遺跡の奥から兵士たちが駆け出してくる気配がしていました。あそこだ、あそこにいたぞ! 捕まえろ! と口々に叫んでいます。フルートたちは、ぎょっとしました。逃げ道を探して、あわててあたりを見回します。
ところが、彼らはすぐに目を丸くしました。兵士たちの声が遠ざかっていったからです。まったく別の方角の森の中へ走っていきます。彼らの方へ来る兵士は、一人もいません。
「なんだ……見つかったんじゃなかったのかよ」
とゼンが肩の力を抜きました。仲間たちもいっせいに、ほっとします。
「ワン、誰かが軍から脱走したみたいですね。今のうちですよ。ここを離れてジタンに向かいましょう」
とポチが言いましたが、フルートは気がかりそうな顔をしました。
「誰が逃げ出したんだろう? ポポロ、ちょっと見てくれる……?」
ポポロはうなずき、すぐに遠いまなざしになりました。魔法使いの目で森の奥を見透かします。闇の力に隠された軍隊です。最初はやっぱり何も見えませんでしたが、それでも目を凝らしていると、じきに逃げる人の姿が見え始めました。続いて、それを追いかける人々の姿も――。
ポポロは息を呑みました。
「追いかけられているのは小さな男の人よ! あれ――ノームだわ!」
ノーム? と一行は驚きました。ドワーフたちより体の小さな地下の民です。
「なんでサータマン軍にノームがいるんだよ? 戦力になんてならねえだろうが」
とゼンが不思議そうに言います。フルートは少し考えて、すぐに、そうか、と言いました。
「魔金は非常に高価で貴重な金属だけど、堅すぎて人間には扱えない。あれを加工できる技術を持っているのは、鍛冶の民であるドワーフと、ノームだけだ。サータマン軍は、ジタンから魔金を採掘して加工するために、ノームを連れてきているんだよ」
フルートたちにもノームの知り合いはいました。エスタ城で鍛冶屋の長をしているピランです。地面に引きずるほど長いひげをした老人で、ポチくらいの大きさしかないくせに、びっくりするくらい威勢の良い人物でした。フルートの金の鎧兜を作ったのはそのピランですし、ゼンの防具も強化してくれました。黄泉の門の戦いの時には、持ち前の才能を発揮して彼らを助けてくれたのです。
「そのノームは逃げられそう?」
とフルートはまたポポロに尋ねました。ノームは魔力で地面に潜って隠れることができます。ところが、ポポロはまた首を振りました。
「ずっと走って逃げてて、隠れようとしないわ。地面に潜れないんじゃないかしら……!?」
「助けよう!」
とメールが先頭を切って駆け出しました。他の仲間たちも続きます。ピランと同じノームがサータマン兵に追われているのです。とても放ってはおけませんでした。
やがて、木立の間に人の姿が見え始めました。緑の鎧兜の兵士たちが数人、身をかがめるように走って、何かを捕まえようとしていました。春先の森は下生えもなくて見通しがききます。とても小さな男が兵士たちの前を走っているのが見えました。青い上着の裾と赤い帯がひらひらと後ろになびいています。地下の民のノームでした。
ノームは小さな体でちょろちょろと駆け回り、木々の間や藪をすり抜けて追っ手を振り切ろうとしていました。派手な服が茂みの中に隠れ、ずっと先の方に飛び出して、また走っていきます。ところが、サータマン兵はそんな動きを読んで、先回りをしていました。つかみかかった兵士の手の間をすり抜けて、ノームがまた逃げます。動きは素早いのですが、歩幅が小さいので引き離すことができません。また捕まりそうになって、あわてて身をかわします――。
「捕まっちゃうよ、あのノーム!」
とメールが言いました。どうやって助け出そう、と目の前の追跡劇を見つめます。
「下手に騒ぎを起こすと、寺院の他の兵士が飛んでくるな」
とゼンは敵に気づかれずにノームを救えそうな場所を探します。
「ワン、ぼくが風の犬になって助け出してきましょうか?」
とポチが身構えましたが、フルートは即座に首を振りました。
「それはだめだ。サータマン兵にぼくらを見られる」
「じゃあ、どうするの!?」
とルルが尋ねます。ノームの悲鳴が聞こえてきました。サータマン兵に帯の端をつかまれたのです。小さな手で帯を引っ張って、必死で振り切ろうとしていますが、なにしろ小さなノームです。力ではとても人間にかないません。
フルートはかたわらの少女に言いました。
「ポポロ――頼む」
少女は即座にうなずきました。片手を突き出し、短く唱えます。
