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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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32.撃退

 頭に角を生やした怪物がメールを追ってきました。メイ軍が抱える角犬です。たちまち追いついてきて飛びかかり、メールの細い体を押し倒してしまいます。見上げるような高さにある頭が、鋭い牙で少女を引き裂こうとします。

 すると、その口の中に白い矢が飛び込みました。咽を貫かれて、ギャン、と角犬が転がります。

「メール!」

 行く手の森からゼンが駆けつけてきました。メールは跳ね起き、そちらへ走りました。後ろで犬が立ち上がります。ゼンが矢を放つと、今度は眉間に矢を食らって倒れます。

「来い、こっちだ!」

 とゼンはメールと麓に向かって森を駆け下りました。その後ろをまた角犬が追ってきます。角犬は闇の怪物なので、矢では死なないのです。ほえる声が二頭、三頭と増えてきます。

 走りながらゼンは舌打ちしました。

「ちっくしょう。やっぱりまだ犬がいやがったな。また魔法攻撃も来るかもしれねえ――」

 

 その時、メールがいきなり立ち止まりました。目の前を見て息を呑みます。彼らの行く手が崖になっていたのです。切り立った岩壁のはるか下に谷川が細く見えています。目もくらむような高さで、とても飛び下りることはできません。

「い、行き止まりだよ! どうすんのさ!?」

 とメールはここまで道案内してきたゼンに叫びました。犬たちはもうすぐ後ろまで迫っています。かわして逃げることはできません。

 すると、ゼンがにやりとしました。弓を背中に戻し、いきなりメールを抱き上げます。

「決まってる――飛び下りるんだよ!」

 言うなりメールを抱いたまま崖から身を躍らせます。

 メールは悲鳴を上げました。二人の体が吸い込まれるように谷底へ落ちていきます。ほえたてる犬の声が頭上に急速に遠ざかっていきます。

 すると、彼らは空中で何かにふわりと受け止められました。犬の声の代わりに、ごうごうと鳴る風の音が聞こえてきます。

 メールはつぶっていた目を開けて、風の犬のポチが自分たちを乗せて飛んでいるのを見ました。

「よし、打ち合わせ通りだったな」

 とゼンが笑ってポチに言いました。

 メールは自分でも気がつかないうちにゼンの首に堅くしがみついていました。そのままの格好で盛大に文句を言い始めます。

「ちょっと、ゼン! 脅かすんじゃないよ! ポチが受け止めることになってたなら、最初にそう言いなよ! 心臓が停まるかと思ったじゃないのさ!」

「馬鹿野郎、そんな余裕があったかよ。ちゃんとこうして無事だったんだから、いいだろうが」

 まったくもう! とメールはゼンの頭をたたきましたが、ゼンは悔しいくらい平気な顔です。メールはぷりぷりしながらポチの背中へ下りようとしました。

 すると、それを引き止めて、ゼンがさらに強くメールを抱きしめました。

「いいからこのままでいろって。おまえに抱きつかれてるのって、最高に気持ちいいもんな」

 メールは真っ赤になると、思いきりゼンの背中をひっぱたきました。

「もうっ――馬鹿なこと言ってんじゃないよ!」

 

 じゃれるように喧嘩をする二人に、ポチはあきれながら飛び続けていました。彼らを追ってくるメイの兵士はありません。彼らは自分たちを取り囲んでいたロムド兵を捜して、まだ森の中を右往左往しているのです。メールが山奥に逃がした軍馬の行方も捜しているでしょう。

 ところが、これで当分大丈夫、とポチが考えた瞬間、下の森の中を走り抜けていく赤いものが目に入りました。馬に乗った赤い鎧の一団です。斜面に蹄の音を響かせて、まっしぐらに駆けています。

 ゼンとメールもすぐ、それに気がつきました。

「やべぇ!」

「あれ、メイ軍だよ! 出撃してたヤツらがいたんだ――!」

 木立の間を見え隠れして駆ける兵士たちは、ざっと見ただけでも百騎近くいるようでした。雪崩のような勢いで駆け下って行きます。彼らが向かっているのは、移住団が隠れる麓の森です。

