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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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31.大混乱

 山の中にも霧雨は降っていました。まだ春浅い時期です。木々はやっと芽吹いたばかりで葉が茂っていません。枝の隙間から降りそそぐ雨が山の斜面をしっとりと濡らして、森の中は湿った落ち葉の匂いでいっぱいでした。

 ゼンとメールとポチの、二人と一匹が、木陰に隠れながら軍勢の様子を眺めていました。

「いやがるなぁ……えらい数だぜ、やっぱり」

 とゼンが低い声で言いました。木立の間には鎧兜を身につけた兵士たちが何百と見えていたのです。深い森の中には、その数倍の人数が隠れているはずでした。

「雨で鎧から落ち葉が取れてきてるんじゃないのさ。鎧の色が見えてるよ。赤いね」

 とメールが言うと、ポチがうなずきました。

「ワン、サータマン軍の鎧は緑色でしたよ。赤い鎧といったら、それはメイです。あれはやっぱりメイ軍なんだ」

 彼らは山の斜面の上の方から軍勢を見下ろしていました。まだ結構な距離があるので、詳しく調べるにはもっと近づかなければならないのですが、そうすると気がつかれそうで、そこから動けません。ゼンが目を凝らします。

「馬もかなりいるな。騎馬隊だ。あいつが山をいっせいに駆け下ってきたら、移住団には防ぎようがねえな」

「象ってのもいるね。ホントに大きいんだね」

 とメールが驚いています。さすがに離れていても象は見えたのです。

 

 すると、ポチが急に、しっと言いました。

「ワン、風に乗って声が聞こえてきました。静かにして――」

 耳の良い犬です。ゼンたちにはわからない声を聞きつけたのでした。

 軍勢が命令を受けたようで、今まで三々五々散っていた兵士たちが、小走りで集まって整列していきます。軍勢が緊張を帯びていくのが、はっきりとわかります。

 ポチが言いました。

「待ち伏せの命令です。ロムド軍が攻め込んできたら迎え討てって。別の部隊には、隙を見て森のドワーフを攻撃しろって命令も出てますよ」

 ゼンとメールは顔を見合わせました。

「もう動き出すのか。今回は偵察だけのつもりだったが、そうも言ってられねえな」

「襲撃を止めなくちゃ。今襲ってこられたら、移住団は全滅だよ」

「ワン、どうやって止めます? ぼくたちはこの人数なのに」

 とポチが困惑します。彼らはゼンが弓矢と剣を身につけているだけで、他に武器らしい武器も持ってはいないのです。懸命に考えを巡らせます。

 やがて、ゼンが指を鳴らしました。

「よし、この手で行くぞ。危険だが、もっと近づかなくちゃならねえ。来い――」

 ゼンは仲間たちの先に立つと、木立や茂みに隠れながら、メイ軍の方へ斜面を下り始めました。

 

 メイの兵士たちは敵の攻撃に備えて待ち伏せの準備をしていました。枯葉をつけた装備を身につけ、武器を手に地面に腹ばい、降り積もった落ち葉の中へ潜り込みます。雨を吸った、重い落ち葉です。そうして、あたりへ神経を尖らせます。

 地面に伏せると、霧雨の音も耳につくようになります。絶え間ない雨音が敵の物音と気配を消しているような気がして、メイ兵たちはいらだちました。

「敵はどこにいるんだ? どのくらいの規模だ?」

 と一人の兵士が隣に伏せる兵士に尋ねました。彼らは敵の詳しい様子を知りません。

「山を下った森の中に潜んでいるらしい。どのぐらいの人数なんだろうな? わからん」

「敵にはドワーフがいるんだ。ドワーフってのはどえらく強い種族なんだぞ。一人に数人でかからないと倒せないだろう」

「それに、あの勇敢なロムド兵だ。油断できないな」

 彼らは、森に隠れているのが、百名のドワーフとわずか三十騎のロムド兵だとは知りません。知っていれば、待ち伏せなどせずに即座に襲撃したはずですが、もっと大軍だと思いこんで慎重な姿勢でいます。把握できない敵を警戒する心が、不安感まであおっていきます。

「今回、象戦車は出番があるのか?」

 と誰かが尋ねました。

「いいや。あれは決め手の切り札だから、今回は後方に下がっている――」

 象も一緒にいればいいのに、という気持ちが兵士の声ににじみます。戦車を引いた巨大な獣は、メイ軍の守護獣でした。

 そこへ小隊長の叱責が飛びました。

「こら! 無駄口をたたかないで静かにしろ!」

 兵士たちがあわてて口をつぐみ、落ち葉の中に潜り直します。

 霧雨の音が彼らの耳をふさぎます。気配のつかめない敵に神経が痛いほどに尖って、いっそ早く襲って来いとさえ考えてしまいます。

 

