ロムド城に到着した老将軍は、馬を飛び下りるなり、取り次ぎの者も待たずに城に入っていきました。通路に鎧兜の音を響かせながら、大股でずんずん進んでいきます。その防具の色は濃紺です。ロムド軍総司令官のワルラ将軍でした。
通路にいた家臣や貴族たちが振り向き、飛びのくように進路を開けました。雪の色の髪とひげの老将軍は、誰もがぎょっとするほど険しい表情をしていたのです。執務室まで来ると、入り口を守る兵士を押しのけて部屋の中に入り込みます。
執務室では銀の髪とひげのロムド王が机に向かって座り、かたわらに立つリーンズ宰相と何かを話している最中でした。そんな様子も無視して、ワルラ将軍は王をいきなりどなりつけました。
「陛下!! 陛下は何をお考えだ――!?」
ワルラはロムド王より三つ年上で、リーンズ宰相の次に古くから王に仕えてきた家臣です。普段は王に敬意を払うことが忘れない老将軍が、この時には怒りの表情で王をにらみつけていました。
「我々は西の街道をマミルの先まで進んでいた! 皇太子殿下たちをお救いするには、一分一秒も無駄にはできないというのに――! 我々は断腸の想いで引き返してきたのだぞ! 何故、我々を呼び戻されたのだ、陛下!?」
「将軍、気をお鎮めください」
とリーンズ宰相がおろおろしながら言いました。将軍がこんなふうに怒り出せば、誰にもなだめられなくなることを、つきあいの長い宰相はよく知っていたのです。
ロムド王は机に肘をつき、両手の指を組んで将軍を見上げていました。落ち着いた声でこう言います。
「ご苦労であった、ワルラ将軍。兵士たちにも無駄な行軍をさせてしまって、すまなかったな」
「陛下!!!」
将軍の声が雷のように執務室に響き渡りました。机を激しくたたき、王の襟首をひっつかみそうな勢いで身を乗り出します。
「我々が駆けつけなければ、皇太子殿下やドワーフたちは敵軍に勝てぬ! いかに彼らが勇敢で、金の石の勇者たちが共にいると言っても、敵は二千を超す大軍だ! 陛下は殿下や勇者殿たちを見殺しにされる気か――!?」
「口をお慎み下さい、将軍!」
リーンズ宰相が鋭く叫びました。この人物が声を高くするのも、非常に珍しいことです。
けれども、ロムド王だけは冷静な表情を変えませんでした。
「むろん、そのようなつもりはない。だが、予言があった。将軍たちをオリバンたちの元へやるわけにはいかない」
ワルラ将軍は日に焼けた顔を真っ赤にして部屋を見回しました。撤退命令の原因はユギルの占いだと悟ったのです。けれども、銀髪の占者の姿は執務室にはありませんでした。将軍はわなわなと全身を震わせました。その場にユギルがいたら、飛びかかって本当に首を絞めたかもしれません。
ロムド王が言いました。
「落ち着け、ワルラ。ユギルは今朝からまた占い続けているのだ。オリバンたちを救出する方法を見つけるためだ」
「それが間に合わなかったらどうされる!?」
と将軍はまた激しく詰め寄りました。
「今からでも遅くはない! 我々に再度出撃命令を出されよ、陛下! 我らはジタンへ向かう!」
「ならん」
と王はきっぱり答えました。
「部隊を解散させて、城や王都を守る通常の任務に戻らせよ。これは王の命令だ」
老将軍はまた激しく体を震わせました。憤怒の形相で王をにらみつけ、やっとのことで、こう答えます。
「御意――」
そのまま、くるりときびすを返して執務室を後にします。ばたーん、とものすごい音を立てて扉が閉まりました。
執務室の外の通路で待っていた副官のガストと従者のジャックが、あわててワルラ将軍の後を追いかけました。将軍は振り向くこともなく通路を歩いていきます。その後ろ姿は今にも爆発しそうです。ガスト副官が追いつき、なだめるように話しかけます――。
ジャックは通路の途中で立ち止まって執務室を振り返りました。大柄な青年はフルートの幼なじみでした。皇太子や金の石の勇者を見殺しにする気か、と将軍がどなった声を、外の通路で聞いていました。