 ポチは、ぐんと速度を上げました。兵士たちを追い越して麓へ急降下すると、そこで待っていたフルートたちに言います。

「ワン、大変です! 移住団の方へメイの騎馬隊が来ます!」

「数は百人ぐらいだ! みんな武装してやがる。移住団には太刀打ちできねえぞ!」

 フルートはポポロ、ルル、ラトムと霧雨の降る高原に立っていましたが、それを聞いて即座に言いました。

「追い返す。彼らが恐れて戦意をなくすようなものを見せよう」

 とポポロを振り返ります。小柄な少女はちょっととまどい、すぐにうなずきました。

「そうね……ここはジタンだもの。見せるのにいいものがあるわ……」

 なんだ? と仲間たちが言っているところへ、ラトムが行く手を指さしました。

「来たぞ! メイの騎馬隊だ!」

 馬に乗った兵士の一団がジタン山脈の森から高原へ駆け出してくるところでした。灰色にけむる霧雨の中、赤い鎧兜を光らせながら、移住団がいる森へ突進します。

「ポポロ!」

 というフルートの声に、魔法使いの少女は腕を伸ばしました。

「ヨセミーオクオキノフウヨキーヨチイダ」

 華奢な指先から緑の星が散っていきます。

 

 駆けるメイの騎馬隊の前に、ふくれあがるように、巨大なものが姿を現しました。全長十メートルあまりもある怪物です。頭と体はライオン、背中にヤギの頭と前半分の体、尾が蛇という姿をしています。

 騎馬隊は急停止しました。怪物はそこで別の兵士たちと戦っていました。黒い鎧兜の集団を相手に、ライオンの口から火を吐き、蛇の尾から黄色い毒の霧をまき散らしています。黒い兵士たちが火に包まれ、毒に倒れていきます。

「な、なんだ――!?」

 メイ兵たちは仰天してその光景を眺めました。姿を見ただけで、暴れ回る怪物の正体はわかります。キマイラです。謎の黒い兵士たちを次々と血祭りにあげています。

 離れた場所でフルートたちもそれを眺めていました。ゼンが苦笑します。

「よりにもよって、キマイラの幻を出したのかよ。確かに、願い石の戦いの時にここで大暴れしやがったよなぁ」

「なんだ、あれは。本物じゃないのか」

 とラトムが目を丸くしていましたが、驚き桃の木、という口癖はなんとかこらえたようでした。

「一年半前の願い石の戦いの時に、ランジュールっていう魔獣使いが繰り出した怪物なんです。キマイラは強力な怪物だけど、あれは特に強かったんだ」

 とフルートが言って、怪物のまわりで兵士たちが死んでいく様子に、ぎゅっと唇をかみしめました。メェェェ……と背中のヤギが鳴き声をあげたとたん、黒い兵士の体がばらばらになって吹き飛びます。飛び散る血しぶきは、幻とは思えないリアルさです。メイの騎馬隊がいっそう仰天して退いていきます。

「あの黒い兵隊たちは?」

 とラトムがまた尋ねました。

「ザカラスの軍隊だよ。願い石の戦いの時にあたいたちを殺そうとして、キマイラと戦う羽目になったのさ。ランジュールがあたいたちの味方だったってわけでもないんだけどね」

 とメールが答えます。

 その魔獣使いの幻も、キマイラのライオンの頭の上に見えていました。白い服を着た痩せた青年です。楽しそうに笑いながら怪物に命令をしています。またライオンの頭が火を吹き、ヤギが鳴き、蛇の尾が毒を吐き出します。周囲で黒い兵士たちが燃え上がり、吹き飛び、もがきながら倒れていきます――。

 

 メイ兵は、キマイラが自分たちには攻撃をしかけてこないことに気がついていました。黒い鎧兜の集団がどこの兵士かはわかりませんが、自分たちとは関係がないことも悟ります。騎馬隊の隊長が命じました。

「怪物は無視しろ! 我々の狙いはドワーフとロムド軍だ! 行くぞ!」

 メイの騎馬隊はまたいっせいに駆け出しました。キマイラが繰り広げる地獄絵を無視して、わきを駆け抜け、行く手の森を目ざそうとします。

「ワン、まずい!」

「あれじゃダメなの!?」

 ポチとルルが思わず声を上げました。ポポロも青ざめます。今日の魔法はもう一つ残っています。どうやってメイ兵を止めよう、と考えます。

 すると、幻のキマイラの頭上から、ふいに魔獣使いの青年がこちらを振り向きました。うふふふ、とまるで女のように笑います。

「困ってるみたいだねぇ、勇者くんたち? お嬢ちゃんの魔法でボクにもう一度メェメェちゃんたちをよこしなよ。そしたら君たちを助けてあげるからさぁ」

 青年からフルートたちまでは、かなりの距離があったのに、その声は、はっきりと聞こえてきました。フルートたちはぎょっとしました。気がつけば、青年はいつの間にか白い服から赤い長い上着姿に変わっています。体全体も半ば透き通っています。まるで幽霊のように――。

