国境の山脈を越えたフルートたちは、ジタン山脈目ざして、高原地帯を駆け続けました。低い山や丘をいくつも越え、浅い谷を渡って急ぎます。
日が暮れると野宿をしました。夜にはまだまだ冷え込み、霜や時には雪も降る高原地帯です。洞窟も木の洞（うろ）も見つからなかったので、防水布で簡単なテントを張って寒さをしのぎます。
夕食の後には火を囲んで雑談になりましたが、ノームのラトムはフルートたちの防具を眺めて、騒々しく驚いていました。
「なんと！ これが本物の堅き石なのか！ 噂には聞いていたが、本物を見るのは初めてだぞ！ フルートの鎧にはこんなものまで組み込まれていたのか！」
「で、こっちのゼンの防具は水のサファイヤで強化されているだと？ しかも、魔法を解除する力まで組み込んである？ 驚き桃の木！ 伝説の防具並みの代物じゃないか！」
フルートの鎧兜は着ている者の体に合わせて大きさが伸縮するし、あらゆる衝撃を和らげ、暑さ寒さも防いでくれます。魔金でメッキされているので攻撃に強く、堅き石を星のようにちりばめてあるので、防御力はさらに増しています。そのうえ、フルートは魔法を跳ね返せる聖なるダイヤモンドの盾まで持っています。
ゼンが身につけているのは上半身を守る胸当てですが、水のサファイヤでメッキされているので、水の攻撃を受けることがなく、魔法解除の力も備わっています。腰に下げた小さな青い盾にも同じ力があります。
「まったく、とんでもない防具ばかりだな。しかも、おまえらは炎の剣のような魔法の武器まで持っているんだろう？ 世界中の魔法の武器や防具が全部集まっているようじゃないか。これなら、おまえらが強いのも当然だな」
というラトムの声に揶揄（やゆ）を聞き取って、ゼンがむっとしました。
「別に俺たちがくれって言ったわけじゃねえよ。ひとりでに俺たちのところに集まってきたんだ。特に、この馬鹿はいつだって絶体絶命の戦いになるからな。これでも装備が足りねえくらいだ」
とフルートを指さして見せます。ラトムはあきれた顔をしました。
「やれやれ。いくら金の石の勇者だからって……。誰だね、こんな装備過剰な防具をおまえらに作ったのは」
「ノームのピランさんです。鍛冶屋の長の――」
とフルートが答えたとたん、ラトムは今度は飛び上がりました。仰天したのです。
「ピ――ピラン殿だと！？ ま、まさか――！」
「何そんなに驚くんだよ。ピランじいちゃんを知ってんのか？」
ラトムの反応の方にゼンたちが驚くと、ラトムは言いました。
「あ、あ、当たり前だ！ あの方はノームの中でも一番有名な職人だぞ！ 石や物と話ができて、どんなに気難しい魔石でも、あの方の言うことは聞くと言われている！ その腕前を買われて、エスタ国に招かれていったんだ――！」
「ええ、そのエスタ城で初めてピランさんと会ったんです」
とフルートが答え、ゼンもうなずきました。
「確かに、ピランじいちゃんは石や物と話せるよな。しょっちゅう道具と喧嘩したり、道具に説教したりしてるもんな」
「ワン、ついでにぼくたちにも説教しますよ。ぼくたちはきっと、道具や石と同じ扱いなんだ」
とポチが笑います。
ラトムは目眩がするように額を抑えて、うーむ、とうなりました。
「ピラン殿が作る物は、必ずこの世界で必要にされると言われている。無駄な道具は絶対に作らないんだ。そのピラン殿が、おまえらにここまで肩入れしているなら、おまえらには確かにこの防具が必要なんだろうな。恐ろしく装備過剰に見えるが、そうじゃないってことだ……」
妙な方向から納得したノームに、メールが苦笑いしました。
「だから、ずっと言ってるじゃないのさ。あたいたちは金の石の勇者の一行なんだよ。闇の竜のデビルドラゴンを倒すために、ずっと戦ってきてるのさ。今だって、その方法を探しているところなんだ」
「その方法が、本当に見つかるといいんだけどね」
とフルートが穏やかに言いました。そのまま静かな表情で遠くを見る目になったので、仲間たちはいっせいに、はっとしました。フルートがこんな様子になる時には、決まって心の中であるものの姿を見つめているのです――。
