「ねえ……もしかして、私たち迷子になっているんじゃないの?」
馬の足下を歩きながらルルがそう尋ねると、先頭を行くゼンが答えました。
「迷子になんかなってねえよ」
「だって――ここ、どこよ? 私たち、今どこにいるの? 全然わからないじゃない。こういうのを迷子って言わない?」
ルルがさらに文句をつけると、ゼンはいっそうぶっきらぼうに答えました。
「俺たちの行き先は決まってねえんだ。だから、自分たちのいる場所がわからなくても迷子っては呼ばねえんだよ」
「いやぁね。やっぱり道に迷ってるんじゃないの」
とルルがあきれます。
そこは深い森の中でした。フルートたちがシュイーゴの丘で化蛇の群れを倒し、祭りに集まった人々にかばわれて町を脱出してから、一週間が過ぎていました。
その間、彼らは西へ進んでサータマンの国を抜けようとしていました。教えられたとおり山脈の麓を行ったのですが、なにしろ地理もわからない外国です。しかも、自分たちは指名手配されているらしいので、人前に出て道を聞くわけにもいきません。ここがどこなのか、どのくらい進んだらサータマンの国境を越えるのか、さっぱり見当がつかないまま、森の中を馬で進み続けているのでした。
「まあ、食料はミコンからたっぷり持ってきたし、ゼンもいるから、食べるのに困るようなことはないけどね」
とフルートが言いました。猟師のゼンは、森に入ってから毎日のように鳥やウサギ、時には鹿なども仕留めて、仲間たちのために料理してくれていたのです。ゼンは料理人としての腕前もなかなかだったので、仲間たちは毎回おいしい食事にたっぷりありついていました。森の獣などは全然怖くなかったし、怪物にもほとんど出くわしません。道がわからなくても、彼らはまるでピクニックにでも来ているような、のんびりした気分でいました。
「あたいは町や街道を行くより、こういう場所の方が気持ちよくて好きだなぁ」
とメールが笑って馬の上で伸びをしました。彼女は海の王の娘ですが、森の民の血も半分引いています。森に入ってからと言うもの、本当に生き生きとした様子になっていました。
「ワン。サータマンの西隣にはメイの国があります。どのくらい行けばいいのかは見当がつかないけど、とにかく、このまま進み続ければ、いつかメイに出ると思いますよ」
とポチが言いました。ルルと同じように自分の足で森の中を歩いています。
落葉樹の森は、足下に去年の秋の落ち葉が厚く積もっていて、馬が進んでいっても蹄の音は立ちません。木々は赤や薄緑の枝を広げていて、まもなく芽吹きの時を迎えようとしています。葉のない枝の間から日差しが差し込んできて、森の中は意外なほど明るく見えます。鳥が賑やかにさえずっています……。メールでなくても、本当に心地よく感じられる早春の森でした。
すると、ポポロが、あら、と小さな声を上げました。
「あっち……森の中に何かあるわよ。何かしら。建物のように見えるけど……」
と行く手の少し右よりを指さします。ポポロは、その気になればどこまででも見通すことができる魔法使いの目を持っています。その力で行く手の様子を調べていたのでした。
「森の中の集落か?」
とゼンが聞き返し、フルートを見ました。回避するのか立ち寄るのか、その判断をするのはリーダーのフルートです。
ポポロが答えました。
「人が住む家とは違うみたい……。人の姿は見えないわ。すごく古い石の建物よ」
それを聞いて、全員は、なんだろう? と考えました。興味を引かれます。
「よし、行ってみよう」
とフルートは言い、一行はポポロが示す方向へと向かいました。
それは森の中に埋もれた建物の跡でした。柱の大きさから見て、元は三階建てくらいの高さがあったようですが、今はもう壁も天井も崩れ落ちて、ただ石の柱だけが森の中にそびえています。石積みは苔におおわれ、隙間には大小の木や草が生えています。誰にも使われなくなって、森の中に呑み込まれようとしている建築物でした。
「なんの建物だったんだろうね、これ? ずいぶん大きかったみたいだけど」