「レマート」
とたんに、目の前の人々の動きが止まりました。帯を引っ張るノームの男も、それを捕まえようとしている兵士たちも、そのままの格好で動かなくなります。ポポロの指先から淡い緑の星が消えていきます……。
ポポロは両手で顔をおおいました。
「ああ、また――!」
彼女の魔法は強力ですが、コントロールが悪いので、いつも関係のない周囲の人々まで魔法に巻き込んでしまいます。今も兵士だけを停止させようとしたのに、逃げるノームまで一緒に停止させてしまったのでした。
すると、ゼンが駆け出しながら言いました。
「上出来だぞ、ポポロ! この方が助け出しやすいぜ!」
駆け寄って、彫刻のように動かなくなっているノームを小脇に抱えると、あっという間に連れてきてしまいます。涙ぐむポポロの髪をフルートがなでました。
「そう、上出来だよ、ポポロ。さあ、今のうちに逃げよう。魔法が解けたら、兵士たちにはきっとノームが目の前から消えたように見えるはずさ」
そこで、彼らはノームを連れたまま大急ぎでその場から離れました。自分たちの馬を残してきた寺院の入り口へと引き返します。やがて、後ろの方で声が上がりました。
「ノームがいないぞ!?」
「地面に潜ったんだ!」
「馬鹿な。そんなはずは……」
瓦礫や木々の間をくぐり抜けていくと、その声も遠ざかって聞こえなくなります。
すると、ゼンの腕の中でもノームがうなり出しました。抱えられたままの格好で手足をばたつかせ、目をぎょろぎょろさせて、自分を連れ去る人間たちを見回します。ポポロの魔法が切れて、意識を取り戻したのです。
ゼンは用心してノームの口を手でふさいでいました。ノームがうなり声になっていたのは、そのせいです。足早に進みながらゼンは言いました。
「もうちょっと我慢しろって、おっさん。そしたら放してやるからよ」
ノームは灰色のひげを胸まで伸ばした中年の男でした。彼らより体は小さくても、あきらかに年上だったのです。
フルートもゼンに並んで言いました。
「ぼくらは敵じゃないですよ、ノームさん。もう少しで安全な場所に出ますから、今は静かにしていてください」
その穏やかな声と優しげな顔に、ノームが驚いたように黙りました。自分を抱えて急ぐ少年少女たちを、また見回します。
やがて、寺院の入口まで戻ると、一行は振り向きました。追ってくる気配がないかと確かめます。ポポロが遠い目になってから言いました。
「大丈夫……こっちに来る兵士はいないわよ。やっぱり、ノームさんが地面の中に逃げたと思っているみたい。見つけられなくて隊に戻っていくわ」
フルートたちは、ほっとしました。ゼンがようやくノームの口から手をはずします。
すると、地面に下ろされるより早く、ノームの男が言い出しました。
「お――おまえたちは誰だ!? どうして俺を助けたんだ!?」
「助けちゃいけなかったのかよ?」
剣幕に目を丸くしながら、ゼンはノームを下ろしました。背の低いゼンですが、ノームはもっと小柄で、ゼンの半分以下の背丈しかありません。
「おまえたちは人間だろう! それなのに、どうして俺を助けるんだ!?」
とまたノームがどなります。なんだか喧嘩腰に聞こえる声です。
メールとゼンはあきれました。
「だって、あんた、サータマン兵に追いかけられてたじゃないさ。捕まっちゃまずかったんだろう?」
「それに、俺たちは人間じゃないぜ。人間なのは、ここにいるフルートだけだ。こいつは海の民と森の民の血を引いてるし、こっちのポポロは天空の民、そして、俺はドワーフだ」
「ドワーフ!?」
ノームがまた、素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げました。
「そ――そんなまさか! どうしてドワーフが貴様みたいな格好をしている!? 貴様は人間だろうが!」
ゼンは肩をすくめました。
「俺はおふくろが人間だったんだよ。でも、自分ではれっきとしたドワーフのつもりでいるぜ」
「力だって強いしね」
とメールが脇から口をはさみ、論より証拠、とゼンが近くにあった大岩をひょいと持ち上げて見せます。
ノームは仰天しました。ゼンをにらんだまま後ずさり、真っ青になってわめきます。
「ど――ど――どうしてドワーフが俺を助けるんだ!? 何を企んでいる!? 俺をどうするつもりだ!!?」
その声があまりに激しかったので、フルートたちは本当に呆気にとられてしまいました――。