執務室からは誰も出てきません。王が新たな命令を下す様子も見られません。王には王のお考えがあるのだろう、と考えながらも、まさか、という不吉な想いが胸の中をよぎっていきます。
「フルート……くたばったりするんじゃねえぞ」
とジャックは小さく言いました。
ロムド城の守りの塔の最上階には、三人の魔法使いが集まっていました。ほっそりした体つきの女性と、見上げるような大男、それに驚くほど小柄な黒い肌の男です。それぞれに白、青、赤の長衣を着て、手に杖を握っています。城を守る四大魔法使いたちでした。
ここでも、青の魔法使いが白の魔法使いに食ってかかっていました。
「どういうことです、白!? 深緑の元から援軍を引き上げてしまうとは! いくら深緑でも、一人で千を越す大軍には対抗できませんぞ!」
「キワ、ジタン、ル! グニ、ク!」
と赤の魔法使いもどなります。黒い肌に縮れた短い黒髪の小男は、猫そっくりな金の瞳を光らせていました。異国のことばしか話せませんが、その内容は仲間の魔法使いたちには通じます。
白の魔法使いが落ち着かせるように手を振りました。
「わかっている……。赤の言うとおりだ。敵はジタン山脈に潜んでいる。間もなく殿下や移住団に攻撃をかけてくるだろう。そうなれば、深緑一人では防ぎきれない」
「それを知りながら、何故援軍を呼び戻したのだと尋ねているのですぞ! 陛下は我々に別空間の道でジタンへ向かえと言われているのですか!?」
「いいや。通常通り、城を守り続けろ、と――」
白の魔法使いの声がとぎれました。思わずうつむいてしまいます。彼女自身の本心も、他の仲間たちと同じだったのです。
「オ、ジョウニ、ル、キワ、ナイ!」
と赤の魔法使いにまた言われて、女神官はうなずきました。
「ユギル殿もこのディーラに敵が迫っているわけではないと言われている。だが、占者殿の占盤に、援軍を呼び戻すようにという予言が現れたのだ。ユギル殿の占いは、これまでずっと必ず当たってきた。陛下はそれをお信じになったのだ」
「だが、それで本当に大丈夫なのですか? 私は予知能力は持ちませんが、この状況にはどうも胸騒ぎがしてなりませんぞ! ユギル殿の占いは、敵に打ち勝つための手段ではない気がする」
と青の魔法使いが言います。白の魔法使いは溜息をつきました。
「とにかく、向こうがどんな状況になってもすぐ対応できるように、当直の者は常にあちらへ心を向けるんだ。何か事があれば、深緑は必ず我々を呼ぶ。その時を絶対に見逃すな」
三人の魔法使いたちは、遠いジタン山脈にいる仲間を想いました。それぞれに心の中で呼びますが、深緑の魔法使いは敵の攻撃に備えるのに忙しいのか、呼びかけに応える声は戻ってきませんでした――。
トウガリは一人きりで城のベランダから守りの塔を見上げていました。最上階の窓に三つの人影が見えています。それが四大魔法使いたちであることは、トウガリには一目でわかりました。そこでどんな会話が交わされているのかも予想がつきます。
「城中大騒ぎだな」
と道化の間者は腕組みしました。派手な化粧と衣装のままで、じっと考え込みます。彼にはユギルがこの状況で援軍引き上げを言ってきたことが気になっていました。誰もがこの命令に激怒しながら、それでも不承ぶしょう従うのは、ユギルの予言の正確さを思い知っているからです。あの占者のことばは、どれほど突飛に聞こえても、必ず当たっていくのです。
トウガリは自分自身に言い続けました。
「何故そんな占いが出てきたか、だな……。久しぶりに俺も本格的に動くか。メノア王妃様に、少しの間お暇をいただくとしよう」
そして、道化は城壁の外へと目を移しました。広がるディーラの町並みの、さらに彼方へと想いをはせ、金の鎧兜の少年とその仲間たちを思い浮かべます。
「殿下たちや移住団を守れよ、フルート」
とトウガリはまたつぶやきました――。