 すると、突然一本の矢が飛び込んできました。木の幹に音を立てて突き刺さり、ビィン、と白い矢羽根が震えます。

 メイ兵たちは落ち葉を蹴立てて跳ね起きました。

「来たぞ!」

「敵襲だ!」

 行く手にまだ敵兵の姿は見えませんでしたが、緊張しきっていた兵士たちは命令も待たずに駆け出しました。剣を抜き、矢が飛んできた方向へ突進していきます。

 とたんに、彼らは何かに足を取られていっせいに転びました。先に倒れた者に後続がつまずき、折り重なって倒れます。メイ兵たちの足下に、黄色い花をつけた蔓草が絡みついていました。

「なんだこれは!?」

 と驚く声が、たちまち恐怖と驚愕の悲鳴に変わりました。蔓草がまるで生きた蛇のように足を這い上がってきたのです。蔓をつかんで引きちぎろうとしますが、ちぎれてもまたすぐに蔓が伸びてきて、振り払うことができません。

「く――草の怪物だ!」

 と叫ぶ声に、別の声が重なりました。

「ロムド兵の攻撃だ!! 俺たちを取り囲んでいるぞ!!」

 少ししゃがれたその声が、先陣を切って飛び出した自分たちより、さらに先の方から聞こえてきた不自然に、彼らは気がつきませんでした。彼らの同僚にしてはいやに声が若いことにも気づきません。あわてふためいてあたりを見回します。

 すると、周囲の茂みや木々が本当にがさがさと音を立て始めました。確かに何かが彼らを取り囲んでいるのです。枝や葉を揺らしながら迫ってきます。

 メイ兵たちは大混乱に陥りました。

「ロムド兵だ!」

「ロムド兵の襲撃だぞ!」

「包囲された――!!」

 その声に他の兵士たちも、飛び起きて立ちすくみます。驚くほど広い範囲で木々が鳴っていました。待ち伏せをする彼らをすっかり取り囲んでいたのです。敵はどれほどの数なのかと呆然とします。

 

 すると、今度は陣営のさらに奥まった場所で騒ぎが起きました。一カ所に集められていた軍馬たちが、いきなり暴れ出したのです。頭を振り、いななき、泡を吹きながら地面を踏み鳴らします。抑えに入った兵士たちが、蹴飛ばされそうになってあわてて逃げます。馬たちはいっそう興奮して、とうとう柵を蹴り壊して逃げ出しました。山の森の奥へと駆け出していきます。

「こら、待て――!」

 大切な軍馬をメイ兵たちが追いかけようとすると、今度は森の奥でつんざくような獣の声が上がりました。象です。長い鼻を高々と上げ、馬たちと同じように暴れ出していました。太い足が地面を踏むたびに地響きがします。

「何事だ!?」

「早く象を抑えろ!」

 どなりつけられて象使いが必死で鞭を鳴らしますが、象は落ち着きません。大きな耳をばたばた音を立てて動かしています。

 その耳の奥で小さな虫のようなものが動いたことに、象使いは気がつきました。白い羽虫のように見えます。象は耳の穴に羽虫が飛び込んだので、それを追い払おうと暴れ回っていたのでした。

 柵の中で暴れていた馬の一頭が、勢いあまって柵の横木に頭を打ち付け、倒れてそのまま動かなくなりました。その耳の中から、白い羽虫が数匹、ぽろりとこぼれ落ちてきます。駆け寄った兵士は目を丸くしました。それは虫ではありませんでした。森の中で咲く、白い小さな花だったのです。

 すると、また花が空に飛び立ちました。羽根のように花びらを震わせながら、また別の馬へ飛んでいって、その耳の中に飛び込みます。馬が狂ったように暴れ出します――。

 

 馬が柵を壊して次々と逃げ出す様子を、メールは茂みの奥から見送っていました。馬が離れてしまえば、もうメールには花が操れなくなりますが、興奮しきった馬は立ち止まることもなく山奥へと駆け込んでいきます。兵士たちにはとても追いつけません。

「とりあえずは、こんなところでいいかな。馬を探すだけでも大変なはずだもんね」

 とメールはつぶやくと、象の方を眺めました。象も興奮して暴れています。兵士たちが踏みつぶされそうになって逃げ、遠巻きにしています。こちらも、落ち着かせるにはかなり手間取りそうです。メールは一人うなずくと、静かにその場を離れました。森を獣のように歩ける彼女です。兵士たちは誰もそれに気がつきません。

 少し離れた場所にいる本隊のまわりでは、風の犬に変身したポチが、茂みの中をぬうようにして飛び回っていました。ガサガサと音を立てる茂みや木々に、メイ兵は敵が隠れているのだと思って矢を射かけ、剣を振りかざして切り込んでいきます。けれども、そこに敵の姿はなく、また別の場所で茂みが鳴るのです。見えない敵と暴れる動物たちに、メイ軍全体がパニックに陥っています。

 

 すると、メールのすぐ近くで茂みがガサリと鳴りました。

「ポチ?」

 とメールは振り向きました。茂みから白い犬がほえながら現れます。メールは真っ青になると、身をひるがえして駆け出しました。

 茂みから飛び出してきたのは、頭に牛のような角を生やした犬の怪物だったのです――。

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