おい！ とゼンが声を上げ、そばにいたポポロがフルートの腕にしがみつきました。フルートが我に返ってそれを見ます。少年の体は赤く光り出しませんでした。
「なんだ急に？ 驚くじゃないか」
ラトムが少年少女たちの様子に目を丸くしました。全員が、青ざめるほど真剣な顔でフルートを見つめていたからです。
「なんでもないです。……大丈夫だよ」
とフルートは微笑して、静かに仲間たちへ言いました。
真夜中に、ラトムはふと目を覚ましました。
身を切るように寒い夜ですが、たき火が燃え続けていて、暖かな光を周囲へ投げています。その中で少年少女たちが眠っています。ラトムも、二匹の犬たちに挟まれて、少しも寒さを感じずに寝ていました。目が覚めたのは、耳になじみのある音が聞こえてきたからです。
音がする方を見ると、ゼンが一人で起きていて、背中を丸めながら一生懸命手を動かしていました。シャッシャッとリズミカルな音がしています。
しばらくその動きを見てから、ラトムはおもむろに起き上がって、ゼンのところへ行きました。手元をのぞき込んで言います。
「研ぎ（とぎ）をしているのか」
ゼンは自分のショートソードを砥石で研いでいたのです。そのわきには、フルートのロングソードも置いてありました。
「剣は研がないとすぐに切れなくなるから、見張りをしている時に、いつもやってんだ。フルートの剣も俺が研いでやってる。いつでも使える状態にしておかないと、あいつの命に関わるからな。ただ、炎の剣だけは研ぐ必要がねえんだ」
「魔法の剣だから当然だな」
とラトムは言って、さらにゼンの手元を見つめ続けました。だいぶゼンを嫌わなくなったノームですが、それでも、これほど近くにいるのは初めてのことでした。やがて、こんなことを言い出します。
「ちょっと貸してみろ。俺がやってやる」
ゼンは目を丸くしましたが、言われたとおり、ラトムに場所を譲りました。ラトムは小さな両手にショートソードを持つと、そばの器から水をかけ、濡れた砥石に押し当てました。そのまま前後に動かし始めます。シャシャシャシャ、と軽やかな音が響き始めました。
「うまいな、ラトム」
とゼンはびっくりしました。猟師をしていても、ゼンはドワーフです。鍛冶や研ぎといった仕事の腕前は、見ただけでわかります。
ラトムが笑いました。
「俺の村での仕事は研ぎ師だ。仲間が作った武器の最後の仕上げをするのが、俺の役目なんだよ。おまえも腕が悪いとは言わないが、まだまだムラがある。研ぎは大事だぞ。なにしろ研ぎ方一つで剣の切れ味が変わってくるんだからな」
へっ、とゼンも笑いました。ノームの口調が、洞窟のドワーフの職人たちを思い出させたのです。誇りを持って自分の仕事をしている人の声でした。
ショートソードを研ぎ上げると、ラトムは今度はフルートのロングソードを鞘から抜きました。たき火の光にかざして感心します。
「こっちもまた良い剣だな。人間が作ったもののようだが、かなりの名工の作品だ」
「フルートの剣の師匠がくれたものなんだよ。あいつが勇者として旅立った時に。銘はないけど、本当にいい剣だぜ」
とゼンが答えます。このロングソードも、フルートや仲間の命を守ってずいぶん活躍したのです。
ラトムは、さらに剣を眺めながら言いました。
「ずいぶん敵を倒してきたようだな。刀身を見ればわかる。おまえらは本当に、かなりの戦いをくぐり抜けてきているんだな……。これはおまえがやってみろ。研ぎ方を教えてやる」
「ホントか？ 教えてくれるのか？」
「ああ。おまえが覚えた方が、これから何かと役に立つだろうからな」
再び砥石と剣がゼンに渡りました。ゼンがラトムの指示を聞きながら手を動かし始めます。違う、そうじゃない！ 角度を一定に保て！ 力を入れるな！ とラトムが叱り、ゼンが真剣な顔でそれに従います。それは、まるで子どもが大人を教えているような、奇妙でほほえましい光景でした。
高原を冷たい風が吹き抜けて、テント代わりに張った防水布がはためきました。たき火の炎も揺らめきますが、その火が消えることはありません。野営地は暖かな光に包まれ続けていました――。
