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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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30.霧雨の中

 高原に霧雨が降っていました。森も荒れ地もその向こうにそびえるジタン山脈も、灰色の雨の中に閉じこめられています。荒れ地の中で鳥が一声高く鳴いた後は、音もとだえます。ただ雨だけが静かに降りしきっています。

 すると、森の中から影のように走り出てきた男がいました。森の様子をうかがうように何度も振り返りながら、荒れ地の中の岩陰に駆け寄ります。そこには馬が隠してありました。飛び乗って走り出そうとします。

 すると、突然森の方から矢が飛んできて馬に命中しました。首筋を射抜かれた馬が、どうと倒れ、影のような男も地面に放り出されます。

 蹄の音と共に二頭の馬が森から駆け出してきました。その上には、いぶし銀の鎧の男と、黒い鎧の男が乗っています。銀の鎧の男が追いついて剣を振り下ろすと、血しぶきと悲鳴が上がって影の男が倒れます――。

 

 黒い鎧の男が駆け寄ってきて馬から飛び下り、倒れた男を引き起こしました。男はすでに絶命していました。革の胸当てを付けただけの身軽な格好をしていて、素性を示すようなものは何も身につけていません。

「メイの間者ですな、殿下。やはりメイ軍はジタン山脈に到達したようです」

 と黒い鎧のゴーリスが言いました。オリバンは大剣を鞘に収めてうなずきました。

「こちらの様子を探りに間者を出したな。きっと、この後もまた偵察を――」

 と言いかけたとき、彼らよりもっと先の木立の陰から、新たな馬が駆け出しました。その上にも影のような男が乗っています。

「他にもまだいたか!」

 馬に乗ったままだったオリバンは、即座に駆け出しました。その背後の森から、逃げていく男を狙って矢が放たれました。茶色の矢羽根が飛んでいきます。

 けれども、今度はその矢も届きませんでした。影の男は馬を全速力で走らせ、オリバンの追跡も振り切って、ジタン山脈へと逃げていきました。

 

 森から走り鳥に乗ったドワーフが姿を現しました。茶色の髪とひげのビョールです。手には弓を持っていました。

「悪いな。もう一人いるとは思わなかったんだ」

「それは我々も同じだ」

 とオリバンは言って、ジタン山脈を振り返りました。

「これでメイ軍に我々がここにいることを知られてしまったな。すぐに我々を討ちに出てくるだろう」

 すると、ゴーリスが首を振りました。

「こちらの人数が非常に少ないことは、ここで死んでいる間者しか見ていないことです。逃げた間者は、我々が森にいることは知っていても、その規模まではつかんでいません。フルートたちの話によれば、メイ軍はジタンで我々を待ち伏せする計画だったようだ。こちらの状況を把握するまで、少しの間、様子を見てくることでしょう」

 ゴーリスはこれまでにもロムドを守る戦闘に何度も加わっています。経験から敵の動きを読みます。

 ふぅむ、とオリバンはうなりました。

「この隙に敵に決定的な一撃を加えられれば良いのだが、手勢がわずか百三十名ではな……。父上が送り出した援軍が到着すれば、こちらも二千名以上になるのだが、敵がそれまで親切に待っていてくれるわけはない」

「向こうにもサータマンの援軍がやってきます。それまでにメイをたたきたいところです」

 とゴーリスは言って、ジタン山脈を見つめました。山は木々におおわれていて、その中のどこにメイの軍勢が隠れているのか、見通すことはできません。

 

 すると、思いついたようにオリバンが言いました。

「敵は山の中にいる。火を放つのはどうだろうな。山の中には昨年の落ち葉がまだ深く積もっているから、かなりの火勢になる。メイに大打撃を与えられるぞ」

 ゴーリスは皇太子を見ました。山に火をかけるというのは非常に大胆な作戦ですが、確かに効果はありそうです。

 ところが、ビョールが低い声で言いました。

「その作戦は賛成できないな、王子。森は何百年という時間をかけて、今の姿になっている。それが燃えてしまえば、再び緑がよみがえるまでに長い長い年月がかかる。敵の軍勢を追い払ってジタンに移住しても、山が焼き払われては、そこから食料を得ることができない。木も草も獣も鳥も、すべて火に追われて死に絶えてしまうから、我々ドワーフも、あの山で生きていくことができなくなるんだ。――目先の利益に囚われすぎるな、人間。山を取り戻しても、そこに住めなくなっていてはどうしようもないんだぞ」

 二人の人間は何も言えなくなりました。自然と共に生きているドワーフの猟師を、思わず見つめてしまいます。

 やがてオリバンがうなずきました。

「貴殿の言うとおりだな。ジタンは今のままの姿で取り戻さなくてはならない。他に手段がないか、深緑の魔法使いと相談してみよう」

 そう言うと、もう馬を走らせて森に戻り始めていました。後にはビョールとゴーリスが残されます。

 「潔い王子だな」

 とビョールが言ったので、ゴーリスは微笑を返しました。

「我々の自慢の王子だ……。将来はきっと良い王になられる」

 そのまま二人の男は黙り込み、またジタン山脈を眺めました。霧雨は降り続き、彼らの服や鎧を濡らします。

 

 やがてまた口を開いたのはゴーリスでした。

「今朝からフルートたちの姿を見ていない。朝食の時にも現れなかった」

 ビョールは腕組みしました。

「俺も今日はまだ見かけていない。あいつらが食事に現れないとしたら、それはよほどのことだ。何かやり始めたんだろう」

「無茶をしていなければいいが」

 ゴーリスが心配そうにジタンを見つめ続けるので、ビョールは言いました。

「あいつらはあいつらの考えで行動していく。俺たちにその邪魔はできん」

「邪魔をするつもりはない。ただ――」

 言いかけてゴーリスはちょっと考え込み、苦笑しました。

「そうだな、いつまでたっても、連中があの頃のような子どもに思えてしまうんだな。あいつらは、我々を助けるために、国境の雪山越えまでしてきたのに」

 ビョールもちょっと笑いました。

「獣の親は子が餌の採り方を覚えると、すぐに巣から追い払う。子は苦労しながら大人になっていくものだ。苦労をしない経験は身につかない」

 一つ一つが重みを持つドワーフの猟師のことばに、そうだな、とゴーリスはうなずきました。

「あいつらは俺たちの手の中から飛び出していった。ただいまと言って戻ってきても、またすぐに出ていく。どれほど危なっかしく見えても、もう一人前なんだな」

「そう。後はあいつら自身が自分でなんとかしていくだろうよ――」

 二人の男たちは馬や鳥を反転させました。仲間たちがいる森へと戻っていきます。

 灰色の霧雨は森や山を濡らしながら、いつまでもやむことなく降り続いていました。

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