「ランジュール! 本物なのか!?」

 とフルートは愕然としました。そのかたわらでポポロが真っ青になって立ちすくみます。ポポロの魔法は強力でコントロールが悪いのが特徴です。昔の場面の幻を呼ぶつもりが、本物の魔獣使いまで呼び出していたのです。魔獣使いの青年は、すでにこの世に生きる者ではありません……。

 

 キマイラのわきをメイの騎馬隊が駆け抜けていました。

「ああ、ダメダメ。まだこっちの話が終わってないんだからさぁ、勝手に行っちゃダメだよぉ」

 ランジュールが、ぽんとライオンの頭をたたくと、とたんにキマイラが火を吹きました。幻のはずの怪物の火がメイ軍を襲います。とたんに馬が悲鳴を上げて後足立ちになり、兵士が鞍から振り落とされました。炎に包まれた馬が、狂ったようにいななきながら燃えていきます。

「本物のキマイラだ――」

 フルートたちは呆然としました。うふふ、と楽しげに笑い続ける幽霊の青年を見上げます。

「そ、本物だよぉ。でも、お嬢ちゃんの魔法はすぐに切れちゃうから、消えないように継続の魔法をかけてほしいんだよねぇ。さあ、早くしなよぉ、勇者くんたち。キミたちの大切な人たちが軍隊に殺されちゃってもいいのぉ?」

 口調だけはのんびりと問いかけてきます。

 メイの騎馬隊がまた突破を試みました。キマイラの炎が届かない距離を駆け抜けようとします。ランジュールがまた歓声のように叫びました。

「あっまぁーい! メェメェちゃんの声はそこまで届くんだよぉ! さあ、メェメェちゃん、鳴いちゃって――!」

 キマイラの背中のヤギが角の生えた頭を振り上げました。何もかも粉砕する鳴き声を、駆け抜けていく騎馬隊へ浴びせかけようとします。

「やめろ!!」

 とフルートは叫びました。止めようと駆け出しますが、とても間に合いません。

 すると、その後ろからまた少女の声が響きました。

「レーチヨエコー!」

 メェェェ……とヤギの鳴き声がそれに重なります。

 とたんに激しい衝撃波が周囲一帯に広がりました。ポポロは魔法でヤギの声を散らしたのです。人の体を吹き飛ばすほどの威力はなくなりますが、それでも、猛烈な振動が地面を揺すぶり、馬と人を引き倒していきます。フルートも猛烈な衝撃をくらって地面にたたきつけられました。ゼンたちも立っていられなくなって倒れます。

 

「ああもう! キミたちってどうしていつもそうなのさ!? 敵に情けばかりかけちゃって、もう一つの魔法まで使っちゃってぇ!」

 ランジュールがキマイラの上で怒っていました。地面から馬を起こして逃げ出そうとするメイ兵をにらみつけて言います。

「逃がさないよぉ。ボクがキマイラを使いながら獲物を逃しただなんて、そんな不名誉な真似は絶対にできないからね。――もう一度鳴いちゃって、メェメェちゃん!」

 ヤギがまた角を振りたてました。メイ兵が悲鳴を上げ、馬を駆って死にものぐるいで逃げていきます。その後ろへヤギが口を開けます。

「やめろ!」

 とまたフルートは叫び、炎の剣を思いきり振りました。巨大な炎の弾がキマイラのヤギめがけて飛んでいきます。

 けれども、それが激突するより早く、キマイラの体が急に透きとおり始めました。ヤギの上半身も、ライオンの頭と体も蛇の尾も、たちまち輪郭を失って消えていきます。怪物がいなくなった空間を、炎が通りすぎていきます。

 空中に残ったランジュールが、あーあ、と声を上げました。

「ほらぁ、時間切れ。せっかく勇者くんと皇太子くんをキマイラでまとめて殺せると思ったのにさぁ」

「この野郎! やっぱり狙いはそれか!」

 とゼンが拳を振り回してどなると、その目の前でランジュールまでが透きとおり始めました。

「あれれ……ボクも時間切れなのかぁ。この場所から追い出されちゃうんだねぇ。しょうがない、出直してくるよ。キマイラみたいに強力な魔獣をまた捕まえて、ねぇ」

 うふふ、とおなじみの笑い声を残して、魔獣使いの幽霊は消えていきました。後にはもう何も残っていません。

 

 フルートたちは夢から覚めたようにあたりを見回しました。

 相変わらず霧雨が降り続く中、ジタン山脈へ逃げ帰っていくメイ軍の後ろ姿が遠くに見えていました。

 ゼンが頭をかきながら言いました。

「どうやら連中を追い返すのには成功したみたいだな――全然呼んでもいねえ奴のおかげでよ」

 それを聞いて、思わず肩をすくめてしまった勇者の一行でした。

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