「見えた! とうとう麓だよ!」
長身の少女が歓声を上げました。緑の髪を後ろで束ねた、気の強そうな美少女――メールです。白地に灰色ぶちの馬の上から、嬉しそうに行く手を指さしています。
「ミコンを出てから三日か。僧侶たちが魔法で道の雪を消してくれたから、えらく楽だったな」
と隣から少年が答えます。背は低いのですが、肩幅の広いがっしりした体格のゼンです。額に白い星のある大きな黒馬にまたがっています。
「あれがサータマン……」
と小柄な少女が感心したように言いました。全身茶色で足先が黒い鹿毛(かげ)の馬にまたがり、珍しそうに眼下の景色を眺めています。赤いお下げ髪に緑の瞳のポポロです。
金の鎧兜で身を包んだ小柄な少年が、栗毛の馬の上でにっこりしました。
「麓はもう春なんだね。雪が全然ない。地面も薄緑色だ」
まるで少女のように優しい顔立ちをした少年です。話す声は少しかすれていますが、やはり優しく穏やかです。金の石の勇者と呼ばれるフルートでした。
「ワン、それはそうですよ。もう三月だもの」
と少年の声で言ったのは、白い子犬でした。フルートの鞍の前につけた籠(かご)から振り向いて、尻尾を大きく振っています。もの言う犬のポチです。ポポロの鞍の前の籠では茶色の雌犬が鼻をひくひくさせていました。
「ほんと、春ね。雪解け水の匂いでいっぱいだわ。土と若草の匂いもするわよ」
こちらも、人のことばを話せる犬のルルです。
この二人の少年と二人の少女、そして二匹の犬たちが、金の石の勇者の一行でした。世界を闇の竜デビルドラゴンから救うために戦っている英雄たちです。
ですが、彼らはどう頑張っても、そんなすごい人物には見えませんでした。十五歳を中心にした少年少女たちで、メール以外はとても小柄な体格をしています。少年たちはそれぞれ防具を着て武器も身につけていますが、あまり小さいので、なんだか道場に稽古に行く子どものように見えます。少女たちも、とても綺麗な顔立ちをしていて、戦いとは無縁に思えます。そこにかわいらしい二匹の犬まで一緒なので、本当に、お世辞にも勇者の一行などには見えないのです。
彼らはつい数日前、宗教都市ミコンで闇を倒してきたばかりでした。ミコンは高い山脈の頂上にあって、神の国に一番近い都と呼ばれています。その南側の山道を下って、サータマンという国にやって来たのでした。
「あれは湖? とても大きいわね」
とポポロが熱心に景色を見ながら言いました。山脈の麓には若草におおわれた地面があって、その先に水面が広がっていたのです。水は空の色を映して青く光っています。
ところが、ゼンがそちらを眺めて、うん? と首をひねりました。
「妙だぞ、あの湖。水の中に家が建ってやがる」
「水の中に?」
仲間たちは驚いていっせいに目を凝らしました。彼らは、猟師のゼンほど目が良くないのですが、それでもゼンが見たものを見つけることができました。確かにたくさんの家が水の中にあります。その間を行き来する小さな舟も見えます。
「水上都市かな?」
とフルートが言いました。水の上に作られた町の話を聞いたことがあったのです。けれども、ポチは首をひねりました。
「ワン、どうかなぁ? 南方諸国の水上都市は有名だけど、サータマンにも水上都市ってあったかしら」
この子犬は十一歳で一行の中では一番年下ですが、小さい頃から各地を放浪してきたので、驚くほど博識なのです。
そこで一行はさらに山道を下りました。麓が近づくにつれて、景色もいっそうはっきりしてきます。やはり、水の中に家々が建っていました。水の中から伸びる木々や、水面の上に顔を出した柵なども見えてきます。少年少女たちは驚きの声を上げました。
「湖じゃないよ、あれ!」
「町が水の中に沈んでるんだわ!」
「洪水だ――!」
山脈の麓は一面水に浸っていました。広大な面積で、地平線の近くまで青い色が続いています。町も畑も牧場も、すっかり水の下です。
「嵐が来たのかしら?」
とポポロが言うと、ポチがまた首をひねりました。