とメールが石の柱や残った石壁を見上げながら言いました。外見からは見当がつきません。
「石が重なっているところに気をつけろよ。崩れてくるかもしれねえからな」
とゼンが注意を促します。
くんくん、と石や地面の匂いをかぎながら、ポチが言いました。
「ワン、使われなくなってから、もうずいぶん長い時間がたってますね。たぶん、百年とか二百年とか――そのくらい過ぎてるんじゃないかな。いわゆる遺跡ですよ」
彼らはさらに遺跡の間を歩き回ってみました。足下は崩れた大小の岩でいっぱいです。建物の由来を示すようなものは残っていません。いえ、あるのかもしれないのですが、降り積もった落ち葉と植物におおい隠されて、もう見極めることができないのです。
ところが、石壁に沿って歩いていたフルートが、急に足を止めました。
「あれ、これ……?」
半ば崩れた石の柱がそこにありました。他の柱とは違った材質の石でできていて、表面に線模様が刻まれています。よくよく見ると、それは石の彫刻でした。柱全体が、一つの石像になっていたのです。
フルートは首をいっぱいにねじって見上げました。石像には蔓草が絡みついていますが、今はまだ葉がないので、なんとか像全体を見ることができます。どうやら、両手を胸で交差させた人の姿のようです。目をむき口を大きく開けた、ひどく恐ろしげな顔も見えます。
フルートは少しの間考え、思いついたように石像の後ろに回りました。案の定、像の頭の後ろにも、もう一つ顔がありました。前を向いた顔は怪物のように恐ろしいのに、後ろ側の顔は目を細めて、とても楽しそうに笑っています。
「猿神グルだ――。ここはグル神の神殿だったんだよ!」
とフルートは声を上げました。仲間たちが集まってきて、一緒に石像を見上げます。
ポチが言いました。
「ワン、サータマンではグル神の神殿を寺院って呼んでるんですよ。ここは古い寺院跡だったんですね」
「どうして使われなくなったのかしら?」
とポポロが言います。先日、グル神の出てくる春祭りを見てきたばかりなので、こんなふうに人々から忘れられているグル神を見ると、なんとなく淋しいような気がしてしまいます。
人が寺院の近くからいなくなったのか。あるいは新しい寺院が別の場所に建てられて、古い寺院がうち捨てられたのか――。いずれにしても、もう寺院を訪れる信者はいないのです。それでもなお外へにらみをきかせ、内へ笑顔を向けているグル神を、彼らは黙って見上げ続けました。
すると、ふいにルルがぴくっと耳を動かしました。伸び上がって寺院の奥を見ながら言います。
「馬のいななきが聞こえたわよ。誰かいるわ」
「こんな場所に?」
とフルートは驚きましたが、とたんにゼンに笑われました。
「こんな場所に、俺たちだっているじゃねえか。人がいたって驚くようなことじゃねえだろ」
でも、とフルートは心配そうに言いました。自分たちはサータマンの憲兵から追われているらしいのです。サータマン人とはあまり顔を合わせたくありませんでした。
「ワン、ぼくたちが様子を見てきますよ」
とポチが言って、ルルと一緒に走っていきました。ポポロもそちらの方向へ目を向けます。遠いまなざしで、遺跡の石積みや木々の先を見通していきます――。
ところが、やがてポポロは不思議そうな表情になりました。じっと遠い景色を見つめて首をひねります。
「変よ、誰もいないわ。何も見えないの。ここには他の人はいないわよ」
「なぁんだ。ルルの聞き違い?」
とメールがあきれているところへ、二匹の犬たちが戻ってきました。背中の毛を逆立てて、ポチが言います。
「ワン、軍隊ですよ! 遺跡の奥に軍隊がいます!」
「すごい数よ! 千人以上! みんな鎧兜をつけて、武器を持ってるわ。なんだか、どこかへ出陣するところみたいよ!」
「軍隊!?」
と少年少女たちは驚きました。しかも、千人以上の兵士となれば、かなりの大軍です。どうしてこんな森の奥に、と考えます。
「確かめよう」
とフルートは仲間たちに言いました――。