たちまち泣きべそ顔のメールからたたかれました。
ポポロがトンネルの入り口に立って言いました。
「待っててね。今、継続の魔法をかけて安定させるから」
とまた華奢な手を伸ばします。
ところが、その時、背後の森から犬のほえる声が聞こえてきました。ウォンオンオン……! と何頭もの声が響いてきます。彼らは、はっと振り向きました。
「やべぇ! やっぱり聞きつけられたぞ!」
「角犬だ!」
とゼンとフルートが同時に声を上げます。
一行は真っ青になりました。犬の声はたちまち迫ってきます。
「ワン、ポポロ、早く! 継続の魔法をかけて!」
とポチが言いましたが、とたんにフルートが言いました。
「だめだ! 通路をこのままにしておいたら、すぐに角犬が入ってくる! メイ兵も来るかもしれない!」
えっ、と彼らは驚きました。
「通路を消しちゃうの、フルート!?」
とルルが言うと、フルートは強く言い続けました。
「このまま通路を行く! ポチ、ルル、風の犬だ! みんな、上に乗れ!」
えええっ、と悲鳴のように叫んだのはメールでした。
「フルート、まさか――この通路を行くの!? 継続の魔法なしで!?」
「そうだ、魔法が消える前に岩屋まで飛ぶ! 急げ!」
メールはまた悲鳴を上げました
「そんな! 途中で通路が消えちゃうよ! そしたら、あたいたち地面の中で――!」
けれども、ゼンはメールを担いだまま、風の犬のポチに飛び乗りました。メールがどれほどわめいても暴れてもおかまいなしです。フルートもポポロとラトムを抱えて、風の犬のルルに飛び上がりました。角犬の声はもう、すぐ後ろに迫ってきています。斜面に広がる森の向こうに、その姿がちらちらと見え始めています。
「行け、ルル、ポチ!!」
とフルートが叫び、二匹の風の犬たちは斜面のトンネルに飛び込んでいきました――。