「ワン、それにしては水が綺麗ですよね。普通、嵐のあとの洪水だと水はもっとにごっているものなんだけど。なんだか本当に湖を見てるみたいだ」
「そばまで行ってみよう」
とフルートが言いました。
水辺まで行ってみると、それが洪水だと言うことはいっそうはっきりしました。水の中に草が生え、牧場や畑の区画を知らせる柵が沈み、木が梢を半分水面に出しています。水は流れを作ることもなく静かで、まるで青い鏡を見ているみたいです。
水深は深いところで数メートルというところのようでした。家々は一階部分が水没して、二階より上が水の上にありました。舟がその間を行き来しているのが見えています。
「水ん中に取り残された連中を助けてるのか?」
とゼンが舟を眺めながら言いましたが、今度はフルートが首をひねりました。
「それにしては、いやに落ち着いた感じだよね……。助けを求めてる人もいないじゃないか。不思議な洪水だな」
一行は水際に立ったまま、目の前の大水を眺め続けました。彼らが進んできた道も水の中に沈んでしまっています。どちらへ行ったら良いのか、すぐにはわからなかったのです。
やがて、左手の方から一艘の舟がやって来ました。彼らが知っている舟より、もっと四角い形をした浅い舟です。五、六人が乗っていて、一人が長い竿で舟を操っています。小さな子どもの姿も見えます。
「ワン、平底船(ひらぞこぶね)だ。流れの静かな近場を移動するための舟ですよ」
とポチが言いました。舟は大勢を乗せたまま、滑るように洪水の上を移動していきます――。
その時、ポポロが急に声を上げました。
「危ないっ!」
舟の行く手に柵が沈んでいたのです。水面のすぐ下に柵の先端があって、船底が引っかかりました。安定感の良くない舟が大揺れに揺れ、乗っていた人々が悲鳴を上げます。竿を持った男が懸命に舟を落ち着かせようとします。
とたんに水音が上がりました。舟から小さな子どもが落ちたのです。また人々の叫び声が上がります。
「まずい! 流されていくぞ!」
とゼンがどなりました。
静かに見えていた水面ですが、その下では高い場所から低い場所へ水の流れが起きていたのです。船から落ちた子どもが、水しぶきを上げながら、あっという間に舟から引き離されていきます。舟の人々が手を伸ばして悲鳴を上げ続けます。男が懸命に竿を動かしますが、舟は柵に引っかかったまま動きません。
「あたいが行く!」
とメールが馬から飛び下りました。着ていた毛皮のコートを脱ぎ捨てて水の中に駆け込んでいきます。と、その姿が突然消えました。水中に潜ったのです。メールの緑の髪と色とりどりの花のようなシャツが、水の中を進んでいくのが見えます。あっという間に溺れる子どもに近づいていきます。
「相変わらず泳ぎがうまいな、あいつ」
とゼンが当たり前のことに感心しました。メールは西の大海を治める渦王(うずおう)の一人娘で、海の民の血を引いています。どれほど長時間水中にいても息が苦しくなることはないし、泳ぎも本物の魚のように速いのです。
ところが、メールの後を追いかけて水に入ったポチが、あわてて引き返してきました。
「ワン、この水、ものすごく冷たいですよ! まるで氷みたいだ!」
「雪解け水だ」
とフルートは難しい顔になりました。冷たい水は水中の人の体力を急速に奪います。心配しながら子どもとメールを見守ります。
しぶきを上げながら子どもが流されていきます。舟の人々が叫び続けています。母親でしょうか。後を追って飛び込もうとした女性が、他の者に引き止められています。
すると、子どもの小さな頭が水中に沈みました。舟からまた大きな悲鳴が上がります。
水中をメールが近づいていました。魚のように身をひるがえして沈んでいく子どもを捕まえ、すぐに水面から顔を出します。子どもも一緒です。舟から今度は歓声が上がりました。
メールが泳ぎ戻ってきました。ずぶ濡れの子どもを抱きかかえて岸に上がると、真っ青になって仲間に叫びます。
「早く来て、フルート! 早く! この子、息してないんだよ――!!」