「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第11巻「赤いドワーフの戦い」

前のページ

35.忍び

 その夜、メイ軍の間者はまた麓の森に潜入していました。前回は一人が森に入り、もう一人は荒れ地で待機していたのですが、今回は二人がかりで森を進んでいきます。ジタン山脈に面した森の外れには、たき火の光が見えていましたが、そんなあからさまな誘いは最初から無視しました。

 森の奥にざわめく気配がありました。重なり合った木々の枝に葉はまだ少なく、梢越しに月の光が差し込んできます。ほの暗い光の中に、たくさんの人影が見えていました。銀の鎧兜を身につけた兵士たちが、てんでに座ったり立ったりしながら夜を過ごしています。

「ロムド兵だ」

 と間者の一人がささやくように言って、鋭い視線を木立の間へ動かしていきました。

「やはり相当の規模だな。我が軍とほぼ同数だろう」

「だが、日中、こいつらはどうして何もせずにジタンから引き上げたのだろうな? 一度は我々を山の中で包囲したというのに」

 ともう一人の間者が言いました。それがゼンやポチたちの陽動だったとは気がついていません。理解不能な敵の行動に首をひねっています。

 すると、先の間者が言いました。

「深入りは禁物だ。引き上げるぞ」

 今回の彼らの任務は、ロムド軍の勢力を確認することでした。ぐずぐずして前回の間者のように途中で殺されてしまっては、任務を果たすことができないのです。

 

 ところが、間者たちが引き返そうとすると、兵士たちの野営地から声が上がりました。

「敵だ!」

「メイ軍の手の者だぞ、捕まえろ!」

 彼らの後を追って駆け出してくる足音が聞こえます。発見されたのです。

 間者たちはいっせいに駆け出しました。黒ずくめの服を着た姿が、影のように森の中を走ります。数人の兵士たちが追いかけてきます。

 間者は二手に分かれました。それぞれに森の外を目ざします。すると、一人の前に大きな男が現れました。馬にまたがり、大剣を手に構えています。鎧兜が月光に鈍い銀に光ります。

「どけ!」

 間者は男の馬を狙って短剣を投げました。狙いの正確さには自信があったのですが、短剣は馬に届く前に男の剣で払いのけられてしまいました。

「逃がさん!」

 と男は迫力のある声で言いました。馬を走らせて間者に切りかかってきます。間者は飛びのき、男が剣を振り下ろした隙を突いてまた飛び出しました。新しく取り出した短剣で、男の馬の首をかき切ろうとします。

 すると、ひゅっと空を切る音がして、間者の肩に矢が突き刺さりました。間者が悲鳴を上げて倒れます。男の背後の木立から、鳥に馬のようにまたがり、弓を構えたドワーフが姿を現しました。次の矢がもう間者を狙っています。

 間者は痛みと悔しさに歯ぎしりをすると、隠しから何かを地面に投げつけました。とたんに猛烈な光が炸裂します。光玉を投げたのです。

 まぶしすぎる光が消えて森に夜が戻り、男とドワーフが目を開けると、負傷した間者は姿を消していました――。

 

 もう一人の間者は数人の兵士に追われ続けていました。後から馬で駆け出した兵士が、ぐんぐんと追いついてきます。ロムド兵なのに何故か黒い鎧兜を身につけた男です。間者に追いつき、大剣を振り上げます。

 間者は身をかわすと、夜の森の中へ、ピイ、と口笛を鳴らしました。すると、暗闇の中から何かが飛んできて、黒い兵士に襲いかかっていきました。カラスです。間者の飼い鳥でした。

 思いがけない襲撃に黒い兵士がたじろいだ隙に、間者はショートソードを抜きました。兵士の馬へ切りつけようとします。

 ところが、その背後で何か大きなものが動きました。夜の森の中から巨大な生き物が姿を現します。それは見上げるようなライオンでした。彼らメイ軍が連れている象より大きな体をしています。その背中には、角を生やしたヤギの上半身がありました。森にまだ隠れている体の後ろの方で、尾がくねくねと動いているような気がします。

「キマイラ!」

 と間者は思わず声を上げました。日中メイ軍の騎馬隊を襲ったという怪物の話は、間者も聞いていました。カラスがおびえた鳴き声を上げて逃げ去ります。間者も恐怖にかられて飛びのくと、そのまま一目散に逃げ出しました。ガァァァァッ、と怪物の咆吼が追いかけてきます。

 間者はパニックに陥ると、持っているだけの光玉を次々後ろへ投げました。砕ける音が響いて、あたりがすさまじい光に包まれます。怪物がたじろいだ隙に、間者は森の外へと脱出していきました――。

 

 光が消えると、後には黒いロムド兵だけが残されていました。いつの間にかキマイラも姿を消しています。

「やれやれ」

 と兵士はつぶやくと、大剣を腰の鞘に戻しました。彼も馬も、光玉の光は見ていません。落ち着いて立っている馬の首を、誉めるようになでてやります。

 すると、そこへ鈍い銀の鎧兜の男と、弓を持ったドワーフが駆けつけてきました。

「大丈夫だったか、ゴーラントス卿?」

 といぶし銀の男が尋ねます。黒い兵士は兜の面おおいを上げて笑って見せました。

「無論です、殿下。深緑の魔法使いもついていますから」

 森の木立の中から、深緑色の長衣の老人が出てくるところでした。笑いながら男たちに話しかけます。

「敵はこちらを大軍と完全に信じ込みましたぞ。我々がキマイラも連れていると思ったことでしょう」

 オリバンはうなずきました。

「フルートたちが日中キマイラを呼び出していたからな。それを利用しない手はない」

 彼らは深緑の魔法使いの魔法で、大勢のロムド兵と怪物の幻をメイの間者に見せたのでした。

 走り鳥に乗ったビョールが言いました。

「忍び込んできた敵を殺さずに、だまして偽の情報を持ち帰らせる。人間というのはまったくおかしなことをするものだな」

 理解できない、という声です。ゴーリスが苦笑しました。

「人間の戦いは、だまし合いと出し抜き合いだ。人間の敵には人間流で行くしかない」

 それを聞いたビョールは、黙って肩をすくめました。

 

「これでメイ軍はどう出るだろうな?」

 とオリバンが言いました。ここはまだ森の奥なので、そこからジタン山脈を見ることはできません。

 ゴーリスがまた答えました。

「向こうはこちらをほぼ同じ規模と考えたはずですから、簡単には攻め込んでこないでしょう。向こうには象戦車があるが、こちらにもキマイラがいることになっている。この状況なら、積極的に攻めて出ずに、サータマンからの援軍が到着するのを待つのが筋というものです」

「サータマン軍か」

 と皇太子は溜息をつくように言って、腕組みをしました。

「それが到着すれば、向こうは今の戦力の二倍だ。どんな奇跡が起きても、こちらに勝ち目はない。ワルラ将軍たちの部隊が到着するまで、なんとかこの状態を引き延ばさなくてはならないな」

「ワルラ将軍たちはこちらに向かって西の街道を急行中ですじゃ。あと一週間ほどで到着するだろう、と城から連絡がありましたぞ」

 と深緑の魔法使いが言います。

 一週間――と彼らは改めて心の中で繰り返しました。それだけの間ここで持ちこたえれば、こちらにも二千の軍勢が揃うのです。

「まあ、それまでにメイ軍がちょっかいを出してきたら、もう一度キマイラの幻でも見せて、脅かしておきましょうかの」

 と深緑の魔法使いがまた笑いました。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク